糸井 |
ぼくは、役に立つ若者だったんです。
学生運動のときも、
乱暴なことでも役に立つし、
細かいことでも役に立った。
ただ、あいつには問題あるぞ、と
悪い注目もされた。
やめちゃうんじゃないか、とかも言われた。
あるとき、大きな大会で演説を頼まれました。
やっぱり頼まれると悪い気はしないんで、
引き受けたんだけど、そのときに先輩から
「髪を切れ」と言われたんですよ。
当時、すっごい長い髪だったの。
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大野 |
ロンゲだったんですね。
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糸井 |
自分ではヒッピーと重ね合わせていたんだけど、
単なる不精なロンゲ。
だけど、のばしっきりにしてるのは
やっぱり自分にとって意味があった。
つまり「健全なる好奇心の対象」だったんですよ。
上役から
「糸井君ちょっと」と呼ばれて、
「髪を切るのはどんなふうに大事か」
「君を見込んでのことだ」
と、いろいろ言われました。
それを聞いてたら涙が出てきたんですよ。
髪を切るぐらいのことなのにね。
ここで道がふたつに分かれるんだ、
という気がしました。
切らないでその場所にいる自分と、
はい切りましたという自分。
19歳のときだったかな、
ぽろぽろ涙が出てきてね。
泣いちゃったらなんだかあきらめがついて、
ぼくは髪を切りました。
だけど、なにか
「俺は嘘ついたな」というような
嫌なものが残りました。
ひとりずつの先輩が、
ほんとうは尊敬できていないということに
気づきはじめたんですよ。
彼らにあこがれられないんです。
世界の形がなんだかきれいに見えてきて、
間違ってしまった。
もっと不定形なぐちゃぐちゃなものなんだ、
ということが、ぼくらには
わかんなかったんだなぁ。
鋳型を作ってはめていこうとする人が、
やっぱりどの向きにもたくさんいるから。
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大野 |
たくさんいますか?
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糸井 |
もうずーっと、います。
動機もきれいかもしれないし、
ふだんいい人かもしれないけど、
やっぱり「困ったもんだな」と思う。
ネガティブに言えば、ぼくはそういう人たちの
邪魔になるような生き方を
したいなと思っています。
ポジティブに言えば、
そういう人たちに目が行かずに、
弾むボールである人たちが
思いっきり自分を弾ませて
びよんびよんしていけるよう、
「こっちはおもしろいぞー!」と
言っていられるようにしたい。
それはやっぱり自分が過去に、
「そう間違うんだ」と思ったことがあるからです。
何度もあります。
その自分を否定するわけにはいかない。
そのときにそうなる自分というのは
運みたいなもので、
否定するわけにはいかないんです。
だから結局、
その人のためにも祈りなさい、
ということなんですよ。
長いこと宗教がやってきたことはやっぱり
なかなかすごいことなんだな、と思います。
そうしていかないと、健全な好奇心ってのは、
やっぱり失われるんですよね。
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大野 |
ぶつかりや反省のくり返しだけど、
そのときのその人は
やっぱりしょうがないんですね。
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糸井 |
大野さんがビルマ女子のときに
ばーんと転んで、痛いけど元気、って言ってた。
もう一回がーんと頭を打って「難病ー!」、
このダブルショックから
作家になるまでの間とかね、
ほんとうにすごいよ、と思います。
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大野 |
ものすごい心配性なんです。
人から「こうらしいよ」と言われても、
心配でしょうがない。
石橋を叩くどころか、
何の石でできていてどういう設計で
誰が作ったのか確認しないと、
渡れないビビりなんです。
あんまり自覚はない、というか
これも結果論として人から
言われることに過ぎないんですが、
「クラッシュ型」。
常にクラッシュクラッシュ(笑)。
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糸井 |
これで
「さぁわたしはどう悲しいでしょう?」
という質問、してみたいですよ。
してみろ、と言いたいです。
だけど大野さんはいつも
必死の力を発揮してるから。
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大野 |
そうですね。
必死っていうのは、つくづく‥‥。
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糸井 |
おもしろいです。
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大野 |
必死というのは‥‥つまり、
かっこわるいのは、
すごくかっこいいと思うんですよ。
他の人を見ていて、ほんとうに、そう思うんです。
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糸井 |
大野さんみたいな
クラッシュの連続です、という人が
笑ってるときに
何を考えているのかは、
たとえば受験生にも教えたいです。
何が違うんだろ。キャパの作り方?
だけど、大野さんだって
ビルマ少女のときは苦しかったわけですよね?
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大野 |
いやまず、親が‥‥
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糸井 |
あ、ムーミンズ?
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大野 |
そう。ムーミンです。
子どものころから、わたしにとっては
親は「保護者」というより、
不思議なムーミンみたいな存在でした。
共働きなので、
夜中まで帰ってこないわけです。
じーちゃんばーちゃんは大正生まれの
典型的な東北の農家の人で、
朝の5時から夕方の5時までずっと
畑にいる人たちでした。
ですからわたしは、家の中でひとりきりです。
完全放置。
なんというか、そのへんで野良仕事をしている
近所のじーちゃんばーちゃんの周辺とか、
そのへんの山とかで、てきとうに育ちました。
親は、わたしにとっては
塾行きたいとか大学に行きたいとか言ったら
「お金を出してくれる人」であって、
教えを請う対象ではなかったと思います。
灯油タンクの補給の仕方とか、
どこの直売所の桃がうまいのかは
教えてもらいました。
家の軒下の蜂の巣を防護服みたいなのを着て
退治するお父さんはえらいと思ったし、
忙しい仕事のストレス解消に
ジャズダンスと間違えて
ヒップホップ教室に突如通ったお母さんも
すごいとは思いました。
でも幼児のときから、こうしろああしろと、
言われた記憶があまりない。
上京してきてびっくりしたことのひとつは、
都会の人の親子関係というのは、
こんなに密着しているものなのかと。
ムーミン谷では、お父さんお母さんに、
どこの学校に行ったらいいかとか訊いても、
まず第一に知らないから彼らは答えられない。
自分で調べるしか選択肢はないんです。
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糸井 |
忙しくてしかたなかった、というのとは違う?
「愛されてない感」は?
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大野 |
「愛されてない感」はぜんぜんないです。
うまく言えないですが、
東京とは物理的な距離感が全く違うんです。
子どもに手をかけるということの意味合いも違う。
バスとか電車とか、近くにそういうものはない。
ないから最初から想定に入らない。
田舎で生まれ育つとはそういうことです。
中学までは、町が運営する
スクールバスを使えましたが、
それも平日の朝だけ。
わたしが部活や生徒会をやるために、
毎日夕方、車で学校まで迎えにきてくれた。
高校はさらに遠い。
通学に列車を使わなくてはいけなくなったので、
朝の5時と夜の10時、
最寄りの駅まで車で送り迎えしてくれました。
あ、電車じゃないですよ、列車です。
ディーゼルエンジンで走るワンマンカーです。
ドアは自動では開きません、
ボタンを押さないといけません。
「お母さん、これがやってみたい」
「わたしはここに行ってくる」とかいうと、
それがどこであろうと、そうなの、気をつけてね、
という感じですね。
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糸井 |
それは‥‥大野さんがいまおっしゃる以上に、
ご両親おふたりはすごいですね。
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大野 |
だから、まぁ、ある意味で、
わたしの判断を
信用してくれてきたんだと思います。
「ちょっと国境に行ってくる」
みたいなことの具体像を、
両親はそもそもわかってないからなんですけど。
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糸井 |
いやいやいや、わかる必要ないんですよ。
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大野 |
そうなんですよね。
つまり、わかろうとする必要性を
感じてないんです。
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糸井 |
うん。だけど、ぼくは
父親としてそれを聞くと、
おふたりはそうとうすごいところを
わかってるよって思う。
つまり「ずっとひとりきり」と言ってる本人が、
不安になってないんだもの。
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大野 |
ああ、そうかもしれないですね。
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糸井 |
不安になってないということは、
不安が生まれそうなときに
見えない手当てがしてあるということですよ。
それはすごいです。
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大野 |
病気になってからは
不安なことだらけでしたけど、
細かいことを相談しようとか、
世の中の制度を調べたりすることについて
頼ろうとかいうことは一切思わなかった。
相手ができることの範囲を
知ってますから(笑)。
いまでもそうですね。
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糸井 |
見えない言語体系があって、
それはそうとうすごいんですよ。
そういう親は、きっといっぱい
世の中にはいるんです。
親のフィールドワークは
しといたほうがいいですよ。
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大野 |
そうかぁ。それはちょっと、
new point of viewです。
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糸井 |
『困ってるひと』を読んでても、
この娘の、いい感じの甘えを感じます。
両親も余計なこと言わないし、
愛情について語らない、というふうに足りてる。
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大野 |
というか、あのお父さんとお母さんと、
愛について語ってどうすんねん!
という雰囲気ですよ(笑)。
だって、まだ生きているし。
ふたりとも福島に住んでいて、
生業の糧はいまとにかくそこにしかない。
わたしも両親もお互いに、
生活するだけで大変だとわかりきっている。
電話はきますが、
「ごめん、いま、忙しいんだばい?」
みたいな感じです。
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糸井 |
単純にお金のことも、両方に
響いてますよね。
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大野 |
もちろんそうです。
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糸井 |
それを主題にして
腕組みするような場面は本になかったけど、
腕組みはみんな、
ひとりでしてますよね、きっと。
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大野 |
はい。そうなんです。
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糸井 |
かっこいい親だとぼくは思うな。
それはちゃんと伝わってきてます。
見事ですよ。
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大野 |
ああ、親の話はいままであまり
したことがなかったので。
いやぁ、糸井さんが
両親と同じ世代だということが、
いちばん信じられないです(笑)。
シティボーイはやっぱり違うなぁ‥‥。
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糸井 |
ぼく、こんな年になってやっと、
親に聞いときゃよかった、ということを
思い出します。
すごい思いやりやいい距離感を、
親の側が持ってたんだということを
子どもはあとで知ることになります。
黙っててくれたこともたくさんある。
しゃべると記録に残るけど、
黙っててくれたことは記録に残んないですからね。
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大野 |
うん‥‥親は、きっと
黙ってたことしかないのかもしれない。
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糸井 |
うん、うん。
でも、親をやってみるとわかりますが、
黙ってるってなかなか大変なことです。
(つづきます) |