第11回 安藤美姫と村主章枝。
永田 アルベールビルオリンピックで
伊藤みどり選手が金メダルを
確実視されながらとれなかったときに、
ひとりの選手に多くのものを
背負わせすぎたという
スケート協会の反省があったと聞きました。
今回のトリノオリンピックで、
レベルの高い日本人選手を
3人送り込むことができたというのも
荒川選手のリラックス、集中に、
つながったのでしょうか?
刈屋 つながったと思いますね、明らかに。
というのは、国内での関心は
どちらかというと、
安藤美姫にいっていましたよね。
彼女に集中してくれたおかげで
荒川と村主は自分の思ったとおりの
調整ができたんじゃないかと思います。
永田 逆にいうと、
安藤選手はつらかっただろうと。
刈屋 つらかっただろうと思います。
永田 ただ、荒川選手にとって
長野オリンピックの失敗が活きたように
つぎのオリンピックへつながるものに。
刈屋 つぎにつながる経験になったと思います。
今回の経験を彼女が確実に活かしたら、
確実にメダルを取れる素材だと思いますね。
永田 なるほど。
刈屋 安藤選手は、素質としては
もう抜群のものを持っていますから。
たぶん安藤美姫さんは、
オリンピックがどういうところか、
今回、はじめてわかったんじゃないかと思います。
つまり、世界選手権は毎年ありますし、
グランプリシリーズも毎年巡ってくる。
けれども、オリンピックでは、
世界の選手たちの調整具合とか
それに臨む気持ちというのが、
まったく違うんですよ。
オリンピックというのは4年に1回、
まさに人生を賭けてくるんですよね。
とくにヨーロッパとかアメリカの選手たちは。
そこでメダルを取れるか、
あるいは注目されるかによって
その後のじぶんの年収や、人生、
すべてが変わってくるわけです。
彼女がはじめて出場したトリノには、
同じ年代のジュニアで一緒にやっていた
キミー・マイズナーとか
エミリー・ヒューズといった選手が
出てきていたわけですが、
あの選手たちの仕上がり具合を見て
驚いたんじゃないかと思うんです。
うわ、こんなに彼女たちは仕上げてきてる、
こんなにすごい練習をしてる、というのを
目の当たりにしたと思いますので、
相当変わってくれるんじゃないかな、
というふうに思いますけどね。
永田 なるほど。
刈屋 そういう厳しい世界、
仕上がった人たちが集まってきたうえで、
その日、誰が「選ばれる」か、
という勝負なんですね。
だからほんとうにわずかな隙があれば
あっという間に順位が5位も6位も下がっちゃう。
それが、オリンピックなんです。
一方の、荒川と村主は、過去の経験から
その厳しさを知っていたということですね。
永田 安藤選手にとって、
トリノオリンピックが
そういう「つぎへの経験」に
なってほしいという刈屋さんの思いが、
実況に込められていたように
ぼくには感じられたんですが。
刈屋 込めました。
永田 刈屋さんにしてはめずらしく
厳しいような言葉も入ってましたよね。
刈屋 はい。
永田 もうひとり、
村主選手はどうだったんでしょう?
刈屋 村主選手は、最高だったと思います。
持てるものをすべて出したと思いますよ。
永田 それで、「選ばれなかった」。
刈屋 「選ばれなかった」。
もう、「選ばれなかった」という、
ただそれだけのことじゃないかなと思います。
永田 ああ、はい。
刈屋 村主選手は、やれるだけのことは
すべてやったと思います。
ただ惜しかったのは、シーズンの中盤ところで
ケガをしてしまったということで
おそらく技の難度を本人がイメージしたところまで
上げきれなかったのかなと。
もし、その技の難度をもう少し上げていれば
メダル争いは、もっともつれたと思いますね。
永田 ああ、なるほど。
ベストは尽くしたけれども、
もう一個大きなワクで広がったかもしれない。
刈屋 彼女はやっぱり4年間、
ソルトレイクから、このトリノまでのあいだに
自分なりにロックを取り入れてみたりだとか、
あるいはコミカルなものをやってみたりとか
演技の幅を広げていって、
こういうこともできるんだよ、ということを
世界のジャッジにアピールしながら、
なおかつ、最後のトリノで集大成として
自分のもっとも得意な
クラシックの部分にもってきて
勝負をかけたわけです。
その彼女の4年間は、見事だったと思います。
そして、実際にそれを、しっかりと
ショートプログラムとフリーで
出せたというのは最高だと思いますね。
永田 ただ、違う言い方をすると、
失敗をせず、自分のベストを尽くしたのに
それがメダルに届かなかったというのは
アスリートとして
いちばんつらいんじゃないかとも思います。
刈屋 つらい、ですよね。
表彰式も全部終わって、
選手たちもみんないなくなったときに
村主選手はひとり戻ってきて
スタンドからリンクをずっと見てましたね。
永田 あああ、そんなことがあったんですか。
刈屋 もうポツンと座って、ずうっと見てました。
いろんなことを思ったんでしょうね。
やれることはやったのか、とか
あそこの部分はもうすこし変えていたら、
みたいなこともあったのかもしれないですし、
それはわかりませんけどね‥‥。
ただ、じいっとリンクを見てました。
永田 村主選手だけは、終わった後にすぐ
つぎのバンクーバーのことを
おっしゃってましたよね。
刈屋 はい。
もしかすると、ああいうかたちで
じぶんの気持ちに区切りを
つけたのかもしれませんし。
でも、村主さんは持てるものを
最高の状態で出せたと思います。

2006-06-19-MON

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN