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地下鉄で天神から博多駅へ。
水色の人達がちらほらといます。
今日は決戦の日?
ついこの旗に引かれて近づいてみました。
こんにちは、みこちゃんです。
みこちゃんは、ハニワです。
主に土でできています。
さて、ひとり古墳部、
前シリーズから引き続き、
スソさんはまだ九州にいます。
博多の遺跡をめぐるシリーズ、
はじまりはじまりですよーーー。
ところでこの旗は何?
どこからの出土物??
みこちゃん、わからないことも多いです。 |
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西鉄バスに乗り、15分ぐらい。
板付団地第二で降りました。
あれ、まったく表示がない!
遺跡がどこにあるのかわかりません。
同じくバスを降りた人を追いかけて
「すみません、板付遺跡はどこですか?」
と聞くと
「保育園を左に曲がって、
しばらく行くとあると思います」
と教えてくださいました。
進行方向にあった保育園を曲がり、
数分歩いたところに地図がありました。
あ! あった〜。 |
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古墳があるところでは
だいたい起伏があったりするのですが
ここは、広く平らなところにありました。
これは、復元された田んぼかな?
「ひとり古墳部」の名物カラー3色、
石の灰色、土の緑、草木の緑。
その世界に突入です。
ああ‥‥心癒されるカラー‥‥。 |
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解説レリーフがあります。
土地が水路で仕切られていて
中央の丸い環濠の中に集落があり、
外側に田んぼが作られている
のがわかります。
なるほど、家を用心深く守っている
様子が伝わってきます。
まわりに堀をめぐらせた
集落(ムラ)のことよ。
守っているのは、家だけでなく貯蔵穴も! |
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巨大な竪穴住居型かな?
りっぱな建物の資料館です。 |
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玄関に稲が干してありました。
土器もならんでいます。
あっさりした形ですが
口のところにぎざぎざ(刻み目)があります。
縄文後期の土器と弥生初期の土器が
一緒に出てきたことが
とても重要なことだったのですね。
水田を作り始めたのは
いまから2400年前(BC4C)ごろと
言われているの。
紀元前よ!
みこちゃんが生まれるより前だなんて、
超むかし!
水田、超むかし!
ちなみにこの板付遺跡は、
縄文晩期から弥生後期の遺跡で、
最古級の稲作水田跡が残っているの。 |
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泥の中に残っていた足跡だそうです。
すごく曲がっています!
親指と人差し指の間がすごく離れていますね。 |
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川から水を引き入れて
ムラを作ったことがわかります。
縄文時代と違って
土地を開拓したり整備する技術が
発達したんだなーと感じますね。
田んぼの広さに対して家が少ない気もします。
こんなに広い田んぼを、
農業機械なしで管理するなんて‥‥。
にんげんははたらきものですねえ。
みこちゃんのお仕事は‥‥
お墓を見守ることです。
あとスソさんも見守ってます。 |
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田植えを比較しています。
笑顔がこぼれる
弥生時代が一番楽しそうなのは気のせいかな? |
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私が小学生の頃は弥生時代と言えば、
登呂遺跡を教わったけど、
今はこの板付遺跡が教科書に載っているのかなあ? |
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この白い服を着てみよう、
ということですか?
カラムシや麻の服はちょっとごわごわして
痛そうです。
あ、靴も!
この靴を履いていたとしたら、
さっきの曲がった足は
まっすぐになりそうですけどね。
せっかくだからスソさん、
着させてもらいましょう!
きっと似合いますよ、スソさん。 |
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器用に作られたかごがありました。
魚とかどじょうを入れるのかな〜
何気なく撮ったのですがあとで…!! |
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まるで日本の竪穴住居そっくりな家に住む
中国の雲南省の集落のパネルがありました。
水田稲作は雲南省にルーツがあると言われていたから
かもしれません。
(今は別の説もあるみたい)
日本に伝わるまでのルートも
いろいろな説があるようですが、
どのルートも北部九州に入った
というところは共通のようです。
ね、スソさん、それはともかく、
さっきの「弥生スタイル」に
挑戦しましょうよぉ‥‥。
ねえ、スソさん‥‥。 |
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広い静かな館内で
ぽつんと映像を見ております。
小学生向けなので、ちょっと苦笑い。
外の遺跡に入れるようなので、
もう一度観に行くことにします。
ああ‥‥「弥生スタイル」を試さないまま、
スソさんは外に出て行きました。
見たかったなあ、スソさんの弥生ファッション‥‥。
「福岡県博多編」、来週に続きまーす! |
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