名前を聞かれるたびに、恥ずかしくて縮こまる。
その状況が変わってきたのは、大学生になってからだ。
生まれてから高校までを千葉で過ごしたが、
大学ではじめて東京に出ることになった。
アメリカで生まれ育った子。
有名な会社の社長令嬢。
髪がピンク色の子。
ピアスが10個くらいあいている子。
学生にして会社を興した子。
東京の大学には、いろんな人がいた。
その多様性の中にあって、「苗字が珍しい」なんて
大したことではなくなった。
自己紹介をしたときに
「かっこいい名前だね!」と言われて嬉しくなったのは、
大学1年生のときだ。
いいなあと思っていた男の子に、
「珍しい苗字、羨ましいな。俺も『鼈宮谷』になりたいなあ」と言われて
「遠回しなプロポーズ!?」と舞い上がったのは、大学3年生のときだ。
社会人になってからは、さらにこの苗字の恩恵を受けることになった。
クライアント訪問で名刺を差し出すと、それだけで話が弾む。
一度会っただけで、確実に覚えてもらえる。
「ベッキーさん」というあだ名で呼ばれると、
クライアントのお偉いさんとも、なんとなく打ち解けやすくなる。
この名前に生まれたことを、初めて「ラッキーだ」と思った。
そういえばこんなこともあった。
ある日、仕事の問い合わせメールを送った先から、
「もしかして○○大学出身の鼈宮谷さんですか?」
と、折り返しの電話が来た。
なんとその人は、学生時代のアルバイト先の先輩で、
メールの署名にある「鼈宮谷」を見て、
この苗字で人違いはさすがにないだろうと確信し、
わざわざ電話をかけてきてくれたのだ。
苗字が、思いがけない再会を運んでくれた。
大人になって、私は少しずつ
「鼈宮谷」と上手に付き合えるようになった。
子どもの頃は敵だと思ってきたこの苗字を、
同士のように思えるようになってきた。
めでたしめでたし。
と締めたいところだが、まだ続きがある。
***
散々「鼈宮谷」について語ってきたが、
実は私はもう、「鼈宮谷」ではないのである。
結婚はしばらくしないなあ、と思っていたけれど
なんだかタイミングよくいろんなことが進み、
2016年の春、ベトナム・ハノイの日本大使館で婚姻届を出した。
(夫も私も、ベトナム駐在中だったのだ)
届けを出したその日に、母にLINEで連絡をした。
「婚姻届を出しました」
すぐに返事が来た。
「おめでとう、小寺千尋さん\(^o^)/」
そして私は、「小寺」になった。
今はもう、「珍しいお名前ですね」とは言われない。
つまり、子どもの頃の夢が叶ったのだ。