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柳瀬 |
4月の末に糸井さんをご案内したときの写真です。
海辺から谷へ入っていく途中。
こういうきれいな木道が、
源流のてっぺんから河口まで通っています。
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▲奥にいらっしゃるのが岸由二先生。 |
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一同 |
わああーーー‥‥。
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柳瀬 |
広々とした湿地でしょう。
ここ、手を入れる前は、
ぜんぶササで覆われていたんです。
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─── |
ササ‥‥。
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柳瀬 |
では、ここで問題です。
この小網代は、もともと何だったと思いますか?
そちらの方、いかがですか?(生徒を指す)
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─── |
もともと‥‥?
リゾート開発予定地だったんですよね?
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柳瀬 |
それよりも、もっと前です。
そうですね、60年前、
ここにはいったい、何があったでしょう?
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─── |
‥‥畑?
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柳瀬 |
惜しい! ほぼ正しい。
水がいっぱいあるんですよ。ということは?
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─── |
水田?
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柳瀬 |
そうです。
このあたりはぜんぶ水田だったんですよ。
田んぼだった。
60~70年前、ここは典型的な
近郊の里山だったんですね。
川沿いの湿地は、田んぼとして利用し、
山の斜面は、
クリやコナラやマツやシイが生えた薪炭林。
地元のひとが手を入れていました。
そこが、さきほども言いましたが、
リゾート計画が立ち上がって
20年から30年間、放ったらかしになりました。
結果、
薪炭林はみるみる原生林のように。
水田は、湿地になりました。
80年代半ば、
ぼくたちが小網代に入ったのは
ちょうどそんなときです。
実に見事な自然でした。
ところが。
人の手がずーっと入らないとどうなるか。
小網代みたいに
70ヘクタールぐらいのちっちゃい自然は、
木が茂り過ぎて暗くなったり、
湿地が乾燥してササに覆われたりして
荒れ野、荒れ山になっちゃうんです。
小網代を「発見」した80年代から
保全が確定し、県が土地を買収して、
手を入れられるようになった
2010年ごろまでの20年あまりの間に、
小網代の自然の多様性は
どんどん失われていきました。
よく、「手つかずの自然」といいますが、
実際に、小網代のような
近郊のこじんまりとした自然は、
人間がこまめに手入れをしないと
多くの生きものが暮らせる環境を維持できない。
ぼくらはそんな事実を目の当たりにしました。
晴れて神奈川県の要請を受けて、
2010年ごろからNPOでずーっとやってきた
小網代の「手入れ」の
まずひとつが、ササを刈る仕事です。
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柳瀬 |
ササ以外の雑草や、
森を暗くしてしまう
常緑の低木、アオキやヤツデなんかも刈ります。
トキワツユクサという南米由来の要注意外来種や
セイタカアワダチソウなんかも
退治しています。
ちなみにこの写真‥‥ |
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柳瀬 |
右の手前に写っているのは、
某・気仙沼ニッティング社長の
御手洗瑞子さんです。
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一同 |
おおー(笑)。
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柳瀬 |
これまでにNPOのメンバーはもちろん
協力団体や、大学や専門学校の学生さん、
企業のCSRボランティアの方々、
地元の有志の皆さん、さまざまな個人に
メンテナンスのお手伝いをしていただきました。
それは今もそうですし、これからもです。
興味のある方はウェルカムですので、
ぜひお手伝いしにきてください。
さらには、
適度に木の伐採も行います。
場所によっては、
「え、こんなに切っちゃっていいの?」
ってくらい伐採します。
理由は、
岩の斜面の崩壊の防止、
川や、谷や、湿地に、光を入れるためなどです。
とりわけ常緑樹が生い茂ると、
川や谷に光が入らなくなります。
すると、低木や草が育たないし、
川に光が入らないと、藻が増えないので
生きものが育ちません。
だから、間伐が必要なんです。
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柳瀬 |
小網代の湿地は
下流エリアから真ん中にかけて
4ヘクタールくらいあります。
ところが
2010年時点ではその大半がササに覆われて
乾燥化が進んでいました。
このままでは湿地が消滅しちゃう。
というわけで、5年かけて
湿地エリアのほぼすべてのササを伐採しました。
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─── |
5年‥‥!
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柳瀬 |
ただ、ササを刈っただけじゃ、
またすぐに生えてきちゃう。
そこで、川筋を変えて、
ササが生えていたところを
水でびしゃびしゃになるようにして
大湿地帯にします。
そしたら面白いことに、
20年間まったく見かけなかった湿地性のガマだとか
さまざまな貴重な水生植物が
どんどん生えてきたんです。
中には初めて見かける植物もありました。
20年間、姿を見なかったんですけど、
土の中に種が眠っていて、
自分に適した環境がそろうと、
あっという間に目を覚まして芽を出すんですね。
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柳瀬 |
現在は、
糸井さんたちに歩いていただいたような
こんな木道ができました。
この木道ができたおかげで、
人が自然を乱さずに、
小網代の自然を観察できるようになったんです。
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─── |
あの(挙手)、質問をしてもいいですか。
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柳瀬 |
もちろんです。
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─── |
「川筋を変えてぜんたいを湿地にした」
とおっしゃいましたが、それは具体的には‥‥?
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柳瀬 |
ああー、いい質問をありがとうございます!
川というものは、これ、当たり前なんですが、
高いところから低いところに流れます。
いくらか蛇行しながら、流れていく。
流れが通ってないところは、乾燥します。
乾燥したところは、
放っておくとササ薮になっちゃったりする。
これを防ぐ方法は、
いちばん高いところで川をつけかえるんです。
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─── |
つけかえる? 川を?
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柳瀬 |
川が高いところから
低いところに流れ落ちようとする
ところに杭を打って、
流れの向きを調整するんです。
つまり、低いところに流れ落ちないようにして、
なるべく高いところを川が流れるようにする。
たとえば‥‥こういう写真があります。
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一同 |
(笑)
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柳瀬 |
川が、常に谷のいちばん高いところを
流れるようにする。
すると、雨が降って水が溢れれば、
低いところに、川の水が溢れ出る。
すると、谷全体がびしゃびしゃになる。
つまり、湿地状態になるわけです。
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─── |
はい、はい‥‥。
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柳瀬 |
で、この作業、
これは何かといいますと‥‥。
先ほど、ちょっと触れましたね。
これ、実は、かつて、
水田を管理してたときにやってたことなんです。
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一同 |
ああーーー。
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柳瀬 |
棚田を作る方法。
先ほど、むかしここは水田だったと言いましたが、
つまり、そのころの状態に戻したわけです。
川の水をつけかえて、
いちばん高い田んぼに流して、
徐々に低い田んぼへと水が落ちるようにする。
すると、ポンプもなにも使わずに、
谷の平らなところが全部水田になる。
そんな、水田管理の方法を応用して、
大湿原を作っているわけです。
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─── |
はあああーーー。
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柳瀬 |
川の途中に
杭を大量に打って、
すぐにストンと低い所に川の水が流れないようにして
途中に川筋を数本に分けたり、
池をつくったり、
水を谷全体に広く行き渡らせて、
大きな湿地帯を作りました。
いったん
地面がびしゃびしゃの湿地になると、
もうササは生えてこないんです。
ササは水気に弱いんですね。
乾燥したままだと、また生えてきます。
延々とササ刈りをしないといけなくなる。
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─── |
そのたびに、草を刈り取る重機を入れたりして。
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柳瀬 |
そうです。大きなお金がそのたびにかかります。
それが、こうやって200本くらいの杭を打って
川筋を変えて、
谷を湿地状態にしちゃえば
あとは
小川の水が勝手に
ササが生えるのを抑えてくれ、
代わりに
湿地性のアシやガマが生えてきて
きれいな湿地帯ができあがります。
糸井さんが、
「小川の水の流れにたくさんの仕事をさせる方法」
と言ってくださいましたが、まさしくそうです。
小川に仕事をしてもらっています。
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─── |
なるほどぉ‥‥。
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柳瀬 |
とはいえ、200本の杭を打つ仕事は‥‥
死ぬかと思いました(笑)。
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─── |
(笑)
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柳瀬 |
ていうのは言いすぎですね、冗談です(笑)。
ぼくひとりの仕事はほんのちょっと。
たくさんのたくさんのひとたちの力を
結集してこの作業を続けました。
かくして
5ヘクタールのササ薮を
5年で湿地に戻すことができたんです。
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柳瀬 |
いまは、ほんとうにいろいろな種類の
水生植物がいっぱい繁茂しています。
神奈川県の絶滅危惧種なんかもあります。
さらに、
ササを払った木の根本には
例えばこんなフデリンドウなんていう
明るい林に生える花がどんどん戻ってきてます。
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▲フデリンドウ。春の小網代を彩るリンドウの仲間。 |
─── |
‥‥かわいい‥‥。
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─── |
大きな湿地ができて、
適度に木を伐採して
川面を明るくしたり、森を明るくすると
植物の多様性が増します。
すると、
昆虫たちも戻ってくるようになります。
いちばんわかりやすい昆虫をお見せしますね。
これです。
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一同 |
わあああーーーー!
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柳瀬 |
ゲンジホタルです。
注)2014年のホタルは見られる時期を終えています。
また小網代への夜間の立ち入りは
禁じられていますのでご注意ください。
(つづきます) |
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2014-07-27-SUN |
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(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN |
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