もくじ
第1回早く結婚して、苗字を変えたい。 2017-12-05-Tue
第2回“同士”になった苗字 2017-12-05-Tue
第3回私と苗字の今 2017-12-05-Tue

東京の下町で楽しく暮らしています。カントリーマアムと本屋が好きです。

嫌いだった苗字のこと

嫌いだった苗字のこと

担当・べっくや ちひろ

第2回 “同士”になった苗字

名前を聞かれるたびに、恥ずかしくて縮こまる。
その状況が変わってきたのは、大学生になってからだ。

生まれてから高校までを千葉で過ごしたが、
大学ではじめて東京に出ることになった。

アメリカで生まれ育った子。
有名な会社の社長令嬢。
髪がピンク色の子。
ピアスが10個くらいあいている子。
学生にして会社を興した子。

東京の大学には、いろんな人がいた。
その多様性の中にあって、「苗字が珍しい」なんて
大したことではなくなった。
 

自己紹介をしたときに
「かっこいい名前だね!」と言われて嬉しくなったのは、
大学1年生のときだ。

いいなあと思っていた男の子に、
「珍しい苗字、羨ましいな。俺も『鼈宮谷』になりたいなあ」と言われて
「遠回しなプロポーズ!?」と舞い上がったのは、大学3年生のときだ。
 

社会人になってからは、さらにこの苗字の恩恵を受けることになった。

クライアント訪問で名刺を差し出すと、それだけで話が弾む。
一度会っただけで、確実に覚えてもらえる。
「ベッキーさん」というあだ名で呼ばれると、
クライアントのお偉いさんとも、なんとなく打ち解けやすくなる。
この名前に生まれたことを、初めて「ラッキーだ」と思った。
 

そういえばこんなこともあった。

ある日、仕事の問い合わせメールを送った先から、
「もしかして○○大学出身の鼈宮谷さんですか?」
と、折り返しの電話が来た。

なんとその人は、学生時代のアルバイト先の先輩で、
メールの署名にある「鼈宮谷」を見て、
この苗字で人違いはさすがにないだろうと確信し、
わざわざ電話をかけてきてくれたのだ。

苗字が、思いがけない再会を運んでくれた。
 

大人になって、私は少しずつ
「鼈宮谷」と上手に付き合えるようになった。
子どもの頃は敵だと思ってきたこの苗字を、
同士のように思えるようになってきた。

めでたしめでたし。

と締めたいところだが、まだ続きがある。
 

***
散々「鼈宮谷」について語ってきたが、
実は私はもう、「鼈宮谷」ではないのである。

結婚はしばらくしないなあ、と思っていたけれど
なんだかタイミングよくいろんなことが進み、
2016年の春、ベトナム・ハノイの日本大使館で婚姻届を出した。
(夫も私も、ベトナム駐在中だったのだ)

届けを出したその日に、母にLINEで連絡をした。
「婚姻届を出しました」

すぐに返事が来た。
「おめでとう、小寺千尋さん\(^o^)/」
 

そして私は、「小寺」になった。

今はもう、「珍しいお名前ですね」とは言われない。
つまり、子どもの頃の夢が叶ったのだ。

第3回 私と苗字の今