サッカー“観戦”の英才教育
「フランス大会は膝に乗っけて見てたなぁ。
まだちびっちゃかったなぁ…。」
隣の席の父がしみじみと言う。
私はワールドカップのロシア大会予選を
父とスタジアムに観にきていた。
振り返ってみると、
フランス大会は1998年。
1994年うまれの私は、まだ4歳だった。
サッカーを観るようになったきっかけは父にある。
サンキューパパ!おかげで私いまチョー楽しい!
日本代表戦の朝は
キックオフの時間確認からはじまる。
放送開始時にはTVの前で2人そろって正座。
普段は聞かない大声を出して応援する父を、
素直な娘はまねした。
この高揚感、そりゃあ好きにもなるでしょう。
いわばサッカー“観戦”の英才教育だった。
たとえ日本が深夜でも、サッカーは特別。
一度早めに寝てから、
試合開始の時間に起こしてもらう。
外は真っ暗で人の気配もなく、母も寝ているなか
父と2人でそっとリビングに降りていき
TVの前でワーワーヤーヤー騒ぐ。
静かな街のなかで、
この部屋だけはスタジアムにつながっていた。
オリジナル応援歌を
TVに向かって歌っていたことも覚えている。
「おにぎりつくって、はいどうぞ♪」
幼い私は頑張る選手のために
エアおにぎりをにぎってあげていた。
なんてかわいいんだ私!
なんて恥ずかしいんだ私!
ゴールキーパーってかっこいい!
はじめに好きになったのはゴールキーパーだった。
だって、11人のチームのなかで
ゴールを1人で守る姿がかっこいいんだもん。
まったくわかりやすい。
私が鮮明に覚えている
一番古いサッカーのシーンもキーパーがらみだ。
「血まみれのキーパーがゴールを守っている」
というなかなかのスプラッターものだが、
この“血まみれのキーパー”は
2000年シドニーオリンピック
日本対アメリカ戦の楢崎正剛選手だ。
6歳の私にはとてつもなくショッキングで、
でも、ものすご〜〜〜〜くかっこよかった。
キーパーがいつにも増してヒーローに見えるのは
PK(ペナルティー・キック)戦だ。
ボールを止めたときには
もう神様仏様キーパー様である。
ただ正直なところ、
どんなにサッカーが好きでもPKは心臓に悪い。
私が緊張したってしょうがないのに。
ああダメだ、
これまでのいろいろなPKがよみがえってきて
考えてるだけでぞわぞわしちゃう。
遠藤選手が好きだ!
そんな息の詰まるPK戦を、
いとも簡単に、コロコロッと決めてしまう
日本代表の選手がいた。
手足の長い強面な対戦国のキーパーも
肩透かしをくらっているかのようで、
むしろ笑っちゃってたりする。なんなんだ!?
気になって背番号7を追って見ていると
ピッチ上のプレーも、
ガシガシというよりひょうひょうと。そしてうまい。
父のお気に入りの選手でもあった。
「ねえねえ!パパ、この7番だれ?!」
私は、「コロコロPK」の達人
遠藤保仁(えんどう やすひと)という選手を知った。
なんといっても遠藤選手といえば
2010年のワールドカップ南アフリカ大会、
デンマーク戦でのフリーキック。
あの本田圭佑選手が蹴るかと思いきや、
蹴ったのは(わが)遠藤選手だった。
きれいなカーブを描いて
ずどーんとゴールに決まったあのシュートは
今見ても鳥肌が立つ。
うますぎる。彼はコロがしてるだけじゃないぞ!
高校生になると、日本代表戦は
直接スタジアムに観に行くようになり、
私はもちろん“7のENDO”を着た。
友達は若手のイケメン好きで
「渋いねえ」なんて言われたけど。
ヤット(遠藤選手の愛称)だってかっこいいやい!
なんてったってみんな大好きな
ガチャピンにそっくり!
ご本人だって公認よ、
公式コラボグッズまで出てるんだから。
いやー、器もでかい。すばらしい!
彼がゴールを決めた日は、
私のユニフォームをご覧なさいとばかりに
背筋をのばして帰った。
もっと遠藤選手のプレーが見たかった。
彼が所属するのは、海外の強豪チームではなく
日本の「ガンバ大阪」。
知ってはいたけど、そもそも大阪のチーム、
東京の私からは遠く感じる。
遠いよ〜。情報も入らないし仲間もいない!(悲)
そのガンバ大阪に
私はずぶずぶとのめり込んでいく。