5、大型円墳から大型前方後円墳へ

綾塚古墳は古くから神社として祀られています。

以前は「女体宮」「女体権現」、今は「女帝神社」と
呼ばれていたそうです。

ご神体は石室の中の石棺。
まるで古墳を女性、
石室を産道に見立てたような名付けです。
安産を祈願したのかなー






 
石室のなかへ
石の階段を登り、
入り口の天井石を見上げました。

おおきいー!

円柱の石の柱に支えられていますが、
これは
あとの時代の鳥居の石だそうです。

綾塚古墳
 
おおきいでしょ、天井石。

綾塚古墳は7世紀初頭の築造で、
丘陵の先端を利用してつくられた古墳なの。
最大径約40m、
高さ7mの大型円墳。


 
石室の羨道(せんどう)を歩く
床は土のようです。

前室へと進みます。

長さは‥‥
 
石室の全長は19m。
九州では2番目、
全国でも6番目の長さがあるのよ。

ちなみに「羨道」というのは、
「せんどう」もしくは「えんどう」読むの。
古墳の石室と外部を結ぶ通路のことよ。




 
前室から玄室へ
玄室に入るところで柵と扉がありました。
防犯対策のようです。

中に入ると‥‥

真っ暗です!

つい反射的に
しゃがんでしまいましたが
天井の高さは4mもあるそうで
おそるおそる普通の姿勢にもどりました。

辛島さんがライトをつけて
石棺の屋根を照らしてくれました。

わー、目の前に石の灯籠と石棺が!

石棺の屋根(蓋)が真っ二つに割れています。

ストロボがつかないように
カメラ設定していたので
撮るものすべてがぶれてーー。
ああーー悲しい。

ハニワでさえ
 
江戸時代、小倉細川家の家臣が
石棺を割って小倉へ運ぼうとしたら、
災いが起こり元に戻したという話を、
伝え聞きました。

それにしても‥‥
暗闇に、石灯籠と、
まっっぷたつに割れた石の棺おけ‥‥。
怖っ。
わたしはハニワだけど、
ハニワでさえ、これはなんか、怖っ。

スソさんは、
和製インディ・ジョーンズですわ。


 
玄室をあとに
玄室入り口の冠石が
あまりに大きかったので、
なんとか撮ろうと‥‥。


 
石の写真がこれでもかと続いています。
みなさん大丈夫でしょうか、
ついてこれてますか?


 
石の積み方の工夫
石室入り口の目立つところは
四角く大きな石をきっちり積んでいましたが、
奥の目立たない隅っこは
小さめの石を使っていたり
細かい石で補足している部分がありました。
細かい配慮を感じます。。

まだ、石
 
なるほど。
冒頭からずーっと石の写真で、
ページ全体がグレーになってますけど、
そういう細かい変化があるのですね‥‥。


 
時間の感覚がなくなっている
中にいたのは、
ほんの数分ぐらいと思っていましたが
日差しがうっすら夕方っぽくなっています。

ガイドさんたちも
時間を気にしはじめている様子です。

ホッ
 
石、終わりました。
やわらかな風景写真、ホッとしますね。








 
次は黒田神社
綾塚古墳からまた10分ぐらい歩いて
黒田神社に到着。

この辺りの黒田の村で
一番大きな鎮守の森です。

特に古墳は関係ないということで
すぐに次へ移動することになりました。

え!
 
スルーですか?!
古墳に関係ないときはこんなにアッサリ!
すごいなあ‥‥。

あと、
なぜ、このカコミのトップ画像が
ダイコンなのか‥‥。

太古の歴史と同じくらいのナゾが
スソさんの頭の中にあると、
みこちゃんは思っています。


 
これも石技?
黒田神社の近くで
こんな塀をみつけました。

上がぎざぎざしています。

このあと数件の民家でも
この積み方の塀を発見!
流行っているのでしょうか?

また石!
 
油断してました。
今回はなにかと「石」です。








 
登ってます
黒田神社前でぐっと進路を変更、
南東へ進み、つぎの交差点を北東へ。


10分弱、舗装道路を歩いていたのですが
薮の中の石段をこのように登って行きます。


 
この形は?
登りきったところは平ら、
古墳の上に立ちました。

こちらが後円部で
木の向こう側が前方側です。

そう、前方後円墳。
みやこ町で一番大きな庄屋塚古墳です。

次の古墳
 
そしてまた、
スソさんは次の古墳に到着しました。
庄屋塚古墳。
こちらのレポートは、また来週ー!

綾塚古墳の近くにいたワンコ
 
2012-04-08-SUN
 
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