7、壱岐島の古墳群

壱岐島でのひとり古墳部が続いています。
ひとり。。。を実感。

黙々と西へ向かって歩いています。










 
こっかる?
ここから→ここかる→こっかる?

250mってたいした距離じゃないですね。
10分程度かな。

細い道に入って行きます。

だんだん木が高くなってきて
道が薄暗くなっていきます。

250メートル
 
古墳まで、250メートル!
わくわくしているちいさな人形は、
ハニワのみこちゃんです。

それにしても、
ほかに人がいないですー。




 
看板
突き当たりに看板があります。

左は笹塚古墳あと50m、
右は百合畑古墳群150mです。

左へ行きます。

あ、あそこかな?






 
笹塚古墳
横穴式の石室が開口しています。

このまわり全体が山のように見えているので
どこからが古墳の墳丘なのか
よくわかりません。

四角い石が入り口手前の地面にあるのは
塞いでいた石が倒されている状態でしょうか?

わあ‥‥
 
古墳だわ。
大きな古墳の入り口だわ。
なんて、なんてステキなたたずまい‥‥。

「ここで働かせてください!」








 
石室
こちらが日陰側で、
入り口も暗く(写真は補正して明るくしている状態)
肉眼で見える石室内は真っ暗です。

なんとも言えず、怖い‥‥!
むむむ‥‥
これ以上近づくことができません。

こういうときは
無理して入らないでおこう!

笹塚古墳
 
直径約66mの円盤状の台座の上に、
径約40mの墳丘を築いた、
二段築成の巨大円墳よ。
複式構造の横穴式石室で全長15.2m。
亀形の金銅製品や馬具、
朝鮮系の陶器が出土しているのね。
6c後半〜末、首長クラスの古墳とされているの。
やっぱり立派だわぁ‥‥。

「ここで働かせてこださい!!」




 
急に
ちょっと敗北感‥‥
とぼとぼ道を引き返して
百合畑古墳群へと向かいます。

道は大きくUターンして‥‥
と、突然すこーんと明るくなりました。

ちょっと騙されたような気分です。

さっき怖いと思ったことが
嘘のような明るさです。

敗北感2
 
みこちゃんも、すこしだけ敗北感。
結局、Uターンしたから
石室に入れなかったし。
あそこで、働きたかった‥‥。




 
また急に
もうすぐかなーと思った矢先、
また突然に暗いエリアに入りました!

え? 生池? って!

な、なまいけ?!
 
なまいけ?
生の池?
‥‥とても生々しい雰囲気。






 
生池
なんと、
昔カッパが人を生け捕りにしたから
生池と呼ぶようになったと
書いてあります!

このしめ縄からむこうに
わざわざ入ってみなくてもいい!!

と思います。

同感!
 
そうそう、
入ってみなくてもいいです!
カッパが悪いことをする場所なんて‥‥。
ここで働きたくはないの!














 
百合畑古墳群に到着
生池から数メートルで、
またカラッと明るくなり
道の先に古墳が見えました。

あー古墳が気持ちよいところにあって
良かった!良かった!

吸い込まれるように(なぜだ?)
円墳の中へ。

奥行きはなく単室の横穴式石室です。
大きな石を使っています

わあー、すてき!
 
こっちの古墳も、
とってもすてきだわ‥‥(うっとり)。
ほんとうに吸い込まれそう‥‥。

そして、
「ひとり古墳部名物・石」の予感が‥‥。








 
ぽこぽこと
古墳群というだけあって
あちこちにあります。

大きな石が転がっていたりします。










 
地図
円墳だけでなく前方後円墳もあります。

最後に立派な石碑と案内板が立っていました。

「壱岐島内に256基の古墳がある」
と書いてあり、びっくり!

豪族クラス以上の人が
多くいたということになるのかなぁー
とうぜん、人口も多かったということですね。

島分寺を造った頃(8c中頃〜?)、
経済力が弱かったというのは
古墳を多く造った6c末から7c初めのあとに
何か変化があったということでしょうかね?

うーむ‥‥わからないな〜。(宿題です!)


 
再び道に出る
道の奥に屋根が見えています。
あちらへ向かうとしましょう

向かいましょう
 
歩くのはたのしいですね、スソさん。








 
整備された古墳
広い道に出て、ちょっと北へ行くと
道路の脇に駐車場とまんまるの古墳が見えました。

こんなに形がはっきりとした円墳って!
復元でしょうか?

掛木古墳
 
掛木古墳(かけぎこふん)は、
6cの末頃の円墳なの。
造られた頃、径は30mほどあったのでは?
と推定されているのよ。








 
石室
石室は複式構造で奥行きが13.6m。
ここも中は暗いのですが
まわりの人工的な明るさに安心感があって
すっと入って行けました。

石棺の中も覗いてみます。

この古墳の重要ポイント!
 
ここ!
ここが今回のポイントなの!
長崎県唯一の、くりぬき式家形石棺。
「くりぬき式」!






 
玄室へ
鬼の巌古墳や笹塚古墳と違って、
石の形・大きさ・種類が
バラバラな感じがしました。

 
ああ‥‥すばらしい。
「石祭り」だわ‥‥。








 
看板
すごくわかりやすい絵が描いてあります。
石材をこんなふうに運んだそうなのですが
この船のようなものを
「修羅(しゅら)」と呼んだそうです。

え?
あの?
♪こんぴらふねふねおいけにほかけて
 ‥‥しゅらしゅしゅしゅ?

修羅
 
‥‥みこちゃんは知っていました。
その歌は、関係ないということを。

修羅は、
重い荷物を乗せて運ぶための木ぞりのこと。
大阪市藤井寺市三ッ塚古墳の
周濠から出土して判明したの。
出土したそれは、
大阪府立「近つ博物館」に
展示されているんですって。


 
閉館
今日は月曜日なので資料館は閉館しています!

あー、残念無念。

仕方ない! さあ、また歩きますぞ!

つづきます
 
スソさんがいっかい落ち込んで
あっという間に立ち直ったわ。
すばらしい復元力。

というわけで、
まだまだつづくのーー。

 
2012-11-11-SUN
 
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