もくじ
第1回Kさんへの片想いと大嫌いな野球。 2016-06-02-Thu
第2回「好き」に大事なことは何か。 2016-06-02-Thu
第3回残酷なスポーツ、野球。 2016-06-02-Thu

大学4年生の男です。福島出身で、今は東京に上京してきています。どうぞよろしくお願いいたします。

僕の片想いと高校野球

担当・かつなり

第2回 「好き」に大事なことは何か。

僕はKさんを見かけたその日のうちに
中学校のときの友だちに
僕の携帯電話のメールアドレスを
友だちの友だち経由でKさんに
渡してもらうように頼み込んだ。
恋愛の話なんて恥ずかしくて
友だちにもしたことがなかった当時の僕としては、
それは前代未聞の暴挙だった。

そしたら次の日くらいにKさんからメールが届いた。
わりとポジティブな内容の
絵文字でカラフルなメールだった。
嬉しくて嬉しくて僕は手足をバタバタさせたと思う。

それからというもの、僕の生活の構成要素は
「野球、食事、睡眠」から
「野球、食事、睡眠、Kさん」となり、
野球で真っ暗な僕の高校生活のなかで、
Kさんは唯一の光のような存在になっていった。

メールは頻繁にした。
毎回Kさんからメールが届くたびに
プレゼント袋を開けるようなドキドキ感だった。
逆に僕がメールを送るときは頭が痛かった。
相手の様子がわからない
メールでのコミュニケーションが苦手だった。
だからサッカー部の人気者の友だちから
「モテるメールの技術」みたいなものを教わりながら、
たった4、5行くらいのメールの文章を
死に物狂いで考えて送っていた。
でも結局は素の自分が出てしまい、
真面目でつまらないメールを送っていたと思う。

Kさんがテイラー・スウィフトというシンガーが好きだと聞けば、
すぐにTSUTAYAにCDを借りに行った。
パンクロックやハードロックばかり聞いていた僕にとって
馴染みが薄い音楽だったけど、
Kさんが好きな音楽なのだから聴きまくった。
そしでKさんに
「テイラー・スウィフト最高だった!」
というメールを送っていた。
最初は心にもないクセに言っていたが、
ずっと聴いていたら、本当にテイラー・スウィフトの音楽が
好きになっていたので、人を好きになると、
新しい領域にも難なく踏み出せるのかもしれない。

大嫌いな野球に対する姿勢も少し変わった。
Kさんが見ているわけではないけれど、
野球を上手くなってかっこよくなろうと思った。
学校の外を走る長距離走のメニューは
皆が嫌う基礎練習だったけれど、
そのときの僕は走っている最中に
Kさんに会う可能性も万が一であるので
死ぬ気で取り組んだ。
結果、いつも長距離走では部内で最下位近くだったのに、
突然、2位になったことがあった。
人を好きになると、限界以上のパワーが出るのかもしれない。
そのときは、あとからキャプテンに
「お前、いつも手抜いて走ってんじゃねえよ。
毎回そんくらい全力で走れや」
とこってり叱られたけど。

また正直言うと、
Kさんに関する妄想をよくしていた。
登校中、授業中、風呂に入っているとき、寝る前、
いつでもどこでも日常的に妄想していた。
野球や現実から離れて、ワクワクできる時間だった。
さらに正直に言うと「キス」で終わる妄想ばかりしていた。

部活が終わって学校の外に出たらKさんが待っている。
一緒に楽しく話しながら帰る。別れ際に、キス。

休日に駅前でデートをする。
何をすればいいのだろう、喫茶店に行けばいいのだろうか、
それともプリクラを撮ったりするのだろうか、
まぁなにはともあれ、別れ際は、キス、だろう。

こんなことばかり考えていた。
でも、そんな「純粋っぽい僕」ばかりでもない。

ちゅうの先のいやらしいことも正直、妄想した。
でもなんだか申し訳ない気持ちになって、
あまり多くは妄想しなかった。
付き合ってもいないくせに、どちらかというと
「本当にそういう状況になったらどうすればいいか」
とばかり考えていた。
あくまでもケーススタディのつもりである。

とにかく「Kさんを好き」な気持ちのなかには
純粋に「好き」だけじゃなくて、
いやらしい欲求やら、
周りの男友達に彼女を作って自慢したい虚栄心やら、
不純物も沢山、混じっていた。
でも多分、それも含めて「Kさんが大好き」だったのだ。

さて、ここまでの文章をパソコンで打ってる途中、
僕は何度も恥ずかしすぎて手足をジタバタしたり、
部屋のなかをソワソワ歩きまわったりしてしまった。

でも「Kさんが好き」な気持ちでいっぱいだった当時も、
僕はよくジタバタしていた気がする。

もしかしたら僕のなかで「好き」と「恥ずかしい」は
すごく密接に繋がってしまっているのかもしれない。

その証拠に、僕はこれだけ「好き」と書いておきながら、
Kさんに告白できずじまいだった。
自分がKさんと見合ってるとは思えなかったし、
「もしフラれてしまったら?」と考えると怖かった。
そこには自分のプライドみたいなものが邪魔して、
恥をかきたくないという気持ちがあった気がする。

でも僕は書きながら気づいた。

何かに対して「好き」という気持ちをもったとき、
大事なのは明らかに
「それを好きな自分」より
「好きな対象」ではないだろうか? 
自分の羞恥心やプライドなんて本当はどうでもいいはずで、
僕は「好き」それ自体に没頭したり、
「好き」を伝えたかったりしたはずである。

僕は今まで「好きなもの」に対して、
いつも一歩引いてしまっているというか、
「自分にこれを好きだと言える資格があるのか?」と考えてきた。
いつも目線は「自分」に向かっている。
そういえば今まで書いてきた内容も、
Kさんの魅力を書くのではなくて、
自分のことばかり書いてしまっている。

本当は「これが好きなんだ」と直情的に堂々と表現したい。
「好き」をどう表現するかに苦心をしたい。

そう、今は本気で思えている。

だからここで早速、
僕の好きなものについて
真正面から語ってみたいと思う。

僕は「野球」が大好きである。

野球が嫌いだったと書いていたじゃないか、
と思われるかもしれない。

でも僕が本当に嫌いだったのは「野球」じゃない、
「大好きな野球が下手くそな自分」だったのだ。

僕は高校球児だった当時、
大好きな野球が下手くそな自分と向き合うのがつらいから、
野球そのものを嫌いだと思い込むようにしていたのだと思う。

「好き」と正反対で、「嫌い」のときは、
無意識に自分から目をそらしている。
我ながら、なんて都合のいいやつだ。

僕は本当は、根っこの部分で野球が大好きだ。
次の記事で野球を好きな理由を精一杯、表現してみたい。

第3回 残酷なスポーツ、野球。