第13回 音楽と音楽のぶつかりあい。

山下 ジョビンの場合はね、
ジャズ以前の、ポップス音楽の中に、
もう、彼の要素がすべてあるんです。
タモリ それで、恨みつらみが……。
糸井 ボサノバは、急に
ブラジルでできたものなんですか?
山下 サンバの要素は、アフリカ音楽だよね。
タモリ コーラスがワーッと一緒に歌って、
それからソロがあるという、
コーラスの部分がアフリカ音楽なんです。

その後にボサノバが
生まれてきてるんだけど、
ポルトガルもあるから、
グチャグチャに混ざっていて。
山下 ポルトガルの伝統音楽の
「ファド」みたいな悲しいメロディーも、
ときどきサンバには入っているし……。

もちろんリズムはアフリカで、
そういうところで、
少し洗練された音楽を
作ろうと思った時には
ボサノバが出てきたんです。

ただ、ヒットしたのは
ジャズマンが取りあげたから、
というのは、確かにあるんですね。

だから
「リオデジャネイロの
 薄暗い酒場の片隅の少年に、
 きれいな服を着せて
 お金を与えて都会に出してやった」
というのが
ジャズとボサノバの関係だなんて
平気で言う評論家もいる。

最初はジョビンたちも
うれしかったと思うんです。

アメリカにはじめて行って、
いい洋服を着られて
「おまえがあの曲を作ったのか」
とみんなが歓迎してくれて。

だけど、ジャズマンたちと
一緒にやってみると、
どうもわがままだし……
それこそ、ジョアン・ジルベルトと
スタン・ゲッツが
絶対に気が合わなかったのを、
ジョビンは間に入って
レコーディングを進めたんだけど、
それでできたのが『イパネマの娘』で。

スタン・ゲッツが
英語でワァワァ言っているのや、
ジルベルトがスタン・ゲッツに向けて
言った言葉を、通訳は
「喧嘩になるから」
と絶対に翻訳しなかったんだって、
おたがいにね。
タモリ 『イパネマの娘』も、
もちろんポルトガル語で
作った歌なんですけども、
歌わせなかったんだよね。
山下 そうそう。
アストラッド・ジルベルトに英語で歌わせた。
タモリ 「英語でないと世界に通用しない」と。
山下 そこはもう、完全に
アメリカポップスの戦略ですよね。
あれがまんまと当たったんだけど、
お金は一銭ももらえなかった。
糸井 奴隷を連れてきたのと同じように、
音楽を連れてきたわけだ。
山下 非常に言い方が悪いのですが
「奴隷の才能をとっちゃった」
というところがありまして。
ボサノバひとつ取っても、
ジャズとは、そういう関わりをしています。
 
(いったん、
 3人の話はここで
 終わりです。
 近日中に更新の
 ジャズコンテンツを
 おたのしみに)


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2005-01-07-FRI