こちらは「やまたのおろち」
と名付けたしまい髪です。
よく見ていただくと、
マフラー、髪の毛、そしてマフラーと、
まさかの3重構造になっています。
マフラーにしまわれる髪が好きすぎて
マフラーしまい髪研究所を開設してから、
はや3年。
ようやく、新しいしまい髪を
発表することができました。
そのあらあらしき曲線のうねりは、
頭が八つある龍神「やまたのおろち」の
首のようです。
少なくともぼくには、
荒ぶる神々の息吹を感じることができます。
想像してみましょう。
吐く息が白い、
肌寒い朝。
一人の女性がマフラーを巻く。
最初はゆっくりと一巻き。
あれ?
このマフラーはちょっと長いぞ。
もう一巻きくらいいけるかもしれない。
そういうタイプのやつかもしれない。
その時点では、
まだしまわれていなかった髪の毛も、
二巻き目のマフラーからは逃れられない。
それはまさに、
やまたのおろちに捧げられた生贄。
村一番の美女のように、
マフラーという大蛇に
しまわれていく運命(さだめ)。
どうでしょうか?
ただひとつのしまい髪から
神話にもつながる物語性を
読み取ることができるのです。
次はこちらです。
「キャットストリート」
という名のしまい髪。
以前にもお伝えしましたが、
マフラーだけが、
しまい髪ではありません。
イヤーマフにしまわれる髪のカーブの儚さ。
マフラーという安心感とは違って、
細く、危うく、たよりないイヤーマフ。
そのマフとマフをつなぐ部分だけの強度に
支えられて、髪の毛のカーブは輝くのです。
ちなみに、原宿あたりのお店に
よくイヤーマフが売っているイメージがあり、
そこから名前をつけました。
はい、そうですね。
お気づきの通り、
ヘッドホンでも、
同じことが成り立ちます。
「ヘッドホンしまい髪」
ダウンロードが主流になり、
CDの売り上げ減が叫ばれている昨今、
それでもCDショップに行く意味は
ここにあります。
ビニールでコーティングされた
ヘッドホンがほどよい摩擦を生み出し、
ビニールの分子と髪の分子による
幸せなコラボレーションが、
しまい髪にリズムとグルーブを与えています。
「アンダーザブリッジ」
すなわち橋の下と名付けられた
こちらのしまい髪。
おや?これはしまわれていないのでは?
と思う方もいらっしゃるでしょう。
それははっきりいって、
素人というものです。
よーく目をこらして見てみてください。
アップにしている髪の毛の下、
若干の残り毛がありますね。
そう、しまわれているんです。
これに気付いた時には、
しまい髪の可能性に、
一瞬宇宙を感じました。
無限を感じました。
うなじが好きな男性って
いると思うんですけど、
首すじが隠されてこその美というものもまた、
日本文化に残していきたい。
そう思わせてくれるしまい髪でした。
次は、若干「形而上学的」な、
しまい髪です。
お分かりになりますでしょうか。
これは、「エアしまい」と呼ばれるしまい髪です。
この世に存在する、
ありとあらゆるマフラーの巻き方の中でも、
髪の毛をしまっていないことの方が、
やはり数としては多い。
しかしながら、
「時間軸」という概念を入れて
考えてみてください。
このマフラーが、
明日にでも、
髪の毛をしまうかもしれない。
ちょっとお茶しよっと。
って言ってカフェに入って、
文庫本を20ページくらい読んで、
Instagramに、おもむろに
テーブル、文庫本、コーヒー
の3点セットをアップした後に、
そろそろ行こっと。
って言って、外に出る、
はい、その瞬間、にですよ。
マフラーが髪の毛を
しまうかもしれないじゃないですか。
ありえるじゃないですか。
そう考えると、
時間軸を巻き戻したり、早送りしたり、
4次元の目でこの写真を味わうと、
これはもはやしまい髪の一種ではないか。
と、思うわけです。
すみません、若干妄想が
広がりすぎましたが、
まだまだマフラーしまい髪には
可能性が眠っている。
早く秋冬がこないかなあ。
ぼくが住んでいる東京では、
例年11月ごろに、
マフラーの季節が訪れます。
みなさんの住んでいる地域では、
いつごろから観測されるでしょうか。
みなさんも、ぜひ、
あたらしいしまい髪を
発見してみてください。
(おわります。ありがとうございました。)