もくじ
第1回豆かんてんとの馴れ初め 2017-11-07-Tue
第2回食べれども、食べれども 2017-11-07-Tue
第3回ずっとずっと、食べ続けていく 2017-11-07-Tue

兵庫県の北で育ち、浅草生活10年目。書くお仕事を経て、メーカーの販促をやっています。和菓子に目がありません。

私の好きなもの</br>浅草『梅むら』の豆かんてん

私の好きなもの
浅草『梅むら』の豆かんてん

第2回 食べれども、食べれども

1968年から営まれている甘味処『梅むら』は、
いつ訪れても
私が初めて行った10年前と、何も変わりません。

夏は生成りの、
寒い時期は赤に変わるのれんをくぐります。
阪神タイガースのキャップをかぶった親父さんと、
その息子さんと思しきタオルを頭に巻いた男性が、
カウンターの中から「いらっしゃい」と迎えてくれます。
ふたりとも声の調子は強くも弱くもなく、
飄々とした様子で、
何か尋ねれば必要なことをきちっと返してくれます。
女性の店員さんもいて、
お土産(持ち帰りのこと)を包んだり
注文したものをサッと運んでくれます。

4人がけの座敷が2つとカウンター席だけの店内は、
週末には並ぶこともあるけれど、そんなに待ちません。

なにしろ運ばれてくるまでが速い。
注文すると、器をさっとカウンターへ置き、
寒天と豆を右手でざざっとすくって器に入れます。
量を何かで計っている様子はなく
感覚と視覚なのでしょう。
手際のよさに「格好いいなあ」と、
カウンター席の日はうっとり。

仕上げに黒みつをかけ、
熱い緑茶と一緒に目の前へ。

黒々とした艶のある豆と寒天を
銀色のスプーンで混ぜ、口に運びます。
ふっくらと炊かれた赤えんどう豆の皮が
抵抗なくプチッと破れ、
サラサラとした豆の舌触りと
ツルツルとした寒天の食感が口の中で混じります。
赤えんどう豆はクセがなく、
寒天の天草のよい香り。
そこに黒みつが絡んで甘さがフワーッと広がるけれど、
喉を通過する頃には、また口の中はさっぱり。
だからスプーンですくう手が
食べ終わるまで止まらないのです。

なぜ、こんなにシンプルな存在に惹かれるのか。
食べれども、食べれども、答えが出ない。
それならばいっそ、
気になっていたことや知らないことを聞いてみよう。
『ほぼ日の塾』がきっかけで、
私は初めて注文以外のお願いをすることにしました。

ガラガラと、いつもの扉を開けます。
「いらっしゃい」といつもの声。

「お土産で、豆かんてんを2つ。
 ・・・・それと、あの、突然なんですが
 取材をさせていただけないでしょうか。
 私、浅草に住むニイミと言います。
 ここの豆かんてんが好きで、
 それについて“私の好きなもの”というテーマで
 『ほぼ日刊イトイ新聞』というWEBサイトに
 文章を書きたいんです」

馴染みのお店ですが、
だからこそ、突然のお願いで
お店の人に迷惑をかけたらどうしよう。
これまでのお店の人とお客という関係性が
崩れてしまったらどうしようと、
妙に緊張しました。
精一杯、声を振り絞って、
事前に用意しておいた企画書めいた手紙も
カウンターの中にいた若いほうの男性へ渡しました。

すると
「ああ、いいですよ。
 いつも来てくれてるでしょ。いつがいいですか」。
なんと、即答で快諾。

私がいつも食べに来ていることを
覚えていてくれたんだ。
そして、話を聞かせてもらえるんだ。

うれしさと興奮が入り混じりながら、
暗くなり始めた雨の道をずんずん歩いて帰りました。

(つづきます)

よもやま 「黒みつの量」

お店で食べても、お土産でも、
いつも黒みつの量が「ちょうどいいなあ」と思います。
当たり前だとお店の方に怒られそうですが、
食べるたび感心するのです。

ちょうどいいと言ってもぴったりというのではなくて
食べ終わったとき、器の底にちょっと余ります。
それがいつももったいなくて、
最後はスプーンですくって、ひと口。
そして、その甘さを味わいながら、
「ああ、食べてしまった・・・・」と
切ない気持ちに襲われるのです。

切なくなるのは、
甘さが口の中から消える寂しさからかもしれません。
仮に、その甘さがいつまでも舌の上にあれば
「ああ、おいしかった」
という満足感で終わるでしょう。
体調によっては
「しばらくいいかな」と思うかもしれない。

『梅むら』の黒みつは引きずりません。
口に神経を集中していても
気がつくと、さっと消えているのです。

だから食べる手が止まらないし、
また食べたいと、恋い焦がれてしまうのでしょう。

第3回 ずっとずっと、食べ続けていく