経営にとってデザインとは何か。宮城県・女川町 篇
経営にとってデザインとは何か。
宮城県・女川町 篇
第2部青山貴博さん(女川町商工会)篇
第3回みんなで描いた、町の絵。
──
山田さんは、行政の側から、
民間の動きを見ているわけですけど、
どうですか、
女川のみなさんをごらんになってて。
山田
もともと私は宮城県庁にいて、
震災後、2013年11月から
女川町役場に派遣されたのですが、
すごいと思うことは多々あります。

たとえば、女川の人たちが、
かなり早い時期に、
町の行政と議会に対して
定期的に「意見交換する場」を、
設けていたこと。
──
意見交換、ですか。
青山
結局、FRKというのは
震災直後にできた民間の任意団体なので、
行政から、
お墨付きをもらった団体ではないんです。

ま、町は認めてくれてたんですけど。
──
はい。
青山
それは、やっぱり、
避難所に救援物資を配るようなことまで、
私ら、やってたので、
住民のみなさんに認知されていたことと、
行政とも、町の人とも、
頼り頼られの関係ができていたこと。

で、そうするうちに、
だんだん、何か問題が起こったときには
「FRKに相談してみたら?」
という雰囲気が、できてきたんです。
──
なるほど。
青山
となると、自然の流れで、
FRKでも施策を考えるようになり、
行政に対して
「提案」するようになったんですね。
──
こういう町にしたいんだ、と。
青山
行政のほうも
われわれの言うことを理解してくれて、
われわれからの提案をもとに、
いろいろ、
施策を考えてくれたんですが‥‥。
山田
業界の枠を超えて
町でひとつになっていたからこそ、
行政としても、
FRKからの提案を
受け入れやすかったんでしょうね。

これが、たとえば、
民間の1グループの意見だったり、
ひとつの業界からの提案だったら、
なかなか、すんなりとは。
──
つまり、行政のほうでも、
FRKからの提案は
住んでいる人の総意に近いものであると、
とらえることができた。
青山
そう、俺たちのプランを採用してくれ、
じゃなくて、
「みんなで考えた結果、
こんな感じで
まちづくりをやりたいんですよね」
という話ですからね。
──
そうですよね。
青山
ただ、そのあたりのことが、
なかなか議会には伝わりづらいんです。

行政としては、予算執行するためには
議会にかける必要がありますが、
それって、行政としては、
いちばん手間のかかる仕事なんですね。
──
手間、というと?
青山
たとえば、議会の了承を得るために、
徹底的に調査して、
いろんな資料をそろえたり‥‥とか。
──
なるほど。
青山
でも、私たちとしては、
そこに時間をかけるわけにはいかない。

そこで、行政の負担を
ちょっとでも軽くしようと思って、
FRKのほうで
12人いる町議会の議員さん全員に
お声がけをして、
月に1~2回、定例的に
「いま、私たち民間では、
こんなふうに考えているんです」と。
──
はー‥‥。
青山
いま、行政にこういう話をしているので、
ぜひ協力してほしいと、
あらかじめ中身を説明しておくわけです。

で、中身を知っていただいたうえで、
「ここ、おかしくねぇか」とか、
「俺はこう思う」というご意見があれば、
軌道修正していく。
──
ふつう、そこまでするもの‥‥ですか?
山田
そんなことしてる町はないと思います。
──
そうですよね。
山田
議員さんたちは、そうやって
町の人から直接に上がってきた要望を、
行政に提案します。

行政は行政で、
復興連絡協議会からの提案を元にして、
町の復興計画や、
さまざまなプランに落とし込んでいく。
──
それは、うまくいくわけですよね。

なんだか、
町の人が、行政と議会との間に入って、
取り持ってるイメージ。
山田
そうですね。
──
ただそれも、単なる「潤滑油」ではなくて、
動機、つまり、
やりたいことの出発点が、民間の側にある。
青山
以前、ある人が
民主主義とはこういうことなのかなと、
おっしゃってたんですが
言われてみれば、たしかにそうだなと。

でも当時は、そんなこと考えてなくて、
無我夢中で、とにかくやらなきゃって。
──
理屈じゃなく。
青山
はい、早くやらなきゃというだけの話。

だって、町が、死んでしまうからね。
町が死んだら、私らも死んでしまう。
──
議員さんたちの反応は、どうでしたか?
青山
最初は「なんだ?」って感じ。
──
それに、議員さんとしても、
いろんな立場があると思うんですが。
青山
平時ならばね。

でも、FRKの提案に反対した人って、
あんまり記憶にないな。
──
では、政党とか、主義主張を超えて。
青山
そう、いつも「満場一致」でした。

ともかく、当時というのは、
主義主張を言ってる場合でなくて。
細かいことは、
町ができてから考えろって話だから。
──
たしかに‥‥そのとおりです。
山田
いま、この状況のもとで
町の立て直しを進めなきゃいけない、
そのことについては、
みなさん、
同じ思いを持ってたんだと思います。
青山
それに、民間が一生懸命やっていて、
行政も応援しているとなれば、
議会は、疑問や質疑はあれど
反対する理由なんてないです。

何かおかしな要求をしてるわけでも、
ないんだから。
──
ええ、ええ。
青山
で、そのなかでも、
いちばん最初から取り組んできたのが、
将来の女川の中心街区なんですが、
それも、われわれFRKからの発想で。
──
はい、そう聞いてます。
つまり「町のデザイン」の部分ですね。

具体的には、みんなで話し合って‥‥
絵を描いたりしたんですか?
青山
町のスケッチを、ザクッと描いたんですよ。
素案、見ます? いろいろ残ってますけど。
──
あ、見たいです。
青山
えー、こういうのとかですね。
最初期の絵ですけど。
──
あー、女川の町だ。

これで最初期?
こう言ったらアレですけれども、
ものすごく、きちんとしてるんですね。
青山
最初は、模造紙に描いていたんですよ。

でも、それじゃあんまりなので、
田中建設の田中くんっていう人がいて、
ま、社長なんだけど‥‥。
──
阿部さんのお話にも出てきました。
青山
そう、その田中くんの知り合いに
こういうの得意な人が東京にいて、
俺らのお粗末な絵を送ったら、
きれいに、描き直してくれたんですよ。
──
拝見すると、当初のイメージから、
変わっていった部分もありそうですね。
青山
あります。はじめは
「道路を防潮堤の代わりにすっぺ」
と話し合っていたんですが、
議論を重ねて、
「海も見えねぇしなあ、やめっぺ」
となったりしました。

いろいろと、変遷はありますね。
──
なるほど。
青山
で、そのかわりに
「んじゃ、町ごと上げちゃいます?」
ってことで、
盛土することになったりとか。
──
この段階では、
ヨットハーバー構想などもあります。
青山
あったあった。いやあ、あったねぇ。

そうだそうだ、「海の駅」みたいなやつも、
考えてんだよなあ。
こんな城郭みたいな‥‥おはずかしい(笑)。
──
海の駅‥‥というのは、
どういうイメージの施設だったんですか?
青山
ヨットハーバーにレジャーしにきた人が、
買い物も、宿泊もできるようなね。

だってさ、人間がこの大きさってことは、
相当でけぇんでねえの、コレ。
──
近未来が舞台のSF映画に出てきそう。
青山
役場のデザインなんて、
ウルトラ警備隊のヘリが降り立つ感じで。
──
あ、ほんとだ。かっこいい。
同時に複数機、着陸できる構造です。
青山
ともあれ、こんなようなものが、
女川の復興計画の第1弾的な素案でした。
山田
高橋商工会長と鈴木観光協会長の
焚き火前会議があり、
謎の黄川田喜蔵さんの草案があり、
FRKの話し合いがあり、
民間による
行政と議会への自主的な提案があり。
青山
2012年には
社団法人の公民連携事業機構が主催した
「復興まちづくりブートキャンプ」
という勉強会にも参加して、
じょじょに、
今の町の感じに、仕上がっていきました。
──
住んでる人が考えて、実際に絵を描いて。

すごく具体的な意味で
「まち」を「つくってる」感じがします。
青山
みんなで、こうかな、こうじゃねぇかな、
とか言いながらね。

でも、大きな部分は、いちばんはじめの、
震災直後のカオスのなかで描いた
この絵のとおりに、進んでいるんですよ。
<次回、須田善明町長の回に続きます>
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2016-11-14-MON