きょうの対談は、
みなさんがふだんされている話の、
反対のことを話す場になる気がします”

広告・マーケティングの未来を語り合う
国際会議「アドテック東京 2017」での、
JR九州の唐池恒二会長と糸井重里の対談は、
このような言葉からはじまりました。

唐池さんといえば、
豪華寝台列車「ななつ星」の生みの親。

ご自身の経験をもとに、
人を感動させる秘訣のようなものを、
糸井とたくさん語ってくださいました。

さまざまなヒントに満ちた、全4回です。

糸井
「メディアをつくる」という話も
ディズニーランドとかなら、
もっとわかりやすいと思うんです。
唐池
ひと目で全体が見えますからね。
糸井
でも、「ななつ星」の場合は、
昔からあったローカル線を
寝台列車が走って、
しかも、どこに行くわけでもなく、
3日かけて出発駅にもどってくる。
これ、考えようによっては、
その3日間がムダにも思えるんです。
唐池
みなさんにもご説明しますと、
「ななつ星」という列車は、
博多駅を出発したあと、
九州を3日かけて一周して、
また博多駅にもどってくるんです
‥‥ええ、なにか問題でも?
観客
(笑)
糸井
いやいや、そうじゃなくて(笑)、
その「3日間の価値」というのは、
鉄道ができたばかりのころって、
きっとわかんなかったんじゃないかな。
唐池
いまので思い出しましたが、
由布院の代表的な温泉旅館に
「亀の井別荘」がありますよね。

そこの創業者の中谷健太郎さんと
お話しているときに、
「由布院が提供しているのは、
非日常ではなくて、
こんな日常生活があったらいいなぁ、
を提供している」と、
そうおっしゃったんです。
糸井
うわぁ、それいい!

唐池
深いでしょう。
糸井
ああ、いいですねぇ。
唐池
ディズニーランドは「夢の国」という
非日常を提供していますが、
由布院はそうじゃない。

それは「ななつ星」もいっしょで、
「こんな日常があったらいいなぁ」を
提供している気がするんです。
糸井
日常というのは、
「生活」でもあるんですよね。
唐池
おっしゃるとおりです。

「ななつ星」には14の客室があって、
ときどき「走るホテル」と
表現される方もいらっしゃいますが、
わたしは「走る生活」といっています。
糸井
ああ、なるほど。
唐池
14組の方が14のお部屋に
お泊りになりますが、
お食事のときは
同じダイニングカーに集まって、
みんなでいっしょに食事をとります。

なので、お客さま同士も
自然と仲良くなっていくんです。
これは「ホテル」というより、
江戸時代の「長屋」に近い。

糸井
そうか、長屋ね。
唐池
そういうことを
デザイナーの水戸岡さんにお話しすると、
やっぱり「町づくり」「生活づくり」の
観点で列車をデザインされているんです。
糸井
つまり、動く町であり、動く生活であると。
唐池
はい、動く「おいしい生活。」です(笑)。
観客
(笑)
糸井
いってくださって
ありがとうございます(笑)。
いまの「おいしい生活。」にも
ちょうど関係する話なんですが、
「生活」というものが、
本当に向かいたい場所って、
ハレとケでいう「ケ」の部分が
「いちばんうれしいものでありますように」
ということだと思うんです。
唐池
ああ、ああ。
糸井
ぼくが「おいしい生活。」という
コピーをつくったのが、
1981年だったと思うのですが、
そのころに「おいしい生活。」の
見本のようなものを見たんです。
唐池
見本ですか?
糸井
「おいしい生活。」は、
西武百貨店の広告だったんですが、
そのときの打ち合わせには、
もうお亡くなりになりましたが、
セゾングループ創業者の
堤清二さんがいつも
来てくださっていました。
その堤清二さんが、
打ち合わせ終わりに、
ごはんをごちそうしてくれるんです。

西武百貨店の本社に
そういう場所がありまして、
そこのごはんがとっても良かった。
唐池
へえーー。
糸井
とくべつなものじゃなくて、
おいしく炊いたいいお米と、
お味噌汁と、ふつうの干物と、
ポテトサラダに焼き海苔と、
つまり、ちょっと気のきいた
旅館の朝食みたいな感じなんです。
唐池
ああ、いいですね、そういうの。
糸井
いいですよねぇ。

そのときに思ったんです。

けっきょく自分が望んでることって、
ものすごいごちそうを
どんどん出されることじゃなくて、
毎日ムリなく食べられて、
それがとっても選ばれたもので、
「これいいよねぇ。これ好きだなぁ」
っていっちゃうような、
そういうものなんじゃないかって。
だから、もし自由が手に入るなら、
これからの時代は、ぼくもみんなも、
どんどんそっちの方向に
行くんじゃないかなぁって思ったんです。

唐池
糸井さんはそのことに、
「おいしい生活。」という
コピーをつくったときには、
もう気づかれていたんですね‥‥。
糸井
もし人間をいちばん短くいうなら、
「生まれて、生きて、死んだ」
ということだけです。

大切なのは、
そこが「ああ、よかったな」って
思えるかどうかなんです。

肩書きとか、どんな賞をとったとか、
そんなのは関係ないんです。
そういうところに、
どんどんみんなの意識が
向かっていくような気がしたんです。
唐池
つまり、人間が求める究極の
「たのしみ」や「よろこび」というのは、
じつは「生活」にあるんじゃないかと。
糸井
はい、そう思います。

「メディアをつくる」という話も、
やっぱり「生活」というものが
ヒントになるような気がします。
たとえば、
井戸を掘ることだって
「メディアをつくる」です。

井戸があるだけで、
そこに人は集まってきます。
唐池
長屋の井戸がそうですよね。
糸井
もし町内のだれかが
「犬」を飼いはじめたら、
それも「犬」を中心とする
メディアになります。

みんなが「どうしてる?」って、
関心をよせるわけですから。
唐池
井戸や犬が、
もうメディアなんですね。
糸井
そして、いいメディアは、
必ずコンテンツを呼びよせます。

だれかが犬に「新しいおもちゃ」を
買ったりもするでしょう。

それって、メディア(犬)の中に、
コンテンツ(新しいおもちゃ)を
投入することなんです。

唐池
おもしろいですね。
糸井
いまいったようなことは、
インターネットが普及したおかげで、
よりわかりやすくなりました。

インターネット上なら、
そういう見本がいっぱい見られますし、
自分ですぐにつくることもできます。
でも、インターネットだけだと、
やっぱり「幻のまま」なんです。
唐池
ああ、バーチャルだから。
糸井
そう、実態がないんです。

みんなそのあたりのことに、
うすうす気づいているんじゃないかな。
だからこそ「ななつ星」のような
手間と時間をかけた
実態のある「メディア」に、
人がどんどん
集まりはじめているんだと思います。

(つづきます)

2017-12-16-SAT