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トチノキ、クヌギ、栗の木が植えられています。
どれも縄文時代の
貴重な食料になった木ばかりです。
ここは弥生時代に
ヒトが集まった土地かと思いましたが
縄文時代からヒトが住んでいたんですね。
どんぐりって
「どんぐり」という名前の木の実
ぐらいに考えていましたが、
ブナ科に属するカシ・ナラ・カシワ・シイなど、
多種類の樹木の果実の総称なんだそうです。
その中から、美味しくて、栄養価が高くて、
育てやすいものを
縄文人はしっかり選んでいたんだと思います。
歴史館が建っている地域から、
縄文時代後期から弥生時代・古墳時代へと
継続して集落があった跡(屋代清水遺跡)が
みつかっています。
公園内には竪穴式住居や高床式倉庫、
儀式の場などが復元されています。
みなさま、お待たせしました!
今回ついに、久々に、
古墳が登場するのです。
もう、予告をしてしまいましょう。
次の次のコマに、古墳登場です!! |
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航空写真のパネルがありました。
歴史館の裏(南側)には
有明山(ありあけやま)があって、
そこには古墳や神社、
城跡などの遺跡があります。
古墳へは約1km。
徒歩でも登れるそうですが
20~25分ぐらいかかるということなので
専用のバスに乗って行くことにしましょう。
バスは、急な坂をジグザグ登っていって..
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4世紀末頃に造られた
森将軍塚古墳
(もりしょうぐんづかこふん)です。
長野県で最初に造られた前方後円墳で
全長約100メートル。
長野県一番の大きさ。
まるで、森という名前の
将軍がいたような古墳名ですが
そうではなく、
地名の「森」+偉い人のこと=「将軍さま」の墓
ということらしいです。
ちょっと斜めのかたちなのは、
山の尾根のかたちを利用したからでしょう。
前方後円墳の周辺に
5世紀から7世紀に造られた
小さな古墳が13基あります。
この森将軍塚古墳と、
有明山将軍塚古墳・
倉科将軍塚古墳・
土口将軍塚古墳の
4つの古墳をあわせて
埴科(はにしな)古墳群と呼ばれています。 |
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横から見上げています。
並んでる‥‥並んでいるわ‥‥。
埴輪たちが青空の下‥‥。
ああ‥‥きれい‥‥。
おーーーい、埴輪のみんなーーー!
すごく、すごくきれいだよーー!!
みんなかっこいいよーーー!! |
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墳丘に登ります。
後円部は楕円形をしています。
墳丘の輪郭線上には
大型の円筒埴輪や壷形埴輪・朝顔形埴輪が
復元され置かれています。
きっと出土したものを参考にしたのでしょう。
ここのみんなは、復元なのね。
でも、みこちゃんは感激。
この場所に、みんながこうして
並んでいたんですもの。
復元してくれたひと、ありがとう! |
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後円部には
大きな竪穴式石室があったようです。
石室は長さ7.6 m 幅2m高さ2.3mと
それだけでも大きいのですが、
さらに二重に石を敷き詰めて囲んでいて、
全体で13.8m 幅8.8m という規模。
この床面積は日本最大だそうです。
副葬品も三角縁神獣鏡あり!
しかし、この大きさの石室なら
もっと沢山あったのでは?
これだけ目立つ古墳だから、
盗掘されてしまったのかなー?
みこちゃん、調べてみました。
スソさんの推理どおり、
やっぱり盗掘されていました。
鏡は破片が残されていたそうです。
他にもここからは、
ヒスイの勾玉・管玉・鉄剣・鉄鏃・
土器などがみつかっています。 |
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それにしても、
ここはなんて気持ちいい
場所なんでしょうか!
自分が映画のセットの中にいるような
感じがするのは
どうして?
あまりにも作り物っぽい
出来すぎた風景だからでしょうか?
違うー、きっとオレ様気分に
なれるからかも!
そうだそうだ!
後円部に立って
右から左へ景色を見ていきます。
眼下の盆地には
田んぼが広がっています。
弥生時代もこれに近い
風景だったのかなー。
最後の写真、
左から突き出ている
低い緑の丘の先のほうが
さっき怪しいと思って
登ったところです。
その緑の丘の向こう側を
平行するようなかたちで
千曲川が流れています。
ほんとーに、気持ちがいい!
スソさんが言っているように、
なんだか「オレ様気分」になっちゃう。
やっぱり古墳って、
こういう気持ちのいい場所にあるのねー。
偉い人のお墓ほど、
「オレ様気分」になれる
雄大な景色のなかにあるのかも。
そして‥‥ああ‥‥最後の写真、
あの緑のところにさっき登ったのね。
ここから眺めると不思議な気分‥‥。 |
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ちょうどその方向が
パネルに描かれています。
千曲川の向こう側の山にも
大型の前方後円墳が幾つか
造られているんですね!
「千曲川が氾濫を繰り返したため
川の脇に堤防のような微高地ができ、
両側の山からの水がそれにせき止められて
大きな湿地帯となり、
それが弥生時代に稲作に
とても適した土地になっていた」
ということが書かれています。
稲作をするムラがたくさんできて
大きなクニとなっていったんですね。
そのクニの一番偉いヒトの墓がここです。 |
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前方部から
くびれ部のほうへ目を移すと
下に敷石と石棺らしきものが
見えます。
古墳を降りて近づいてみると‥‥
これは3号墳の石室の跡ですね。
3号墳は、直径6mの円墳なのよ。
それにしても、きれいなくびれ‥‥。
ここにもきちんと埴輪が並んで‥‥。
うれしいな。
みこちゃん、古墳にこられてうれしいな。 |
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これは組合式箱形石棺です。
古墳の裾や前方部の墳頂に
このような石棺が
40基もあるそうです。
家族でしょうかそれとも? |
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バスで山を降りて
「森将軍塚古墳館」に入りました。
1階には竪穴式石室を
実物大に複製した模型があり、
断面から見ることができます。
実物は現地に埋め戻されているそうです。
2階からはその石室を
上から覗くことができます。
使われた石の量と大きさが実感できます。
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古墳に置かれていた実物の埴輪です。
ちょっと胴がくびれている
円筒埴輪と朝顔形埴輪、
そして合子形埴輪と呼ばれているものです。
合子形? これは初めて見るかたちです。
合子(ごうす)は
身と蓋がある容器のことらしいのですが
武器などを入れるものを
表しているのでしょうか?
それとも宝?
うーむ。
みこちゃんのような人物や馬の埴輪は
もうすこし後の時代の古墳にあります。
みこちゃん、残念でしたね!
ううん。
スソさん、残念なんかじゃない。
だって実物の埴輪に会えるなんて‥‥。
そうなのね、きみたちは、
ここにこうして、ずーっといるのね。
‥‥こんにちは。
みこちゃんといいます。
きみたちに会えてとてもうれしいです。 |
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前方部墳頂の
後円部に近いところにあった
埴輪の棺。
円筒埴輪と朝顔形埴輪・
壷形埴輪を組み合わせて
棺として使ったものだそうです。
ちょっと独特ですね。
このような棺が前方部墳頂や裾から
12基見つかっています。
古墳14、
組合式箱形石棺40、
埴輪棺12‥‥。
全部で何人ぐらいの人が
ここに埋葬されていることになるのかなー。 |
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その他に、出土した副葬品や土器なども
展示されています。 |
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古墳館を出て山を見上げると
古墳がちらりと見えました。
ここから見ても大きいーです。
大きいーーー。
立派な古墳だったなー。
ありがとう、またね(古墳に手を振る)。 |
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いつもはまったくタイミングがあわないのですが
今日はついています!
あと5分でバスが来ます。
駅まで歩かずに戻れます。
わー、バスだー。
揺れて自分が割れないように、
みこちゃんはスソさんのかばんの奥の
やわらかいところにもぐりますー。 |
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御代田へ帰る友達とは
ここでお別れです。
わたしは北隣の篠ノ井駅から
篠ノ井線で松本を経由し、
中央本線でのろのろと東京へ戻ります。
縄文も古墳も面白かったけど
なにより美味しい空気を
いっぱい吸い込んだ2日間でした。
ありがとうー浅間山!
ありがとうー千曲川!
スソさん、古墳につれてってくれてありがとう。
また行きましょうね。きっとですよ?
というわけで、
「浅間山のふもと編」は終了です。
また次のシリーズでお会いしましょー! |
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