- ──
- 青山さん、こんにちは。
女川町商工会にお勤めと聞いております。
- 青山
- こちらこそ、こんにちは。
おっしゃる通り、女川町商工会の者です。
- 山田
- 青山さんは、震災の1年くらい前に、
女川へ、赴任してこられたんです。
- ──
- あ、そうなんですか。
- 青山
- 女川には、平成14年に1年いたんですが、
そのあと隣町の石巻の商工会に7年、
で、22年の4月に、
ふたたび、女川へ戻ってまいりました。
- 山田
- もともと石巻のご出身で、奥さんが女川。
ただ、ご自宅も女川にあるので、
「ほぼ女川人」と言っていいと思います。
- 青山
- まあ、石巻生まれの石巻育ちですから、
女川へ来る前は、
石巻が、いちばん好きだったんですけど、
女川に来てからは、
女川の毒にやられてしまいましてね。
- 山田
- いや、女川の人たちも、青山さんの毒に
だいぶやられてますけど(笑)。
- ──
- 毒のかけ合いで(笑)。
先ほどお話をうかがった阿部さんからは、
青山さんが、
復興の動きを事務レベルで支えた人、と。
- 青山
- いやいや、そんなことはないんですが、
震災前に、
地方銀行である七十七銀行が
2035年には、
女川の人口は「6000人」になってしまう、
という予測を出してたんです。
- ──
- 当時は、人口1万人くらいですか?
- 山田
- そうですね。
- ──
- つまり、ほぼ半減。
- 青山
- 人口の減少そのものについては、
当然、避けられない事態であるってことは
認識していたんですけど、
「20年ちょっとで半減」という予測は、
さすがに、衝撃的なものでした。
で、うちの会長、
つまり女川町商工会の高橋(正典)会長も
危機感を新たにし、
町を引っ張ってきた仲間たちに声をかけて、
「女川まちづくり塾」をつくりました。
- ──
- 震災前に、
そういった集まりがあったんですね。
- 青山
- そう、そこでは、
来たるべき「女川人口6000人問題」の
シナリオをどう回避するか、
減っていくにしても、
どのように緩やかな減少に留めるか、
さらには
いざ「6000人」になってしまったとき、
どうしようか‥‥と考えていました。
- ──
- はい。
- 青山
- 震災直前の3月まで約1年に渡って、
月に1、2回、
専門家も入れて集まって、
いろんな知恵を出し合っていたところへ、
「3.11」が来たんです。
- ──
- ええ。
- 青山
- まさしく、その日の夜の勉強会が、
それまでの
最終報告会の予定だったのですが、
何て言ったらいいのか‥‥
ちょっと表現は良くないですけど、
「20年後に来る」と思っていた町の姿が、
一発の津波で、見えたんです。
- ──
- なるほど‥‥。
- 青山
- 「20年後」が、一発で来た。
実際、震災直後の感覚だと、
人口の半分がいなくなったと言われても、
おかしくなかったです。
- ──
- そのような「震災直後」に、
町のリーダーである
商工会の高橋会長と観光協会の鈴木会長が、
ひとつ屋根の下で
寝食をともにしていた‥‥んですよね。
先ほど阿部さんのお話に、出てきましたが。
- 青山
- そう、そのおかげもあってできたのが、
復興連絡協議会、略してFRKでした。
役場は役場で大変なのはわかってたし、
民間でできることはなんだろうと、
毎日、焚き火の前で
女川のキング同士が話し合ったんです。
- ──
- はい。「キング同士」が(笑)。
- 山田
- ちなみに、高橋会長から
「産業界をひとつにして
復興連絡協議会という集まりをつくるから、
町のみんなに声かけろ」
と言われたのは、いつごろだったんですか?
- 青山
- 震災から10日ちょっと、
3月の彼岸を過ぎたあたりですかね。
私、そのころ、現状報告をしようと、
ちょうど震災の日に出張で女川を離れていた
会長のところへ行って、
「しばらくぶりです」とご挨拶をしたら、
FRKのキーマンである
「キカワダキゾウさん」という人が‥‥。
- ──
- キカワダ‥‥キゾウさん。
- 青山
- そう、謎の‥‥というか、伝説の。
- ──
- 謎? はじめて聞くお名前ですけど、
キカワダさん‥‥って、
漢字、どういう字を書くんですか?
- 青山
- 黄色い川田の、喜ぶに、
蔵は「くら」という字の蔵です。
- ──
- 黄川田喜蔵さん。
たしかにどこか伝説っぽいお名前‥‥。
- 山田
- なにせ、あれだけ震災直後の女川で
存在感を発揮していたのに、
私、いちども会ったことないんです。
- ──
- え、山田さんが会ったことないって、
そんな、幻の魚「イトウ」みたいな。
- 青山
- イトウでなくて、黄川田です。
で、復興連絡協議会・FRKの骨子は、
この黄川田喜蔵さんが
震災直後の大混乱の真っただなか、
ほとんど単独で書きあげたものなんです。
- ──
- え‥‥すごい。たったおひとりで?
ふだん、何してらっしゃる人なんですか?
- 青山
- いやー‥‥詳しくは、わかんないの。
- ──
- 女川の人なんですか?
- 青山
- 今は、どこにいるのか‥‥。
- ──
- 本物のレジェンドじゃないですか!(笑)
- 青山
- いや、出身は女川らしいけど、
東京で翻訳の会社の役員をやってたり、
海外でビジネスをしていたり。
- ──
- 震災当時、たまたま、女川に?
- 青山
- 震災の日か、前日か、当日か、翌日か‥‥
ともあれ、女川に用事か何かがあって、
帰ってきてたみたいなんです。
- ──
- で、震災に遭ってしまった?
- 青山
- そのあたりの事情はわからないのですが、
どちらにしても、
震災後すぐに女川にいたのはたしかです。
黄川田さんは、
商工会の高橋会長の同級生なんです。
で、実家が津波で流されたので、
震災直後は、
会長のところに身を寄せてたんです。
- ──
- え、じゃ、つまり、商工会の高橋会長と、
観光協会の鈴木会長が、
震災直後に
炉辺談話ならぬ焚き火前会議をしていた、
その同じ場所に、
もうひとり「謎の黄川田喜蔵さん」が。
- 青山
- そうなんですよ。いたんです、あそこに。
黄川田さんが泊まってたのは、
高政の従業員宿舎のほうだったそうです。
で、電気も通わねえ暗闇のなかで、
一生懸命、FRKの骨子を考えていたと。
- ──
- はー‥‥。
- 青山
- 私も、それまで、黄川田さんのこと、
見たことも聞いたこともなかったんです。
でも、会長のところへ報告に行ったとき、
脇に「見たことないヒゲの人」がいて、
私が何か言うたびに、
なんだかんだ、口を挟んでくるんですよ。
- ──
- ええ。
- 青山
- そうこうするうち、
私が商工会の職員だとわかったらしくて、
急に「お前」呼ばわりしてきて。
こっちもこっちで誰だかわかんねぇから、
「お前って何だ、失礼だっちゃな」とね、
ホラ、みんな、カッカきてたころだから。
- ──
- カッカって(笑)、
いやでも‥‥そうですよね、そのときは。
- 青山
- そのヒゲの人が
「お前、商工会に今、何人残ってる?」
って聞いてくるから、
「だから、それ聞いてどうすんだよ。
そもそも誰だよあんた」みてぇな‥‥。
- 山田
- あはは(笑)。
- 青山
- 会長さんは会長さんで、
「まあ、こいつのことはあとでいいから。
ひとまず放っといて」と。
- ──
- 「報告が先だ」と。
- 青山
- で、だいぶあとになってから
「こいつは、黄川田喜蔵っていう名前で、
俺の同級生なんだ」と。
- ──
- でも、女川町の産業界が大同団結して
震災直後の動きを担った
復興連絡協議会という集まりの骨子を、
そんな、
女川に住んでもいない「謎の人」が‥‥。
- 青山
- 黄川田さんが
思いのままに書き上げたものをベースに、
私が趣意書をまとめたり、
さまざまな予算を組んだりしたんです。
- 山田
- 女川に赴任してきたあと、
私、復興連絡協議会について調べてみて、
驚きました。
あの震災直後の大混乱のなかで、
こんなにしっかりした骨子が書けてる、
どういうことだ、
もう、ちょっとあり得ないぞ‥‥って。
- ──
- そんなに、すごいものだったんですか。
- 山田
- 震災から1週間とか10日、
まだ、誰も何も考えられていない時点で、
「住宅の二重ローン対策」のことにまで、
触れているんです。
- 青山
- 10年先のことまで、
わずか、1週間で考えているんですよ。
- ──
- そういう素養があった人なんですか?
- 青山
- うん‥‥まあ、あったんだろうけど、
やっぱり、
故郷が壊滅的な状態になったから、
どうにかしようと思って
考えを捻り出したんだと思うんです。
- ──
- 当時、女川に住んでいなかったことも、
ある意味で
頭を冷静にさせていたのかもしれませんが、
それにしても‥‥すごい話です。
- 青山
- とにかく、
黄川田さんの発想とその根拠、
そして、裏付けとなる見識の高さは
尋常じゃなかったですね。
- ──
- すごいし、不思議‥‥。
- 青山
- 復旧は、どんなスケジュールで進めるか。
復興のグランドデザインを、どうするか。
これからの女川の「絵」を、
高橋会長と鈴木会長と黄川田さんの
「三賢者」が、
かまぼこ屋の工場の前で焚き火を囲んで、
酒を飲みながら、描き上げたんです。
(つづきます)
2016-11-10-THU