糸井 |
海洋堂のスタートは、
たしか模型屋さんですよね。
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松村 |
そうです、もともとは
プラモデル屋ですね。
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糸井 |
そこに、作る人たちが集まった。
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松村 |
ええ。昔のプラモデルっていうのは、
ほんとに好きな人にとって、
ほしいものがなかったんですね。
ないなら自分たちで作ろうっていうんで
個人個人で作る人たちが出てきたんです。
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糸井 |
プラモデルのパーツに熱を加えて曲げたりして、
自分で形をアレンジしはじめたあたりに、
フィギュアの萌芽があったということですよね。
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松村 |
そうです、そうです。
みんな自分なりに、手を加えはじめたんです。
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糸井 |
GIジョーを改造したりして。
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松村 |
そうそうそう。
タミヤのちっこい人形を改造して、
違う漫画のキャラクターにしちゃったり。
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糸井 |
(まわりのスタッフに)
その時代ってまだ知らないと思うけど、
つまり、プラモデルのパーツのひとつとして
兵隊なら兵隊があるわけよ。
それに熱を加えて曲げたりして、
女にもできる。やる気になればさ。
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一同 |
へぇー。
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糸井 |
で、好きな者同士がつながって、
海洋堂さんに集まっていた、
はじまりは、そういう時代ですね。
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松村 |
そうです。
俺なんかは、途中から入ったので
黎明期のことはあまり知らないんですけど、
たとえば昔のゴジラとか、
自分が好きな怪獣の
リアルな人形がないっていうんで
自分で作ったのが、最初みたいです。
ゴジラとか、映画によって
着ぐるみのスーツも
ちょっとずつ違うんですね。
それを作りわけたり、
そういうことからはじまってますよね。
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糸井 |
いま、社員は何人くらいいるんですか?
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松村 |
30人ぐらいです。
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糸井 |
ほとんどが職人ですか。
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松村 |
いや、それが、だんだんと
世代交代の時期でもあって、
作るほうを知らないスタッフも
増えてきてます。
以前は、ひとつの仕事をするときに、
専務、今の社長なんですけど、
専務と俺みたいな作る人間が
1対1で、ほとんどの仕事をやってたんです。
「今度これが入ったんや。これこれ、こういう仕事や」、
「やりまっせー」って感じで。
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糸井 |
プロデューサー的な役割の人と、
作る人間がいればよかったんだ。
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松村 |
ええ、これまではなんとなくそれで
まわっていってたんです。
いまは体制が変わって、
専務の下にそれぞれ担当者がついて、
彼らが交渉からなにから全部やる。
まぁ、言ってみれば、
普通の会社のシステムになったんですが、
今度は、そこでの意志の疎通が、
むずかしいんですね。
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糸井 |
ああ、それは、
しょうがないかもしれないですね。
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松村 |
専務は作ることにもくわしいので
話が早かったんですが、
いまは間に入ってる担当者が、
技術的なことに詳しくないので、
「これは、なんでしょうか?」
みたいなことになったりします。
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糸井 |
おそらくそれは、どこにでもある
社員30人くらいの規模の会社の
共通の悩みでもありますね。
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松村 |
部署もつくらなくちゃいけないし。
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糸井 |
誰かは税務署と
話をしなきゃいけないわけだから(笑)。
でも、ふつうのシステムになってきたとはいえ、
海洋堂という会社自体、
やっぱりかなりおもしろい会社ですよね。
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松村 |
ふつう、フィギュアの制作会社は、
こんなことやってないですからね。
もっと、どストライクなもの、
今だったら女の子フィギュアとか
ロボットとかアニメのキャラクターとか、
そういうので、
みんな、ガッツリ勝負してるんですけど、
海洋堂だけは昔から、
ちょっと違うところでやっていて‥‥。
自分たちの作るものが、
いつもの「フィギュアのお客さん」のなかだけで
完結するんじゃなくて、
ほかに訴えるもの、伝えるものが、
もっとなにかあるんじゃないか。
自分たちが作る意味が
なにかあるんじゃねえかって、
常に思ってるんですよ。
でも結局、俺らが作るものを、
よくできてるって思ってくれる人は、
やっぱり、
いつものお客さんだったりするんですけど。
でも、わかってくれる人が
どっかにもっといるんじゃないか
という希望もあって。
その希望を拠りどころに、
いろんなことをやり続けてるんですけどね。
希望とあきらめが、出ては引っ込み、
出ては引っ込み、みたいな感じです。
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糸井 |
その問いの答えは、
最後には、100年後の人がどう見るか、
ということかもしれないですね。
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松村 |
ああ。
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糸井 |
「100年前、海洋堂という会社があって、
こういうのを作ってたんだよ」って。
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松村 |
「よくやるよねー」って言われるな(笑)。
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一同 |
(笑)
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糸井 |
100年後の人は、フィギュアといえば、
みんな美少女とかロボットを作っていたなかで、
こいつら、なんだったんだろうって、
喜びますよ。
いまぼくらがやってることとか、
思ってることっていうのも、
この考え方に近くなっているんです。
「未来からこちらを見る」というふうにしてしか、
いろいろなことの答えは、出せなくなった。
そして、震災以後はおそらく、
なにかが変わっていくんでしょうね。
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松村 |
そうですね。
俺らの業界はあまり変わらないんじゃないかとは
言われてるんですけど、
やっぱりなにかが、変わっていくでしょうね。 |
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(つづきます) |