気仙沼の、あの人。 気仙沼の、あの人。
「ほぼ日刊イトイ新聞」の支社、
「気仙沼のほぼ日」がオープンしたのは、
2011年11月1日のことでした。
あれから時が経ち、
2019年の11月1日に、この場所は「お開き」となります。

「気仙沼のほぼ日」は、地元のみなさんが
優しく受け入れてくださったおかげで続いてきた場所です。
お世話になったあの人は、
いまどんなふうに過ごしているのでしょう?
これからどんなことをしていきたいのでしょう?
あらためて、お話をうかがっていきます。
インタビュアーは、沼のハナヨメ、
「気仙沼のほぼ日」のサユミがはりきってつとめます!
第4回 熊谷一政さん 中華そば まるき
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気仙沼の人たちも、
ほぼ日の乗組員も大好きな
気仙沼のラーメン屋さん。
それが「中華そば まるき」さんです。
なかでも人気は、
煮干しをたっぷりと使ったスープが
もちもちの自家製麺にからんだ
「港町の煮干しそば」です。
もともとは「まるき食堂」として
お店を続けてきましたが、
震災を機にラーメンの専門店になり、
現在は遠くからもお客さんの絶えない
人気店になっています。
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▲こちらがお店のカウンターです。
営業時間が終わってからおじゃましました。
熊谷かずまささんは、まるきの店主であり、
自家製麺を作るところからすべて、
まるきのラーメンを作り上げています。
普段はカウンターごしに
ご挨拶したり、笑顔でラーメンを届けていただいたり、
という関係ですが、
今回はあらためて、いろんなお話を
うかがってきました。
サユミ
震災前の「まるき食堂」から、
ラーメン専門店の「まるき」へと
変化していったきっかけって
なんだったんでしょうか。
熊谷
「日本ラーメン協会」が震災後に
気仙沼で行った炊き出しを見てですね。
サユミ
炊き出し。
そうなんですか。
熊谷
お祭りみたいな感じで、
他の炊き出しと雰囲気が違っていました。
ラーメンって気持ちを盛り上げるんですよ。
またそれとは別の時ですけど、
イタリアンシェフが集う炊き出しがあったんです。
パエリアとか、イタリアン料理が並ぶなかで、
イタリアンシェフからラーメン屋に
転向した方も来ていて、
そのラーメンのコーナーの列がすごかった。
サユミ
ほかの食べ物とは違う熱ですね。
熊谷
ラーメンってそれくらい渇望されるものなんだと。
その時あらためて思いました。
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▲渇望されるラーメン。炊き出しの際の写真です。
サユミ
もともと、くまがいさんも
ラーメンはお好きだったんですか?
熊谷
それが、そうでもないんです(笑)。
サユミ
あらら(笑)。
熊谷
でも震災のあと、
おいしいものを買えない、
食べられないという状態が続いていた時期に、
一関や水沢に買い出しに行った先で
ラーメンを食べら、
久しぶりに「おいしいな~」と思ったんですよ。
それが、「煮干し」の味でした。
サユミ
へぇー。
やっぱり煮干しなんですね。
熊谷
食べるともう、ほんとにね、
「ぁあああ~」ってなるじゃないですか。
サユミ
なります(笑)。
熊谷
「俺の求めてたのはこれだ~!」って。
俺にとってのラーメンは、魚出汁のおいしさで、
俺の味覚のルーツは煮干しなんだなって思いました。
サユミ
そうか、港町のラーメンですからね。
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▲まるきの味玉煮干しそば。
熊谷
それまでも煮干しは使ってたけど、
あんまり意識してなかったんです。
でも、うちのじいちゃんがやってたころの食堂は
煮干しをいっぱい使ったラーメンを
出していました。
そんなことを思い出して、
「よし、俺も煮干しのラーメンを作ろう」
と思ったタイミングで、
ラーメン学校に行くようになりました。
サユミ
ラーメン学校って
どれくらいの期間行かれたんですか?
熊谷
期間は1週間なんです。
ただ、その1週間がものすごく濃密で。
まず「プロは一瞬でなれます」と言われる。
プロとは「考え方」次第だから。
プロの考え方って何だと思いますか?
サユミ
うーーーん。
すみません、見当も付きません‥‥。
熊谷
プロの仕事は、
お客様が幸せになることのお手伝いなんです。
お客様が自分でも気づいていない
「どうしたら幸せになるか」を引き出して、
それを提供するのがプロなんです。
サユミ
はああー。
たしかに‥‥引き出されてますよ。
まるきのラーメンを食べると幸せになっている‥‥。
熊谷
ありがとうございます(笑)。
でも「おいしいから幸せ」ってことでもないんですよ。
おいしいけど体に良くないものを食べ続けていたら
体をこわすじゃないですか。
だから体が元気になる食べ物をだすことも大事。
使う材料にも気をつかうんです。
サユミ
そういうことを教わるんですね。
イメージしていたのと全然ちがいました。
熊谷
でしょう。技術は、そのあとなんですよ。
1週間はスタートラインで、
そのあと自分でどんどん深めていくかどうか。
サユミ
私なんかがいうのはおこがましいのですが‥‥
まるきさんは、麺を自家製麺にされたり、
どんどんおいしさがパワーアップしている気がします。
熊谷
ありがとうございます。
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▲現在のまるきの食券販売機。こんなメニューが並んでいます。
サユミ
学校に行かれたのは
お店の再オープン前ですか?
熊谷
オープンしてからですね。
今の店は2011年の8月にオープンしまして、
その次の年にいきました。
震災特需が過ぎて、お客さんが落ち着いてしまって。
そのころ、仙台のラーメン屋さん「五福星」の親方に、
「いま勉強にいったほうがいい」 と言われました。
そのために2週間、
店は休まなければならないんですけど。
「行ったら2年後3年後の世界が変わるよ」
って言われて。
行ったら、ほんとうに変わりました。
サユミ
変わりましたか!
熊谷
変わりました。人生の分岐点でした。
スープの作り方も、変わりました。
サユミ
すごい‥‥。
熊谷
その後、化学調味料を一切使わないようにしたり。
2014年には自家製麺に切り替えました。
技術を変える時は勇気がいりました。
いままでのことをぜんぶ捨てて、
コストのかかることをするので。
サユミ
自家製麺が本当においしいですよね。
熊谷
最初は半信半疑だったんです。
自家製麺は、機械がまず高いし、
一日プラス4時間、労働時間が増える。
でも、自家製麺にしないと
残っていけないと思って踏み切りました。
実際、自家製麺にしてから店は忙しくなりました。
サユミ
確かに最近は入れない時もありますよね。
列がすごいですもん。
熊谷
ラーメン業界の有名店は
進化がすごいレベルになってきているので、
こっちもどんどん挑戦していかないと、
追いつかないんです。
‥‥って、こんなラーメン話で大丈夫ですか?
サユミ
いや、ありがたいです。
でも、自分がお店側にたつとしたら
何て大変な仕事だろうって思います。
熊谷
毎日緊張しますよね。
サユミ
気仙沼は東京みたいに
ラーメン屋がひしめくような
「ラーメン激戦区」というわけではないじゃないですか。
この場所で、
そのモチベーションを保っているのがすごいです。
熊谷
たまに東京や遠くに行って勉強してますよ。
でも、今はスマホの時代なんで、
場所は関係なく、食べたいものがある人は
どこでもいくじゃないですか。
そういう意味では、
気仙沼は交通の便が良くないぶん、
「遠くても行きたい」
そう思わせるレベルに行かないと!
と思ってるんです。
サユミ
すばらしい。
熊谷
震災の前も思ってはいたんですけど、
何をどうやったらいいのかわからなかった。
ただおいしいだけではお客さんは来ないんですよね。
たとえば、さっきから話に出ていますが、
ラーメン学校を教えてくれた仙台のお店、
「五福星」さんが
気仙沼に来てくれた時の炊き出しは、
坂の上にある市民会館でやってたんですよ。
「五福星」のスタッフさんは、
市民会館の坂を登れない人たちのために、
何往復もしてラーメンを運んでたんです。
それを見て「こういうことが他と違うんだ」と。
サユミ
そうだったんですか。
熊谷
そんなにたくさんのお店を
知っているわけじゃないですけど、
あんなに接客がすばらしい店は、
なかなかないと思うんです。
ラーメン業界ってそういうすごい人が
たくさんいます。
単純にビジネスとして成功したいんだったら、
ラーメンは向いてないと思いますよ。
そういう話、ラーメンの学校でも言われるんです。
サユミ
はあ~、「五福星」も
ラーメンの学校も、すばらしいです。
熊谷
ええ。出会えたことに感謝しています。
サユミ
これから先、
新しく考えていらっしゃることとか、
ありましたら教えていただけますか?
熊谷
うちがラーメンで目立つようになれば、
「気仙沼といえば
ラーメンのおいしい店があるよね」
という理由で来てもらえることもあると思う。
いずれは、
「気仙沼はラーメンのレベルが高いね」と
言われるような街にしたいなと。
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サユミ
ラーメンが気仙沼の名物になるように。
ですね。
熊谷
若い人の店がうちを脅かすように
なって欲しいですね。
ラーメンは、海鮮にくらべて本流じゃないけど、
「気仙沼はラーメンもいいんだよね」
と言ってもらえたらうれしい。
で、うちにもいま、若いスタッフがいて、
将来独立志望なんです。
サユミ
おおー。
その方は気仙沼の方ですか?
熊谷
そうです。
サユミ
わー、すばらしい。
熊谷
ちゃんと気持ちのある人には、
うちのやりかたを伝えていきたい。
もちろん、
うちの作り方だけが正解ではないですけど、
ラーメン屋さんの考え方を
受け継がせていきたい。
えらそうな言い方になってしまいますけど。
そんな風に思っています。
サユミ
えらそうだなんて、そんな。
すてきなお話をありがとうございました。
わたしも、
気仙沼のラーメンを
どんどんおすすめしていくのが夢です。
私もラーメン大好きですから。
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取材中、
私はこれまでにないくらい、
「ラーメン」の魅力、偉大さ、
人々からの愛され方のすごさを感じていました。
ラーメンは老若男女が好きな食べ物で、
SNSにラーメンの写真をあげると、
『いいね』の数がいつもより多い。
ラーメンは、
人気がすごくて、みんなの舌が肥えていて、
お店の数も膨大です。



そんなラーメンの専門店に挑戦しつづける
まるきさんの想いは、
私の想像をはるかに超える強いものでした。



まるきさんがすごいのは、
ラーメンマニアの人も、近所の人も、サラリーマンも、
家族連れも、みんながそれぞれにおいしいラーメンを
食べることができるお店であることだと思います。
いつも、優しく声をかけてくれるお店のみなさんのおかげで、
おいしいラーメンがみんなのものになっているんです。



いつか、
気仙沼にラーメンのおいしいお店がたくさん増えてきたら、
私も張り切って紹介したいと思います。

(サユミ)
2019-11-01-FRI
気仙沼のほぼ日