僕が野球を好きな理由。
それは
「チームスポーツでありながら、
1人1人のプレーがわりと明確に独立している」
ところにあると思う。
この特性は野球をする者に、ときに大きな感動や喜びを与え、
ときに残酷な一面をつきつける。
僕が野球にのめりこむようになったきっかけは
小学3〜4年生のころ
試合で打ったホームランだ。
左バッター(打席では右側に立つ)の僕が
ピッチャーの投げたボールをバットの真芯で捉えて、
ライト線に引っ張った打球が
外野手の後ろへ飛んでいく。
猛ダッシュで1塁ベース、2塁ベースを駆け巡って、
3塁ベースを回ったあたりで余裕で本塁まで到達できるとわかり、
安心しながらホームベースを踏む。
ランニングホームランだ。
もちろん打ったことで興奮したけれど、
僕が一番うれしかったのはその後だ。
いつもは鬼の形相の監督に笑顔で「よくやった!」と褒められ、
チームメートからは「ナイバッチ!」という威勢のよい声をかけられ、
少し遠くにいるチームメートの保護者のママさんたちからは
「すごいわあ」なんて声が聞こえてくる。
ベンチに戻ってきた僕は、
自分1人の力でチームを救ったような気分で、
誇らしくて、嬉しさが足元からこみ上げてきた。
野球の魅力にとりつかれた。
逆に野球をやってきたなかで一番のトラウマは、
中学生のとき試合中の大事な場面でエラーをしたときだ。
僕はファーストというポジションを守っていた。
内野手がゴロを捕って投げたボールをキャッチして、
バッターランナーをアウトにするのがファーストの役目のひとつだ。
1点差でリードした8回2アウト2、3塁。
ショートの選手がゴロを捕る、ファーストに投げる、
僕はその送球を後ろにそらしてしまったのだ。
ランナー2人が返って相手チームに2点が入り、逆転。
僕はすぐに監督に交代を告げられ、
シンっと静まりかえったベンチに戻ってくる。
目の前の監督の怒声だけが響く。
頭は混乱しているし、顔が強張る。
悲しいとか悔しいとかではないのだ。
自分が何をしてしまったか、よくわからない。パニックになる。
結局そのまま、その試合は負けてしまった。
僕が1人でチームを負けさせてしまったような気分だった。
後からやり場のない悔しさや、やりきれなさがこみ上げた。
野球は1人1人のプレーが明確に別れた状態で、
積み重なり、ゲームができあがっていく。
もちろん守備の連携プレーなどはあるが、
バッターボックスに2人のバッターが同時に立つことはないし、
1つのベースに2人のランナーが同時に立つことは基本的にないし、
マウンドに2人のピッチャーが同時に立つことはないし、
守備で1つのボールを2人の選手が同時にキャッチすることはない。
だから僕は、極論を言えば、
野球は個人競技が集まったスポーツだとすら思っている。
攻撃側のチームを考えれば、わかりやすい。
チームの全員が
「勝ちたい」「勝利のために何かしたい」
と思っていても、
チームの勝利に近づく行為を実質的にできるのは、
常にバッターボックスに立っている1人だけ。
残りの選手はベンチの中で
声を張り上げるくらいのことしかできないのだ。
バッター。
ランナー。
ピッチャー。
各ポジションを守る人。
基本的に、
みんなそれぞれ1人で活躍する。
みんなそれぞれ1人で失敗する。
しかしその双肩にかかっているのは1人の責任じゃない。
チーム全体の勝敗への責任だ。
特に高校野球の夏の大会で言うと、
その勝敗に高校3年間の全てがつめこまれる。
グラウンドに立つ9人の選手が
チーム全員の3年間をいやおう無しに背負う。
これは非常に残酷なことだと思うが、
だからこそ野球が好きなのだと僕は言いたい。
だからこそグラウンドに立つ者はかっこいいのだと
僕は言いたい。
ブラスバンドや野太い声による応援歌が鳴り響くなか、
スタンドにいる観客全員の視線を受けながら、
「チーム」を勝利に導くために
全力でプレーをする圧倒的な「個人」としての選手。
本当に、本当に、その姿はかっこいいのだ。
そしてここまで書いてきて、
でもやっぱり野球は「チームスポーツ」だなと思う。
チームは個人の活躍や失敗を分かちあわなくてはならないし、
個人はチームのためにプレーしなくてならない。
そこにはチーム内の強い信頼関係が必要だと思う。
プレーをするのは個人でも、チームの存在は大事だ。
あとは重要なことを強調するために書くのを省いてきたけれど、
やっぱり野球って試合に出ていない人も大事なのだ。
試合に出る選手をサポートしなくてはならないことが
山ほどあるから。
ただ本音を言えば、
僕は裏側ではなくて、表舞台で
「チーム」のために、活躍する「個人」にずっと憧れている。
自分の活躍が、自分のなかでとどまるのではなく、
チーム全体に広がっていくことは、自分の身体から
あふれでるほど嬉しいことだと思う。
真剣に野球をやる時間は今後の人生で
もう来ないかもしれないけれど
僕はいまだにときどきバッティングセンターで
もう一度ホームランを打つことを夢見て
1人でフルスイングをしている。