歌のない人生なんて‥‥。
こんにちは、恋歌くちずさみ委員会です。

さてさて、ほぼ日乗組員の投稿例も今回で最後。
ふるってお手紙(メール)をくださいねー。

「投稿って?」「これはそもそもどういう企画?」
というかたは、ぜひこちらの、
あまずっぱいイントロダクションをお読みください。

好きになる子は、
ふつう、同じ学校の子でした。

(投稿者・ナガタ)

『初恋』
 歌/村下孝蔵
 
1983年(昭和58年)
My恋歌ポイント

 放課後の校庭を 走る君がいた
 遠くで僕はいつでも君を探してた

40歳以上の「口ずさみ世代」は、
テレビやラジオで聞いただけの歌も
すらすらと口ずさむことができます。
ぼくにとってこの『初恋』もそんな曲。

十代のころ部屋でくり返し聴いたのは、
大瀧詠一、佐野元春、サザンというあたりでしたが、
そこで歌われている「恋の場面」は、
地方に住む中学生にはきらびやかすぎて
まったく現実味がありませんでした(当たり前だ)。

好きになる子は、ふつう、同じ学校の子でした。
好きになったことを伝える以前に
好きになったことを自分でわかるまでが大変でした。
好きになるという気持ちは
当時、ずいぶん扱い慣れないものでした。

そして、好きだという気持ちが
いちばんぐるぐるするのは、
夜よりも、「放課後」でした。
好きな子と話せることは最上位の幸運で、
毎日自分で目指せるぎりぎりのことといったら
それは、やっぱり「見ること」でした。

演歌で歌われる男女の恋を
深い海のような関係だとするならば、
放課後に校庭を走る君を探すことは、
もう、波打ち際のように「浅い」。
けれども、「浅い夢だから胸をはなれない」。

シンガーソングライター特有の、
曲と詞と歌が一体になっている感じもすばらしい。
「五月雨は‥‥」とくれば、「緑色」ですよ。

「愛という字書いてみてはふるえてたあの頃」
って歌詞があるけど、
こういう気持ちは痛いほどわかる。
ぼくの場合は愛という字じゃなくて
なぜか似顔絵だったけどねー。
ところで村下さんって早逝なさってるんですよね‥‥。
46歳だったそうです。
おーい、みんな、ぼくらのいまと
そんなにかわらないよー!

わたしもテニスコートの隅で
テニス部のキャプテンを凝視していました。
こわいくらいに‥‥。
「好きな女の子と話せるのは最上位の幸運」
まったくその通りでした。
とくにぼくは男子校。女子と話すことは、奇跡。
購買部のおばちゃんと話すだけで
すこしあがったりしていたくらいです。
それはともかく、永田さんの青春期を
思わぬかたちで知ることができました。
ありがとうございます。
そういう話、なかなかしないからなあ!
2011-04-29-FRI
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