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墳丘の斜面は木が茂っていますが
上は平らで
建物がひとつありました。
こちらが後円部だそうです。
庄屋塚古墳は、
6世紀のなかごろに築造された
前方後円墳よ。
全長約81m、後円部の径は約45mと、
大型の古墳なの。
墳丘には、わたしたち埴輪があったらしいわ。
石室がひとつ見つかっているけれど、
現在はなかに入れないのよ。
スソさんにとっては、残念なことね。 |
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建物の前に立ち、
右側と、左側の斜面を覗いてみます。
ここからは降りることはできない感じです。
「石室に入れないなら、
まわりを歩き回ればいいのよ」
というわけでスソさん、
なめるように
「古墳グラビア」を撮っていきます。 |
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では、前方部へ歩いて行きましょう。
でも、こうやって後ろ向きに行くと
後円部の丸みや
全体の大きさがわかるかなー。
あ、くびれ部は急に低くなっていて、
注意しないと
ひっくり返ってしまいそうです。
スソさん、
丸みとくびれを、
バシバシ撮っているわ!
まさに、古墳グラビアよ!
こんなことをする人はなかなかいないわ! |
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もう、みなさん降りてます!
待ってください!
あ、二段築成かな?
段差がありますね。 |
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もう少しゆっくり見たかったなー。
もう移動ですか?
みんな前方部の角とか、
見なくていいのかなー。
いつもは「ひとり古墳部」なのですが、
今回は団体ツアーの古墳部です。
そうなると、
周囲への気づかいも必要ですよね。
ほんとはもっとじっくり見たい
スソさんなのでした。
それにしても、古墳の角って‥‥。
それを見たい人はあまり多くはないと、
はにわ的にもそう思いますです。 |
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やっぱり二段になっていますね。
大きい古墳でした。
頭の中で竹やぶなしでイメージ。 |
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歩きがどんどんスピードアップしています。
予定時間を過ぎている?
カメラをのんびり構えるゆとりがありません。
住宅地の中を抜けて15分ぐらい歩き、
小学校の敷地に入っていきますと…
看板が立っていました。 |
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見事な石室です。
古墳の墳丘はほとんどなくて
いきなり石がどかんとある、という感じです。
橘塚古墳は、
黒田小学校の、なんと校内にあるのよ。
6世紀末の築造で、
長いあいだ円墳と思われていたけれど
近年になって「方墳」であることが
判明したの。
39m×37mの、これも大型古墳よ。 |
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入り口から左回りにぐるっと。
墳丘の土は赤い土と黒い土が
交互に埋まっていたそうで、
小学生のときに見た人がいるそうです。
この黒田小学校の生徒さんが、
かつて赤と黒の墳丘を見たのですね。
それはさぞやカッコイイ、
墳丘だったことでしょう。
4枚目の写真には、
背景に学校の校舎が写ってます。
ふしぎな感じですねー。 |
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さあー入りましょう。
ここは、床も石です。
こっちの石室には入れましたね、
スソさん。
よかったですー。
ちなみに橘塚古墳は、
複式構造の横穴式石室で、
長さは16.3mあります。 |
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とっても整然ときれいに石が積まれています。
丁寧な仕事っていうか、
格調高い感じがします。
石の材質が同じで、
綾塚古墳と兄弟古墳というか
姉妹古墳みたいな気もします。
さあ、石です。
どうぞご覧ください。
こんなにスソさんにホメられて、
石たちも、石冥利に尽きることでしょう。 |
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うーむ、この規模は
あの石舞台にひけをとらない!
しかも同じ、方墳。
奈良の都とのつながりを感じます。
橘塚古墳の玄室は、
4×3.2×高さ3.8mの大きさです。
石室から平安時代の土器が出土していて、
すでにそのころには
開口していたと考えられているのよ。 |
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ツアーは無事に終わりました。
半日で歩ける範囲に
大型古墳がいくつもあって、
想像以上に充実の内容でした。
でも...みやこ町周辺に
行きたい古墳が他にもあるのです。
場所や交通手段について
学芸員の川本さんに尋ねてみたら、
翌日案内してくださることになりました。
福岡県みやこ町編はこれにて終了ー、
なのですが‥‥
スソさんはまだまだ物足りない様子。
え? この周辺の古墳をひとりでめぐる?
‥‥いいと思います。
こころゆくまで、めぐってください。
そのレポートは、
ゴールデンウイーク明けにお届けしますね。
それでは!
福岡県みやこ町編、終了でーす。 |
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