聞き書きの世界。
『木のいのち木のこころ』と塩野米松さん。


糸井 塩野さんが話を聞く時の
「自分」って、
どういう人としてそこにいるんですか。
塩野 聞き書きは、
ぼくの場合は、基本的には
相手の発言だけで成りたちます。

すると自分はなくなるわけだけど、
相手の回答には
ぼくの質問の意味が含まれてますから、
鏡のようにその答えに
ぼくが入りこんでいるのですよね。

だから敢えて
ぼくがこうだとはいわなくてもいいんです。
糸井 相手がちがえば
話の内容も変わるし、
自分は
相手との関係の中にいると言いますか。
現場に立ちあうという不思議さは
おもしろいものですよね。
塩野 はい、おもしろいです。
自分の質問は消すし、
回答のなかでも本になって
人の目に触れるのは
せいぜい全体の十分の一程度だから、
ほとんどの話は相手とぼくでしか
共有していないんです。
その方の奥さんも子供も
知らないような話がたくさんあるし、
本人も忘れていて質問されてみて
はじめて思いだしたようなこともあります。
聞かれて、話をしていて記憶の底から
引き出されてくるんです。
こんなですから、おもしろいですよ。

聞き書きという仕事は
やはり夢中になってしまいます。
たとえば朝から晩まで
ずっと屋久島のおじいさんと話していると、
もう話すこともなくなってきたような
気もしてくるわけです。
向こうもそう思っている。

すると夜の間に、
宿で屋久島町史とか
民俗資料だとかを
こっそり読むわけです。

「木を切る道具について、
 町史にはこう書いてありましたけど、
 ほんとですか?」

「それはウソだ。
 その町史、木のことを
 知らねぇやつが書いてるんだ……」

最初のうちは、
おたがいに池のなかに
小石を投げあうように
会話をしているんだけど、
だんだん最後の方には、
そろそろ大木を投げこんでみようか、
どんな反応するだろうかと思って
会話をするようになるんです。
笑いは狙わないけど、
漫才のやりとりのようなもんです。
その場で、
相手に話を引き出す何かを探すんです。
糸井 ひとつの手がかりで登っていく、
という意味では、
ロッククライミングと
聞き書きって似ていますよね。
ぼくは体を鍛えたら、
ぜひやってみたくてしょうがないんですけど。
塩野 ロッククライミング、
おもしろそうですよね。
聞き書きもそうで、
いっさい返事をしてくれないとなったら
お手あげですけど、
指一本かかればなんとかなります。
糸井 一見、
もうこれでおしまいというところで
「なんとかしよう」と思うわけで……。
塩野 はい。
何の資料もなしに、
生年月日から聞きはじめるわけですから。
糸井 そうか。
塩野さんが聞く相手というのは、
何様でもないわけだから……。
  (明日に、つづきます)


2005-06-17
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