「ちいさなブイヨンができるまで」  海洋堂原型師 松村しのぶ 飼い主 糸井重里 対談

05 俄然、おもしろくなる。

糸井 海洋堂のスタートは、
たしか模型屋さんですよね。
松村 そうです、もともとは
プラモデル屋ですね。
糸井 そこに、作る人たちが集まった。
松村 ええ。昔のプラモデルっていうのは、
ほんとに好きな人にとって、
ほしいものがなかったんですね。
ないなら自分たちで作ろうっていうんで
個人個人で作る人たちが出てきたんです。
糸井 プラモデルのパーツに熱を加えて曲げたりして、
自分で形をアレンジしはじめたあたりに、
フィギュアの萌芽があったということですよね。
松村 そうです、そうです。
みんな自分なりに、手を加えはじめたんです。
糸井 GIジョーを改造したりして。
松村 そうそうそう。
タミヤのちっこい人形を改造して、
違う漫画のキャラクターにしちゃったり。
糸井 (まわりのスタッフに)
その時代ってまだ知らないと思うけど、
つまり、プラモデルのパーツのひとつとして
兵隊なら兵隊があるわけよ。
それに熱を加えて曲げたりして、
女にもできる。やる気になればさ。
一同 へぇー。
糸井 で、好きな者同士がつながって、
海洋堂さんに集まっていた、
はじまりは、そういう時代ですね。
松村 そうです。
俺なんかは、途中から入ったので
黎明期のことはあまり知らないんですけど、
たとえば昔のゴジラとか、
自分が好きな怪獣の
リアルな人形がないっていうんで
自分で作ったのが、最初みたいです。
ゴジラとか、映画によって
着ぐるみのスーツも
ちょっとずつ違うんですね。
それを作りわけたり、
そういうことからはじまってますよね。
糸井 いま、社員は何人くらいいるんですか?
松村 30人ぐらいです。
糸井 ほとんどが職人ですか。
松村 いや、それが、だんだんと
世代交代の時期でもあって、
作るほうを知らないスタッフも
増えてきてます。
以前は、ひとつの仕事をするときに、
専務、今の社長なんですけど、
専務と俺みたいな作る人間が
1対1で、ほとんどの仕事をやってたんです。
「今度これが入ったんや。これこれ、こういう仕事や」、
「やりまっせー」って感じで。
糸井 プロデューサー的な役割の人と、
作る人間がいればよかったんだ。
松村 ええ、これまではなんとなくそれで
まわっていってたんです。
いまは体制が変わって、
専務の下にそれぞれ担当者がついて、
彼らが交渉からなにから全部やる。
まぁ、言ってみれば、
普通の会社のシステムになったんですが、
今度は、そこでの意志の疎通が、
むずかしいんですね。
糸井 ああ、それは、
しょうがないかもしれないですね。
松村 専務は作ることにもくわしいので
話が早かったんですが、
いまは間に入ってる担当者が、
技術的なことに詳しくないので、
「これは、なんでしょうか?」
みたいなことになったりします。
糸井 おそらくそれは、どこにでもある
社員30人くらいの規模の会社の
共通の悩みでもありますね。
松村 部署もつくらなくちゃいけないし。
糸井 誰かは税務署と
話をしなきゃいけないわけだから(笑)。
でも、ふつうのシステムになってきたとはいえ、
海洋堂という会社自体、
やっぱりかなりおもしろい会社ですよね。
松村 ふつう、フィギュアの制作会社は、
こんなことやってないですからね。
もっと、どストライクなもの、
今だったら女の子フィギュアとか
ロボットとかアニメのキャラクターとか、
そういうので、
みんな、ガッツリ勝負してるんですけど、
海洋堂だけは昔から、
ちょっと違うところでやっていて‥‥。
自分たちの作るものが、
いつもの「フィギュアのお客さん」のなかだけで
完結するんじゃなくて、
ほかに訴えるもの、伝えるものが、
もっとなにかあるんじゃないか。
自分たちが作る意味が
なにかあるんじゃねえかって、
常に思ってるんですよ。

でも結局、俺らが作るものを、
よくできてるって思ってくれる人は、
やっぱり、
いつものお客さんだったりするんですけど。
でも、わかってくれる人が
どっかにもっといるんじゃないか
という希望もあって。
その希望を拠りどころに、
いろんなことをやり続けてるんですけどね。
希望とあきらめが、出ては引っ込み、
出ては引っ込み、みたいな感じです。
糸井 その問いの答えは、
最後には、100年後の人がどう見るか、
ということかもしれないですね。
松村 ああ。
糸井 「100年前、海洋堂という会社があって、
 こういうのを作ってたんだよ」って。
松村 「よくやるよねー」って言われるな(笑)。
一同 (笑)
糸井 100年後の人は、フィギュアといえば、
みんな美少女とかロボットを作っていたなかで、
こいつら、なんだったんだろうって、
喜びますよ。

いまぼくらがやってることとか、
思ってることっていうのも、
この考え方に近くなっているんです。
「未来からこちらを見る」というふうにしてしか、
いろいろなことの答えは、出せなくなった。
そして、震災以後はおそらく、
なにかが変わっていくんでしょうね。
松村 そうですね。
俺らの業界はあまり変わらないんじゃないかとは
言われてるんですけど、
やっぱりなにかが、変わっていくでしょうね。
(つづきます)

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2011-06-16-THU