3、伊都国歴史博物館へ

平原遺跡(ひらばるいせき)を出発して
東に歩き出しました。

頭に描いていたコースと時間の段取りは、
すこしずつずれていますが…なんとかなるでしょう!








 
行き先は...
20分ぐらい黙々と歩いています。

お天気良くて助かった〜。

三雲橋を渡って、花や山や畑を見て
てくてく。。。

東へ
 
今週も、
スソさんのカバンの中からこんにちは。
はにわのみこちゃんです。
ピクニックみたいで気持ちがいいなぁ。
東へ向かって、てくてく、てくてく。






 
神社
あれ? 古墳の看板だ!

築山古墳(つきやまこふん)と、
端山古墳(はやまこふん)があるみたい。

うー、行きたい。
でも、その前に
ちょっと寄りたい場所があるのです。

これこれ、この建物がきっと‥‥
くるっとまわって
やっぱりあった!

細石神社(さざれいしじんじゃ)です。
ほら、「君が代」の、

♪さーざーれーーー
 いーーしーーのーーー
 いーわーおーとーなーーりーてーーー

細石神社
 
伊都国の中心にあるとされる、細石神社よ。
近くの地名の井原(イワラ)や、
南にある桜谷神社の祭神の
苔牟須売神(コケムスメ)、
福岡市の千代(チヨ)の松原、
志賀島の志賀海神社の神楽歌の詞などから、
「君が代」は、
糸島・博多湾一帯の王朝を
詠んだものとする説があるのよ。
(イワ)(コケムス)(チヨ)、
「君が代」の歌詞に出てくるでしょ?


 
祭神は
イワナガヒメ(磐長姫)と、
コノハナサクヤヒメ(木花昨開耶姫)の姉妹。

神話(記紀)では、
コノハナサクヤヒメは、
天孫降臨で日向国に降りて来た神の
ニニギノミコトと結婚して、
ホデリ(海彦)、
ホスセリ(山彦/別名ヒコホホデノミコト)
を生んだ人です。

イワナガヒメは容姿が悪いって帰されちゃったり、
コノハナサクヤヒメだって、
ほんとに俺の子どもか?
って疑われたり、けっこう悲しいお話満載!
生まれた子ども達も波瀾万丈な人生が‥‥。

登場人物
 
スソさんが話してくれている登場人物については、
鹿児島・宮崎に多くの伝承が残っているのよ。
それはどちらかというと南九州ですが‥‥。
ここは北九州ですからね。




 
細石神社
この神社の向きは東!
やっぱり日向峠か
高祖山に向かって建っています!






 
境内の境内には
ぎざぎざ、
なみなみした石が祀られています。

さざれとは、なみなみしているってこと?

細石(さざれいし)
 
さざれ石は、
もともとは「小さな細かい石」
という意味なのよ。
でもね、
小石が長い年月のあいだに
雨水で溶けた石灰質の作用などで凝結して、
大きなかたまりになったものを
そう呼ぶ場合もあるの。
小石が集まっているから、ぎざぎざなのね。




 
大きな石
ご神木です。
根元に大きな石があります。

この神社にある石は、
あちこちから集めてきたような感じがします。

山から? それとも海から?

それぞれの石にまつわる
伝承があるのかもしれないですね。


 
三雲・井原遺跡
道に立って
神社の北側を眺めているだけなんですけど、
この周辺に伊都国の集落というか、
ひとつのクニがあったんですよ。

今はこんなに静かですけどね。

さて、では、
さっきの看板の古墳に
行ってみることにしましょう。

わくわく
 
古墳に訪れるたび、
ドキドキ、わくわくするの。
そこにお友だちはいるのかしら。
つまり、埴輪はあるのかしら?
わくわく‥‥。




 
常に東の山が気になる
東に歩いて、南に歩いて。。。

あ、さっきの細石神社が小さく見えてる。

そして三原色。
 
けっこう歩きましたよね。
古墳はまだかなぁ‥‥。
気がつけば周囲は、
「ひとり古墳部」の三原色、
茶色と緑とグレーです。
ああ‥‥きもちがいいなぁー。




 
築山古墳
7〜8分ぐらいで古墳が見えてきました。

畑や民家に囲まれています。

看板によれば、前方後円墳。

階段があるので登ってみましょう。

あった!
 
古墳‥‥!
築山古墳(つきやまこふん)ね。
4世紀末頃の古墳よ。
墳丘は全長約60mで、
帆立貝式の前方後円墳。
壷型や円筒はにわが出土しているらしいわ。

円筒の埴輪?!
あるのかしら、会えるのかしら?!








 
古墳の上
後円部の中心に神社の社殿が建っています。

完全な円形ではないものの
なんとなく丸さは感じられます。

奥は前方部のはずですが、
墳丘は削られてほとんど残っていないようです。

オタマジャクシのしっぽみたいな
かたちになっています。

いないみたい
 
埴輪のお友だちと出会えそうな、
そんなムードではなかったわ。
出土品は、別な場所にあるのよね‥‥。

‥‥丸みがあってかわいい古墳。
スソさんがうれしそうで、よかった!


 
古墳を見上げる
でも、いい感じで残っていますね。
わざとらしく整備しすぎてないし、
気持ちよく大切にされている気がします。




 
また歩く
端山古墳へも行きたいところですが、
やっぱり歴史博物館へ行くことにします。
このままのペースでいつ着けるのか、
わかりませんから。

4時閉館というタイムリミットもあるし。

しばらく歩くと、小学校の校舎がありました。

わあ、いいなーこの彫刻!




 
博物館へ
学校の先に看板がありました!
よかった〜古墳からは15分ぐらいでした。

あの建物かな?








 
伊都国歴史博物館
違いました!
背中あわせに新しく大きくなって。。。

こっちです。






 
特別展
『邪馬台国を支えた国々』というテーマで、
奴国、伊都国、末蘆国の
出土品を展示していました。

近影するのはダメということでしたが、
ガラスケースから離れて撮るのは
許可してもらえました。

奴国の那珂遺跡(なかいせき)で出た
巴形銅器の鋳型がとても精巧に造られていて
びっくりしました。

もともとこれは、
スイジガイ(水字貝)をイメージして
造られたものだそうです。

尊敬する考古学者の森浩一氏が、
「財・貯・贈・貧…などの漢字でもわかるように、
 貝は財貨と見なされ、
 宝石のように貴重視されていた」
と書かれていたことを思い出しました。

奴国の那珂遺跡
 
奴国の那珂遺跡は、
博多編・埋蔵文化センター で、
登場していますよ。

ところでみこちゃんは、
スソさんのかばんの中だから、
展示物は見られないの。
‥‥お友だちは、いるのかしら‥‥。
いると思うの。
そう感じられるだけでうれしいの。


 
いよいよ平原遺跡の銅鏡実物!
タイムトンネルのような
エスカレーターを上がって3階(国宝展示室)へ。

伊都国が世界の中心に!

わくわく。。。。

そして‥‥
実物、迫力ありました!
装飾品もたくさんあって、
クニの王の墓というのがしっくりきました。

女性かどうか。。。
そこまでの確信は持てなかったけど
みんなが女王であって欲しいという
願いがすごく伝わってきました。

とても残念ですが、国宝のため撮影厳禁でした。

この公式ホームページ
展示室の様子をご覧下さい。

ここまで何も飲まず食わず‥‥。
目的を果たしたとたん、
急速にエネルギー不足。
もう歩けません!

それでも、つづく!
 
そう、鏡が見たくて東に向かったのよ。
スソさんが実物を見られてよかった。

みこちゃんもあとで、
公式ホームページに行ったの。
YouTubeの動画でいろいろ見られたわ。
みんなもアクセスしてね!

だいぶお疲れのスソさんだけど、
伊都ー壱岐島編は、まだつづきまーす。

 
2012-09-30-SUN
 
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