- ──
- では本題、震災のあとの動きについて、
おうかがいさせてください。
女川では、7割以上の家屋が
なくなってしまったとのことですから、
まさしく
ゼロからの再設計だったわけですね。
- 阿部
- 地震が起きた直後の動きでいうと、
3月20日くらいに
「女川町復興連絡協議会の準備委員会」
が、立ち上がったんです。
- ──
- 震災の9日後。
- 阿部
- 復興連絡協議会というのは、
商工会、魚市場買受人協同組合、
観光協会、漁協、水産加工組合‥‥と
女川の産業団体が
すべてひとつになって結成した団体で、
女川町商工会会長である
高橋正典さんが会長に就任しました。
- ──
- ええ。高橋さん。
- 阿部
- その高橋会長が、町が復興するには
10年20年という時間がかかる、
であるならば、
復興した後の責任世代が中心となって
動かなければダメだ、と。
60歳以上の人間は、
若い連中のサポートに回っていこうと、
指針を出されました。
- ──
- 強いリーダーシップですね。
- 阿部
- そこで復興連絡協議会のメンバーは
50代以下で組織し、
女川の復興まちづくりの計画を
民間独自で、つくりはじめたんです。
- ──
- 民間独自で。
- 阿部
- ええ。
- ──
- それって、やっぱり、
めずらしいこと‥‥なんでしょうか。
- 山田
- 私も女川に赴任してから
その話を聞いたのですが、
にわかには、信じがたかったです。
未曾有の震災だったとは言え、
驚異的というか、異常なことだと思います。
- ──
- そうなんですか。
- 山田
- 7割の家屋がなくなった状態で
「業界」を超えて、
町全体がひとつにまとまったことも、
そういう団体が、
震災数日後に動き出したスピードも。
- ──
- なるほど。
- 阿部
- それに「水産」と「商工」って、
これまで
あんまり接点を持ってなかったんですが、
高橋会長は、「高政」という
カマボコ屋さんの社長さんなんですよ。
- ──
- あ、おいしいですよね。
おみやげでいただいたことがあります。
- 阿部
- つまり、もともと水産系の出身ながら、
商工会の長になった方なので、
水産と商工の間に、
徐々に、関係ができてきていたんです。
- ──
- 高橋会長のおかげで。
- 山田
- で、時を同じくして観光協会会長に‥‥。
- 阿部
- そう、観光協会の長に就任されたのが、
鈴木敬幸(のりゆき)さん。
このかたは、本業は、
遠洋マグロ漁船の、オーナーさんです。
- ──
- ようするに、こちらでも
「観光」業界とは直接には関係のない
水産系の方が、
観光協会の会長に就任された、と。
- 阿部
- 高政さんと敬幸さんは、
同じ水産業界でなかでも仲のいい、
ふだんから
一緒に飲んでるような間柄でした。
- ──
- ええ。
- 阿部
- 敬幸さんは、
津波で、家建物を流されてしまって、
住む場所を失いました。
高政さんは、家は流されたけれども、
工場のほうは無事だったんです。
- ──
- はい。
- 阿部
- そこで、高政さんは
残った工場の社長室で寝泊まりをし、
敬幸さんは、
高政さんの工場の屋上のプレハブに、
奥さんと一緒に避難しました。
- ──
- おお。
- 阿部
- こうして町の商工会長と観光協会長が、
震災のあとしばらく、
毎日、寝食をともにするようになって。
- 山田
- 毎日、顔を合わせては、
おたがいの持っている情報を交換して。
- ──
- 町の立て直しを図っていた、と。
- 阿部
- そう、で、そんな二人のリーダーが、
町が設置した「まちづくり推進協議会」の
理事に就任したんです。
- ──
- それは、
いろんな決定にスピード感が出ますね。
なにせ一緒に住んでいるわけだし。
- 阿部
- そのような状況のもと、私は私で、
3月14日の朝から
新聞配達を再開していたんです。
- ──
- はい、本業の。
- 阿部
- 町の災害対策本部と、
一部の避難所から配達をはじめて、
じょじょに
配達範囲を広げていきました。
すると、自然と情報が入ってくるんです。
毎日、町内をぐるぐる回っていたので。
- ──
- なるほど。
- 阿部
- で、その得た情報を、
高政さんの工場の前で焚き火している
商工会長と観光協会長に
毎日、逐一、報告していたんです。
- ──
- 炉辺談話ならぬ、焚き火前会議。
そこが、情報の集積場になっていたと。
- 山田
- そう、誰が無事とか今どこにいるとか、
町の人たちの最新情報を、
いろいろ把握していたのが、喜英さん。
- 阿部
- ですから、あのころは
朝、新聞配達へ出かけたが最後、
夕方まで帰って来れませんでした。
あらゆるところでとっ捕まっては、
いろんなミッションを与えられるので。
- ──
- すごい新聞配達になっちゃって。
- 阿部
- そうこうしているうちに出てきたのが、
震災から約2ヶ月後の5月4日に開催された
「復幸市」の企画だったんです。
女川では、
店という店がすべて流されたような、
そういう状況だったので、
震災以降、
いっさい買い物できなかったんです。
- ──
- それは、さみしいですね。
- 阿部
- ですから、町民のみなさんに、
ひさしぶりに
買い物を楽しんでもらいたいと思って、
企画したんです。
- ──
- うれしかったでしょうね、買い物。
なにせ2ヶ月ぶりですもんね。
- 阿部
- そもそもの発端は、横浜から
トラックで
野菜を持って来てくれるというお話を
いただいたこと。
その野菜を
どこで販売しようと話し合っていたら、
俺もやる、俺もやる、俺もやる‥‥
という声があちこちから聞こえてきて。
- ──
- ええ。
- 阿部
- みんな、そんなにやりたいんであれば、
完全に販売でいこう、
タダで配るのはナシにしようと決めて。
- 山田
- 救援物資はありがたいんですけれど、
それだけになってしまうと、
地元の商店が
なかなか再開できないということが、
当時、問題になっていたそうです。
- ──
- そうか、0円の物資があると、
ふつうの経済が回りづらくなるんですね。
- 阿部
- そして、この復幸市をにきっかけに、
女川の町の事業者さんが
ひとつの場所に集まって
話をする機会が、グッと増えたんですね。
そのときのみんなの希望を聞いていると、
やっぱり、
「自分の店を持ちたい」だったんですよ。
- ──
- なるほど‥‥。
- 阿部
- そこで、地元の商店が商売できる場を
設けましょうといって、
仮設商店街をつくったのが、
民設民営の
「おながわコンテナ村商店街」なんです。
- ──
- 民間設営。
- 阿部
- 当時、国からも
プレハブの仮設店舗を支援する事業が
発表になっていて、
内容的には「公共用地に建てます」と。
でも、女川って、
公共用地のなかでも広めのスペースは、
すでに
仮設住宅の建設用地になっていました。
- 山田
- リアス式の地形で、
もともと、土地が少ないところなので。
- 阿部
- そこで、被害の少なかった民間用地を
公共に借り上げてもらって、
復幸市の次の日に
国の担当者に見てもらったんですけど、
国の規格に合わないからダメだと。
- ──
- 規格?
- 阿部
- 国が用意したプレハブのサイズに対し、
土地の面積が狭かった‥‥らしく。
- ──
- そんな理由で‥‥といっては何ですが、
そんな理由で。
- 阿部
- あ、これは頼ってられないぞってことで、
商工会青年部のメンバーである
田中建設さんに、
規格に合うプレハブを手配してもらって、
自分たちだけで、
仮設商店街をつくっちゃおうと。
その後「難民を助ける会」さんという
NGOから
「コンテナを10棟、支援します」という
お話をいただいたので、
それを並べて、商店街をつくったんです。
- 山田
- いまの話、何がすごいかって言ったら、
ようするに「仮設の商店街」を、
完全に民ベースでつくっちゃったこと。
コンテナ村商店街がオープンしたのは
震災の年の7月1日ですから、
仮設商店街としては圧倒的に早かったはず。
そのスピードも、民ベースだからこそです。
- 阿部
- 民設民営、土地も民間。支援も民間。
- ──
- ぜんぶ民間で、商店街をつくっちゃった。
それと、
「あ、頼ってられないな」というときの
舵の切り方も早いですよね。
女川の人って、そういう気質なんですか。
- 山田
- そうですね‥‥そう思います。
- 阿部
- 復幸祭という、震災翌年の3月に始まった
大きなイベントがあるんです。
女川に複数ある青年団体が、
ひとつになって企画運営してるんですが、
彼らが、まだ、なんとなく
被災地って行ってはいけない場所だと
思われていた時期に、
全国へ向けて、
被災地女川に遊びに来てくださいって、
イベントを開催したんです。
- ──
- へぇ。
- 阿部
- あのとき、お客さん、
1万人くらい集まったんじゃないかな。
- ──
- わ、すごい、人口以上の人、ですよね?
当然、イーガーも出動して。
- 阿部
- もちろんです。
ともあれ、商売を再開するにしても、
イベントをやるにしても、
誰かを頼って何かを待って‥‥じゃなく、
まず自分から動く人が多いですね。
口を開けて待ってるような感じじゃない。
- 山田
- それと、町の賑わいをつくり、
いかに地域内で経済を循環させるか‥‥
というのは、
「民の話」なので、行政主導では、
本来は、あまりうまくいかないんですよ。
- ──
- そういうものなんですね。
- 山田
- 私たち行政がうまくセットアップして、
中心となって動くのは、
パブリックマインドを持った、民間。
そうなったとき、良い循環が生まれます。
- ──
- 女川では、そういう役割分担はじめ、
官と民の連携がうまくいってるんですね。
先ほどおうかがいした、
女川の駅前のプロムナードの先端から
初日の出が見えるという設計も、
官と民が話し合って考えたということだし。
- 阿部
- 震災前の駅前の通りは、
ぐにゃ~って曲がっていたんですけど、
これを一発で抜いてほしいとは、
もともと、町長に話していたんですよ。
で、その決定をする会議がある日に
別の用事で役場にいたんですが、
町長に
「あ、いいとこにいた。ちょっと来て」
と呼ばれて、意見を求められて。
- ──
- おお。
- 阿部
- で、出席していたみなさんの前で、
「絶対、まっすぐの方がいいです」と。
- 山田
- たまたま居合わせて、巻き込まれて(笑)。
- ──
- 阿部さんって、
巻き込まれることが多いですね(笑)。
- 阿部
- そうなんです。
- ──
- 巻き込む町風ってのもありますよね。
- 山田
- そうなんです。
(つづきます)
2016-11-08-TUE