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ここから→ここかる→こっかる?
250mってたいした距離じゃないですね。
10分程度かな。
細い道に入って行きます。
だんだん木が高くなってきて
道が薄暗くなっていきます。
古墳まで、250メートル!
わくわくしているちいさな人形は、
ハニワのみこちゃんです。
それにしても、
ほかに人がいないですー。 |
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突き当たりに看板があります。
左は笹塚古墳あと50m、
右は百合畑古墳群150mです。
左へ行きます。
あ、あそこかな? |
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横穴式の石室が開口しています。
このまわり全体が山のように見えているので
どこからが古墳の墳丘なのか
よくわかりません。
四角い石が入り口手前の地面にあるのは
塞いでいた石が倒されている状態でしょうか?
古墳だわ。
大きな古墳の入り口だわ。
なんて、なんてステキなたたずまい‥‥。
「ここで働かせてください!」 |
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こちらが日陰側で、
入り口も暗く(写真は補正して明るくしている状態)
肉眼で見える石室内は真っ暗です。
なんとも言えず、怖い‥‥!
むむむ‥‥
これ以上近づくことができません。
こういうときは
無理して入らないでおこう!
直径約66mの円盤状の台座の上に、
径約40mの墳丘を築いた、
二段築成の巨大円墳よ。
複式構造の横穴式石室で全長15.2m。
亀形の金銅製品や馬具、
朝鮮系の陶器が出土しているのね。
6c後半〜末、首長クラスの古墳とされているの。
やっぱり立派だわぁ‥‥。
「ここで働かせてこださい!!」 |
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ちょっと敗北感‥‥
とぼとぼ道を引き返して
百合畑古墳群へと向かいます。
道は大きくUターンして‥‥
と、突然すこーんと明るくなりました。
ちょっと騙されたような気分です。
さっき怖いと思ったことが
嘘のような明るさです。
みこちゃんも、すこしだけ敗北感。
結局、Uターンしたから
石室に入れなかったし。
あそこで、働きたかった‥‥。 |
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もうすぐかなーと思った矢先、
また突然に暗いエリアに入りました!
え? 生池? って!
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なんと、
昔カッパが人を生け捕りにしたから
生池と呼ぶようになったと
書いてあります!
このしめ縄からむこうに
わざわざ入ってみなくてもいい!!
と思います。
そうそう、
入ってみなくてもいいです!
カッパが悪いことをする場所なんて‥‥。
ここで働きたくはないの! |
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生池から数メートルで、
またカラッと明るくなり
道の先に古墳が見えました。
あー古墳が気持ちよいところにあって
良かった!良かった!
吸い込まれるように(なぜだ?)
円墳の中へ。
奥行きはなく単室の横穴式石室です。
大きな石を使っています
こっちの古墳も、
とってもすてきだわ‥‥(うっとり)。
ほんとうに吸い込まれそう‥‥。
そして、
「ひとり古墳部名物・石」の予感が‥‥。 |
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古墳群というだけあって
あちこちにあります。
大きな石が転がっていたりします。 |
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円墳だけでなく前方後円墳もあります。
最後に立派な石碑と案内板が立っていました。
「壱岐島内に256基の古墳がある」
と書いてあり、びっくり!
豪族クラス以上の人が
多くいたということになるのかなぁー
とうぜん、人口も多かったということですね。
島分寺を造った頃(8c中頃〜?)、
経済力が弱かったというのは
古墳を多く造った6c末から7c初めのあとに
何か変化があったということでしょうかね?
うーむ‥‥わからないな〜。(宿題です!) |
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道の奥に屋根が見えています。
あちらへ向かうとしましょう
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広い道に出て、ちょっと北へ行くと
道路の脇に駐車場とまんまるの古墳が見えました。
こんなに形がはっきりとした円墳って!
復元でしょうか?
掛木古墳(かけぎこふん)は、
6cの末頃の円墳なの。
造られた頃、径は30mほどあったのでは?
と推定されているのよ。 |
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石室は複式構造で奥行きが13.6m。
ここも中は暗いのですが
まわりの人工的な明るさに安心感があって
すっと入って行けました。
石棺の中も覗いてみます。
ここ!
ここが今回のポイントなの!
長崎県唯一の、くりぬき式家形石棺。
「くりぬき式」! |
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鬼の巌古墳や笹塚古墳と違って、
石の形・大きさ・種類が
バラバラな感じがしました。
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すごくわかりやすい絵が描いてあります。
石材をこんなふうに運んだそうなのですが
この船のようなものを
「修羅(しゅら)」と呼んだそうです。
え?
あの?
♪こんぴらふねふねおいけにほかけて
‥‥しゅらしゅしゅしゅ?
‥‥みこちゃんは知っていました。
その歌は、関係ないということを。
修羅は、
重い荷物を乗せて運ぶための木ぞりのこと。
大阪市藤井寺市三ッ塚古墳の
周濠から出土して判明したの。
出土したそれは、
大阪府立「近つ博物館」に
展示されているんですって。 |
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今日は月曜日なので資料館は閉館しています!
あー、残念無念。
仕方ない! さあ、また歩きますぞ!
スソさんがいっかい落ち込んで
あっという間に立ち直ったわ。
すばらしい復元力。
というわけで、
まだまだつづくのーー。 |
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