コンビニで、手軽に食べ物が買えるようになった。
ワンコインでも十分、食事ができる。
テレビに映し出される映像は、刺激や生々しさを通さない”ザル”にかけられるようになった。
平成生まれのわたしたちに与えられるものはいつだって、親切で手軽で、キレイだ。
だからはじめて魚をさばいた時、思っていたよりずっと血の色が黒かったことに驚いた。
骨はなかなかしぶといし、頭を切り落とすのは力がいる。
何度洗っても、しばらく爪が生臭い。
エビだって、頭を取って殻をむいて、そのわりに食べられる部分なんてほんのちょこっと。
頭ではわかっていたけれど、さばいてみてはじめてわかった。
魚が身をもって教えてくれたのだ。
わたしのおじいちゃんは、骨付きの魚を食べるのがすごく上手で、それは几帳面さゆえだと思っていた。
頭と骨だけを残して、身は少しも残さずキレイに食べる。
それも本当は、命をいただくことの大切さを知っているからなんだということも、魚をさばいてからわかった。
生き物を食べることって、手間がかかって、キレイなだけじゃなくて、重たい。
自分が“生きること”に直結しているのに、手軽なわけ、ないんだよな。
そういうことに気づいてから、「いただきます」の重みが増した。
そしてその分、おいしさもひとしおになった。
だからわたしは今日も、めんどくさいけれど魚をさばいて、ありがたくいただきます。
最後までお付き合い、ありがとうございました。
お粗末さまでした。