もくじ
第1回早く結婚して、苗字を変えたい。 2017-12-05-Tue
第2回“同士”になった苗字 2017-12-05-Tue
第3回私と苗字の今 2017-12-05-Tue

東京の下町で楽しく暮らしています。カントリーマアムと本屋が好きです。

嫌いだった苗字のこと

嫌いだった苗字のこと

担当・べっくや ちひろ

第3回 私と苗字の今

「名前、変えちゃうの?」といろんな人に言われながら、
私はあっさりと苗字を変えた。
自分でも意外なほどに抵抗はなかった。
そんなもんか、と思った。

区役所や病院で「小寺さん」と呼ばれるのも、すぐに慣れた。
ようやく、嫌いだった苗字を同志のように思えてきたのに、
手放すことに特に感慨を持てなかったことが、
悪いことのような気がして、なんとなくもやもやしていた。
 

だけど、この前、こんなことがあった。
 

今年の夏、初めての出産をした。

8月中旬のとある昼間、私は産婦人科の分娩台の上で、
8時間の陣痛を経てのラストスパートに挑んでいた。

気づけば大勢の助産師さんが、分娩台をぐるっと囲んで
名前を呼びながら私を励ましてくれている。

「小寺さん、もう少しだからね!」
「小寺さん、はい目を開けて、こっち見て」
「小寺さん、はい息吸って、はい、止めて!」

体力をほぼ使い果たし、こちらはもう必死である。
とにかく言われるがまま、息を吸ったり吐いたりしながら
朦朧とする意識の中で、私はこんなことを考えていた。

「鼈宮谷さん、と呼ばれたかったな」

もしかしたら一生に一度かもしれない、
子どもを産むという大事な局面にありながら

いや、大事な局面だったからこそ、
私はそんなことを考えていた。

極限状態にあって、私のアイデンティティは「鼈宮谷」にあった。
昔はあんなに嫌だった苗字を、そういうふうに思ったこと。
振り返ると、そのときに考えるべきことは他にあるだろうと思うが、
私はなんだかとても嬉しかった。
 

結婚したあとも、仕事の名刺は旧姓のままだ。
「鼈宮谷のほうが、覚えてもらえて便利だから」
と理由をつけて、旧姓を使っていた。

だけど結局、
「なんだ、私、自分の苗字けっこう好きなんじゃん」
ということなのだ。

分娩台での出来事を経て、
私は自信を持ってそう言えるようになった。
 
昔は“敵”だった苗字はいつか“同士”になり、
今は、離れたところで温かく見守ってくれている、
帰るべき港のような存在だ。
 

子どもの頃は、25歳くらいで結婚して、
筆と墨で書いても真っ黒にならない、
先生に一発で読んでもらえて、
電話口で何度も聞き返されることもない、
普通の名前になりたいと思っていた。

苗字が変わったら、いろんなことが
うまくいくんじゃないかと思っていた。

だけど実際は、25歳では手痛い失恋をしているし、
苗字が変わったところで悩みは尽きないし、
先生に名前を呼ばれる機会なんてそうそうないし、
なんならあれほど嫌だった「鼈宮谷」が
好きになっていたりする。
 

そういえば、子どもの頃は食べられなかったしいたけも
昔は乗れなかったジェットコースターも、
いつの間にか好きになった。

「どうしてあんなに嫌いだったんだろう」
世の中には案外、そういうことがたくさんある。
 

もしかしたら、今大嫌いなものも、
いつか大好きになれる日が来るのかもしれない。
それが大人になるということだとしたら、
大人になるって、けっこう楽しいことじゃないか。
 

これから何年も経って、いつかおばあちゃんになって、
鼈宮谷歴より小寺歴のほうが長くなったとき。

今よりもっともっと、好きなものが増えているかもしれない。
そのことが、今からとても楽しみだ。

(終わります。読んでくださり、ありがとうございます)