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みやこ町を離れる前に
この地方では珍しい装飾古墳
”呰見大塚古墳(あざみおおつかこふん)”
のそばを走ってもらいました。
今はブルーシートに囲まれています。
高速道路にぶつかる計画があったのを
なんとか保存されることになり、
迂回する道路工事が終わるまで
シートに覆われているそうです。
呰見大塚古墳は、直径約25mの円墳。
石室の壁には、赤色顔料で
同心円や三角文、×印文などの
模様が描かれているのよ。
‥‥高速道路さん、
迂回をしてくれてありがとう。 |
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古墳じゃなくて神社?
お目当ての前方後円墳の墳丘には
浮殿神社(うきどのじんじゃ)が建っているのです。
もう、4年近くも前のことです。
(とはいえその年月、
私たち埴輪にとっては
刹那に短い時ではあるけれど)
「ひとり古墳部」のプロローグで、
スソさんはこんなことを話しているのよ。
「神社が目印になることもあります。
いい場所だから、神聖な土地として
守られることも多くなりますよね。
そういうエリアには神社ができるんです。
だから神社がある場所には、
古墳がある確率が高いと私は思ってます。」
このプロローグ、
未読の方は、ぜひーー。 |
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これを、北部九州最大最古の前方後円墳
”石塚山古墳”
と知っている人は
少ないのかもしれません。
この境内が前方部です。
3世紀末頃に築成された古墳なの。
全長なんと、約130m。
竪穴式石槨からは、十数枚の
三角縁神獣鏡などが出土しているのよ。
奈良の箸墓古墳などに次ぐ規模と、
出土品などから
ヤマト政権との関わりなどを考察する意味で
注目される重要な古墳なのっ!
なのにこんなに、古墳に見えない‥‥。 |
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わずかに斜めになっているのがわかります。
(前方部から後円部を見ているつもり)
墳丘の今の高さはこれくらい。
昭和13年に苅田港を大きくするにあたって
苅田町の古墳の多くの土が使われ
消滅しました。
石塚山古墳も墳丘の多くを
削り取られたそうです。
そんな場所で
一所懸命に古墳らしさを探してくれる
スソさんのことを、
みこちゃんは‥‥
たまらなく愛おしく思うの! |
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社殿が建っています。
この裏に後円部があって
竪穴式の石槨が2つみつかっていますが
今は見学することができません。
出土品は、鏡以外にも
琥珀の勾玉、管玉、武具、多量の鉄鏃があり
宇原神社と苅田町歴史資料館で
見ることができるそうです。 |
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古墳を降り、
町役場の駐車場の脇を通ってゆくと
歴史資料館がありました。 |
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大きな部屋にガラスの棚が並んでいます。
旧石器時代のナウマン象の歯から見て
縄文、弥生時代へ。
歴史資料館の、展示物。
これも「ひとり古墳部」の
名物のひとつと言えるでしょう。
化石、石器、土器、装身具‥‥。
ああ‥‥
こころ休まる写真の連なり‥‥。 |
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子持ちの須恵器、
瀬戸内文化の特徴的なものです。
線刻の入った人物埴輪や
豪華な装身具類もあります。 |
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あ〜!
昨日空港からバスに乗っていたときに
写真を撮っていた小山は古墳ではなくて
松山城の跡だったんだ!
海に突き出た山にお城を造っていたんだ!
スソさんが言っている「小山」というのは、
この「みやこ町編」の第1回に、
ちらっと出てくるのよ。
よかったら振り返って読んでみてね。 |
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白山多賀神社(等覚寺ーとかくじ)で
毎年四月の第三日曜日に行われる
松会(まつえ)と呼ばれる修験道の祭り。
締めくくりに山伏が松柱の上で
刀で弊を切って(弊切り)
収穫を占うらしいのです。
これは是非見てみたいなー。
切られた弊は
種籾の上に落ち(神の御霊が宿る)、
その籾を持ち帰って
各家の種籾に混ぜると豊作になる
というお話もあるんですって。
みこちゃんも見てみたい! |
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現在の展示では
石塚山古墳の解説は、
レプリカと写真だけでした。
三角縁神獣鏡の実物や装身具など、
いつか見てみたいものです。 |
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川本さんは仕事に戻る時間になりました。
「行橋市歴史資料館」の建物の前まで
送っていただきました。
特別展開催中のようです。
ありがとうございました、川本さん。
スソさんに親切にしてくださって、
ありがとうございました、川本さん。
ハニワは何にも言えないけれど、
感謝のきもちでいっぱいです。 |
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あ、これってみやこ町の
勝山コースで歩いた場所のすぐ近くです。
庄屋塚古墳から東に見えそうな丘陵地ですね。
近いけど行橋市側なんですね。
下稗田村遺跡は、
「しもひえだむらいせき」と読むのよ。
弥生から古墳時代にわたる遺跡なの。 |
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弥生時代前期からはじまった高台の集落で
米、海産物や猪・鹿を食べ、
材木の伐採をし、
集落が大きくなっていく様子がわかります。
お米を収穫する道具の石包丁と
材木を伐採する道具の蛤刃石斧の
石の流通が詳しく調べられています。
ムラのなりわいが何かっていうことを
探るてがかりにもなるんですねー。
それにしても
アワビの石包丁ってすごく豪華な道具です! |
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下稗田村遺跡と
すこし北の長尾遺跡の土器ですが、
貝殻を押して繊細に模様をつけています。
強い地域性があるそうですが
初めて見ました。
なんて上品な文様!
これはすばらしいー!
ほんとうに美しい!
「ひとり古墳部」名物の、
展示品が続いています。
うっとり‥‥。 |
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展示品をゆっくり観て、
今日の見学を終えました。
古代の苅田町と行橋市とみやこ町は
地形や文化圏としてまとまっているようなので
合同の展示があったらもっと
わかりやすいのになー
と思いました。
20分ぐらい歩いて
行橋駅が見えてきました。
あれ! あれは昨日来た食堂だ!
昨晩はホテルからぶらぶら歩いて来て
ここで長崎チャンポンを食べたのです。 |
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もう3時ぐらい?
死にそうにおなかがすいています。
オムライスをいただきます! |
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満腹で行橋駅に到着しました。
今日は博多に泊まります。
博多での古墳部が続きます。
博多での「ひとり古墳部」は続きますが、
「福岡県京都群みやこ町編」は、
今回で終了となります(今度はほんとに)。
たっぷりと、濃ゆい、シリーズでした。
次シリーズも、
スソさんの思い入れたっぷりで!
またお会いしましょうねー!! |
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