昨年は「縄文」がにわかに脚光を浴びた一年でした。
それが近頃「コフンコフン」と耳にしますよね。

そう言えば、最近古墳のことをちっとも書いていなかった……。
忘れていたわけではないんですよー。
実は、地味に見て廻っていたんです。
久々の古墳部は、
まずは富山の古墳のことをご報告しますね!

あ、そうそう、
この「ひとり古墳部」は7/31(水)~8/6(火)で
大阪に出張します。
「生活のたのしみ展」も開催されたことがある
阪急うめだ本店の10階ですよ。




 
いつ?どこへ?
それは数年前の11月のことじゃった。
金沢に帰省中のある日、朝からとてもよく晴れたので
「富山へ行ってみようー!」
と、Oさんが車に乗っけてくれました。

着いたのは、小矢部(おやべ)
ふるさと歴史館考古資料室。

小矢部市について。
 

こんにちは。
わたくし、物体としてはミミズク土偶、
名は健太郎。
人呼んで、ミミケンと申します。
不思議な縁をもちまして、
スソさんのカバンのなかから、
レポートの解説をさけぶ土人形でございます。
西にいきましても、東にいきましても、
とにかくカバンの中の硬いものが
鬼門でございます。
ああ、スソさん、どうか、どうか、
走らないでください。
そのiPhoneやメガネケースが
あぶのうございます。
さて、口上はこのくらいでございますが、
とにかく、小矢部市とはですね、
富山県の西端にある市です。
古代より北陸道が通り、
倶利伽羅峠(くりからとうげ)を境に
加賀国となるため要衝であり、
宿場町もありました。
砺波(となみ)地区に属し
北、西、南は山間部で、
東に砺波平野が広がっている場所です。





 
おっ!
埴生地区とな!
「はにゅう」は埴輪のハニ。
つまり埴輪が生まれた場所という名ですぞ。

わくわく。

小矢部市には約60基の古墳があり
中でも埴生地区には
古墳が集中して分布しているそうです。

うむ。この模型の若宮古墳……。
ここからわりと近そうだ!

古墳三原色
 

山の緑、土の茶色、石室の灰。
それが、古墳三原色。
この二枚の写真は、
石室こそうつっていませんが、
三原色感にあふれていますね。







 
一番目に造られた
谷内(やち)16号墳。
3世紀後半から4世紀初め頃の
前方部がやや細長い、
全長約48mの前方後円墳。

撥(ばち)のような前方部。
これって古い形ね!

標高が最も高いところに一番先に造った。
見晴らし重視。
一番良いところだもんね!

出てきたのは
鉄鍬、鉋(やりがんな)、鉄剣。

農工具ってところが
つつましい感じがするわ~。

何故変形していくのか!
 

ピラミッドなども、
なんか形アレンジしてみました、
みたいなものがありますし、
なぜ、普通の形じゃないものが存在するのか
その理由を想像してみるのは
なかなかおもしろいとミミケンはおもいます。
なんで、細長くしたんだろう。
結局理由が思いつかないときは、
「うっかり」ということにします。
人間だもの。
ミミケンはちがいますけど。







 
2番目
次に造られたのは関野1号墳。
後円部が半分削られてしまったけど
推定全長65mの前方後円墳。

この古墳群の中で一番大きいサイズ!
ムラも権力も大きくなったのか?

埋葬部が不明なのは残念だな~。

86年の調査で土師器などが出て
これは「布留式(ふるしき)土器」に
近いものらしいと。

……ということは、
このヒトは(一人じゃないかもしれないけど)
畿内とつながりがあったのかもしれない、
という証拠物です。

布留式(ふるしき)土器
 

奈良県天理市の布留遺跡から
出土した土器により
名付けられた土器のことです。

口のところが、やりすぎて
エリザベスカラーみたいになっていますね。
その土師器は。
ミミケンは、やりすぎも大好物です。
そんなに極端にしなくてもいいだろう?
という造詣には理由がある場合と、
理由不明のときがあります。
理由不明のときは、
だいたいかっこつけなんじゃないかと
思っているのです。
これは、理由があるのでしょうかね。
ミミケンはしりませんが。
というか、ミミケンは解説してないですね。
感想を述べていますね。毎回。















 
3番目の古墳
谷内21号墳は直径約30mの円墳です。
埋葬施設は2基あって
(つまり2人埋葬されていたらしい)
そのうち1基の長さ9.9mの棺跡から
副葬品がたくさん出ています。

竪櫛や三角板革綴単甲、頸甲(あかべよろい)、
肩甲(かたよろい)、盾、鉄刀、鉄剣、鉄鏃……。

竪櫛以外、武具と武器ばっかりだな~。
勢力増大になったか?!

こんなにたくさん櫛持ってるって女性なのか?
女性の武人? それとも奥さんの櫛?
いや男性もいっぱい櫛つけてたのかな~
髪長くしてたっぽいのでね。

長い棺に、縦に男性と女性が
埋葬されていた可能性も
あるのかな~~?

求む! 学芸員さんからの情報やご意見をぜひ。

ミミケン、思うに。
 

ミミケンは、こう思うのです。

説1。
櫛に取り憑かれていた。
ミミケンの知り合いに、
金属製の小さな人形にとりつかれた人物がいます。
本当にたくさんの小さな人形をもっていて
ちょっと怖いです。
つまり、そういうタイプの人のお墓説。

説2。
歯が抜ける夢をよく見ていたから。
歯が抜ける夢ってとても不吉だから、
櫛の歯をおるといいとかいわれませんでしたか?
ミミケンは言われました。
ミミケンの母に。
(そんな設定あったかな。母? いるの?
ミミケンに母? というか、設定って何?)
なので、櫛の予備が必要だった。





 
発掘時の写真
身につけて埋葬されたのか、
それとも別にまとめてなのか……。
ううむ、写真パネルからは想像しづらい。

鉄だらけで茶色い。
鉄って貴重だったとはいえ、やや地味……。

あ、でも当時は
どれもピカピカしていて、
すごく派手だったはず!

精一杯想像しなきゃ失礼ね。








 
4番目の古墳
次に造られたのは関野2号墳。
直径29.5mの円墳です。

一基の埋葬部から刀と小玉がざくざく出ている。

おや、なんと
小玉はプラスチック容器の中に入ったまま!

ともかく、刀の鞘にじゃら
じゃらとつけていたのかも
しれないって、装飾系男子か。

副葬品は少なめだけど、
この玉のお陰でちょっと存在感が出せて
良かったね!










 
最後に若宮古墳
入口にあった模型の前方後円墳。
全長約50m。
6世紀初め頃。

途中、円墳が続いたけど
最後にまた前方後円墳になりましたな。

おーやっと登場した円筒埴輪。
埴生だし、これがないと決まらない。

あと、三輪玉?
んん珍しい! こんなの初めて見た?
いや、たしか能美市の古墳でも……。

三輪玉のことなど。
 

ちょっと真面目にせつめいしなくちゃ。

三輪玉というものは、
奈良県桜井市三輪の大神神社の祭祀遺跡から
多く発見されているものです。
太刀の柄に飾りとしてつけたもので、
水晶製のものが多いが、
中には金属製のものもある。

石川県能美市の古墳(和田山5号墳)でも
出土した記録があるが、現存していない。
な、なくしたの?
どうしたの?
三輪玉。





 
横穴墓
若宮古墳のあとは
大きな古墳は造られなくなって
横穴墓だけになっていったそうです。

埴生の北に位置する桜町では
横穴墓が11基ほど確認されていて
そこから出土したものです。

このあたりの地形写真を見ると
丘陵の斜面には
もっといっぱい横穴墓がありそうだけどな~。

横穴墓
 

横穴墓というのは、
大地や段丘の斜面につくられたお墓のことです。
スソさんといろんな街をあるいていると、
「このあたりは縄文時代には
ギリギリ陸地でね、
こう、ながめると高台じゃない?
ここはいいよ。このエリアはおすすめ。」
などと、住む場所指南をしてくれます。
通称を「縄文不動産」というんです。
ミミケンの知り合いは、
スソさんが遊びにきたときに、
「ここはいい場所だよ!
そのアパートのしたの崖、
ちょうど横穴墓がありそうな雰囲気!」
と言われていて、
「お墓??」とちょっと強めの口調で
詰め寄っていましたが。





 
古墳時代コーナー終わり!
ここにいた首長たちは、平野部へ移動していき
のちの豪族「砺波臣氏(となみのおみし)」と
連なるのではないか
と考えられているそうなー。

今回はここらでおしまい。

次回もおたのしみにー!
 

来週は、大阪のこともうちょっと
お伝えできると思います。


2019-06-18-TUE
 
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