24歳の焦り
好きなことをやめるということ
大好きな「書く」ことを仕事にしないと決めたけれど、
文章を書く機会には恵まれた。
新卒で入った会社では新聞連載を書く機会があった。
月に一度だけ、短い記事だったけれど、
毎月掲載紙を見るたびに胸が踊った。
書くことへの欲求を満たす、
充分な喜びを与えてくれる仕事だった。
だけどその後営業に異動になって、
他にもいくつか負荷の高い出来事が重なった。
私は鬱屈とした気持ちを、書くことで発散させた。
断片的だったものをひとつの形に仕上げると、
現実の問題は何も解決していないのにとてもすっきりした。
でも同時に、目標もなく書き続けることに
意味はあるのだろうかと考える自分もいた。
自分と書くこととの距離感に悩んでいるとき、
20歳近く年上のひとと知り合った。
そのひとは本が好きで、書くことが好きで、
小説家になりたくて、ずっと物語を書いてきたそうだ。
そのひとは30歳になったとき、
何年も応募してきた賞を、渾身の一作で逃し、
小説からすっぱり足を洗ったのだと言う。
潮時だと感じたそうだ。
そのひとはまた、受賞作を読んで、
「完敗」
だと思ったとも言った。
自分が30年かけて積み上げて来たものを、
あっさり飛び越え更に上をいく大きな才能を前にして、
書くことをやめることができたのだと。
誰にも、夢を諦めるときは訪れるかもしれない。
たとえばプロ野球選手やタカラジェンヌのように、
年齢制限のある夢もある。
だけど書くことについて、いつまでという区切りはない。
書き続ければチャンスはあったのではないか。
「そのとき」が来たからと、切り替えられるものなのか。
聞きたいことはたくさんあったけれど、
私は神妙な顔をして、何も尋ねることができなかった。
書くことはやめるべきだという、私にもふさわしい、
もっともらしい理由を知るのが恐かったのだ。
何年も会っていないけれど、たまにそのひとを思い出す。
いっそ好きじゃなくなったほうが、
楽に生きられるのでしょうか?
聞けなかった問を投げかける。
30歳になって
それでも書くことが好き
ひとつ年をとるごとに、
私と書くこととの距離は遠くなる気がしていた。
それは、私の生活が安定しているからでもある。
振り返ってみると、書くことへの衝動がおとなしい日々は、
私の毎日は平穏だった。
子供のころ、うまく周囲と関係を調整できなかった私は、
自分だけで世界をつくることができる「書く」ことに
支えられてきた。
それがだんだん社会とうまく付き合えるようになって、
いつの間にか外の世界も楽しく賑やかになった。
私は書かなくても自分を保っていられるようになった。
あのひとが30歳と言ったからではないと思うけれど、
30代からの私は書かなくても生きていけるかもしれない。
ずっと書くことが側にあったから、
考えると少し寂しかったけれど、
私にも「潮時」というものが来たのかもしれない、
そうならば受け入れよう、と思うようになっていた。
そんなときに、ふるさとの熊本で地震が起きた。
虫の知らせというものだったかもしれない。
一人娘の割に薄情な私は、
年に一度お勤めのような気分で帰省していたというのに、
その夜すぐに、翌日の飛行機を手配した。
高度を下げていく飛行機の窓から見た街の灯りは、
記憶よりもとても大きく眩しくて、
「ああ、大丈夫だったんだ」と思った。
でもその数時間後に大きな揺れが来て、
もう一度ぜんぶひっくり返ってしまった。
たくさんのものが壊れ、これからいろいろなものが
損なわれていくのだろうと思った。
その中で、私は書くことと向き合うことになる。
何を言っても誰かが傷つく状況の当事者になった。
普段なら見過ごされるような言葉も過剰に力を持つ。
自分が書いたことから生まれた摩擦を、
私は受け止めなくてはいけなかった。
じゃあ何も語らない方がよかったのかと考えれば、
それでも書いてよかったと思う。
もうひとつ、気づいたことがある。
書くことが好きなだけなら、
誰にも見せずにしまっておいてもいいはずだ。
でも、私はそれを誰かに読んで欲しいと思った。
傷つけ、傷つき、それでも書きたいと思う自分に、
私は「書くことがあれば生きていける」と思いながら、
本当は世界と繋がりたかったんだとようやく気づいた。
書くことができれば外の世界は暗闇でもいい、
そう思っていたけれど、
本当は、私は書くことで世界と繋がっていた。
書くことが生む責任と痛みで、改めて、書くことは
私にどれだけのものを授けてくれるかを思い知った。
書くことが好きじゃなければ、私の人生はもう少し
シンプルになっていたかもしれない。
それでも書き続けるのは、結局書くことが好きだから。
これまで誰かの書いた文章に救われてきたように、
私が書いたものも誰かに届いて、
もしかしたら、今日はいい日だったと思ってもらうことが
できるかもしれない。
それを想像すると、書くことが好きでよかったと思える。