こんな今日にも空はある。
月曜の朝、目が覚める。
慌てて満員電車に乗り込めば、かばんを持つ手がきしむ。
オフィスのカフェでコーヒーを飲み、
新聞を読めたら今日はまぁ合格でしょうと思うと、
遠くまで来てしまったような気がして、ちょっとさみしい。
メンバーの仕事をチェックしていると、スマホが震える。
朝10時以降はメールがやまない。
が、そのほとんどは私に関係がない。
打ち合わせのたび、都心の真新しいビルを往復する。
いつもちょっと遅刻しそうでちょっと慌てている。
横断歩道に差し掛かる。
あいにくの赤信号。無意識にむっとする。
思い出したように、空を見やる。
ビルの合間に真っ青で、高い、高い、空が広がっている。
その空の下には、私がいる。
空は続いている。
たとえば中学時代、給食のソフト麺を食べ終え、
中庭のつつじの花壇に腰掛けて友だちと談笑しつつ
「何だか平和で、何にもない一日。
いつかこんな日々さえも
懐かしく思い出すことがあるのかな」と空をみやった私。
たとえば高校時代、「こんないいお天気の日に何故、
教室の机に座っていないといけないのかしら」と
嫌気がさして飛び出してはみたものの、
特段なんのやる気も起きずに
屋上に座って、ただただ空を見上げていた私。
たとえば大学時代、舞台作りに夢中になって、
お金はなくても仲間はいて
「私、たった今ならこの瞬間に死んでもしあわせ、
でも未来の私はそこじゃまだ死ぬなって言うかな」
なんて思いながら、自転車で風に乗って、
青空めがけて坂道を走らせた私。
そんなたくさんの私がこの空の下に、今生きている気がする。
“好き”について、“空”について考えすぎた私は、
すこし混乱していたのかもしれない。
ふいにそんな心持ちになって、
ふふと笑いながら、横断歩道を渡った。
もっと彼女たちがすくすくと好きに生きていけますよう。
一番お姉さんの私は、今日もがんばっていきますか。
時間だって、距離だって、あっという間に超えていく。
ちょっとしたその時々の感情なんて、
空の果てしなさの前には、あっという間に吹き飛んでしまう。
そして、私に遠くから果てない力をくれる。
そんな風にいつも、見守ってくれている空が好きだ。
(おわります。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました)