大野 |
「自分の頭で考える」ということは
そんなに簡単なことではないと思います。
ひとりで物事を考えたり
判断できる人なんていない。
ただ、親から
「こう生きなきゃダメだ」
とは言われたことはない。というか、
親だってどうすればいいのかわからないわけです。
それをただ「わからない」と
示されただけなのかな、と思います。
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糸井 |
いまはきっと「就職しなきゃ」と
言われがちな時代だと思うんですが、
ぼくはこれも仕組みの問題だとらえています。
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大野 |
あ、なるほど。
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糸井 |
ちょいと商店を建てて、
ちょいと八百屋さんをはじめて
なおかつ食っていける、
そういう見本がないんですよ。
いま、あらゆることに
図面を書くことができないんです。
例外処理を考えているうちに日が暮れちゃう。
じゃ、どうしたらいいのか?
それを示すには、さっき言った、
「こっちは楽しいぞ」という
モデルを作るやり方があります。
自然な流れというものは、おそらく
モデルを見合うことでしか、
作れないんじゃないかなぁ。
だから、どこかのところでぼくは、
モデルになるものを探しています。
そこにちゃんと光が当たって、
事実婚的なやり方にならないかな? と思ってる。
そうでないと「どうしたもんかねぇ?」で
みんなの人生を棒に振るような気がするんだよね。
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大野 |
そうですね。事実婚‥‥アダルトな表現だなぁ、
わたしからは出てこないです(笑)。
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糸井 |
でしょ(笑)。
「歴史に学ぶ」とよく言いますが、
歴史は事実婚の連続です。
全部を透徹して見てた人なんて
ひとりもいないわけです。
スポーツなんかでも、
モデルケースになるようなプレーがあるから
ガーンと全体の底が上がるんですよ。
「あのときのあの選手のプレーから
サッカー界がこうなった」
ということになるわけです。
「これからのサッカー界どうしましょう」
という話をいくらしても、
実現できないし、変われない。
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大野 |
たしかに。
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糸井 |
その都度間違いつつ進む、それでOKなんですよ。
いちばん見事に図面を書いた人が
いちばん立派とは限らないからね。
その図面がいくらイキがいいとしても
「この時期に人生100年以内の人間が
やることとしては
後悔しないんじゃない?」
という考え方でしかないんです。
だから、いろんなことを
「いいぞー!」と言うだけでうまくいくんだよ、
と思うところはあります。
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大野 |
そうですよね。
だいいち、ほめられたほうがうれしいし。
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糸井 |
そうそう。
いま大野さんがやってることも、
ガラッと何かを変える必要なんかないんだけど、
自分が生きてくためにしてることを、
平気な顔でやってればいいと思う。
「自分が生きていくために」というところが
重要なわけであって、そこに対する
風評被害がもしあるとしたら、
それに負けないことだと思う。
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大野 |
生きていくために何かをやっていく、
ということは
人としては普通、というか
生活の営みですよね。
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糸井 |
ところが、どっかでみんなが
「あいつが言ってることは
自分のことしか考えてない」
ということになるんです。
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大野 |
そうなんです。
でも、基本的には人間って、
自分のことを考えてると思います。
自分のことを考えてるからこそ
他人のことを考えはじめる。
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糸井 |
だけどそれを言わせないような何かが
人を苦しくさせている。
原発の事故から起こった
エネルギー不足の問題にしても
「我慢する」という言い方があります。
電気消して、暗くなったっていいじゃない、
冷蔵庫なくたっていいじゃない、とか
いろんな意見がありますけれども、
そりゃ君はいいよ、好きなんだったらいいよ、
ということです。
車なくてもいい、歩いて、耕せばいい。
でもそれは「あなた」だからです。
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大野 |
それは、ライフスタイルの話ですからね。
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糸井 |
ライフスタイルと貧しいのとは話は違う。
貧しくなるというのはそういうことじゃない。
「困る」順番が、じわじわと
押し寄せるようにあるということです。
ちゃんと説明しないのも悪いんだよ。
エネルギーが足りなくなれば
経済がどうにかなってしまう、という言い方を
みんなするんだけど、
それは大企業の話をしてるわけでもなんでもない。
「では、どこから削りましょう?」
という話をしてるんです。
「困ってるひと」から削りましょうか、
自分の身にかかわる
思いもよらないところから削りましょうか、
そういう話なんです。
どうしても我慢できない贅沢があるんだったら
贅沢としてやればいい。
みんな、ちゃんとエゴを語ったほうがいいんです。
快適とかうれしいことはなくていいんだという
風土病みたいなものがはやっちゃったら
困ります。
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大野 |
エゴから逃れられる人は、
それこそ彼岸に行っちゃってる。
エゴだから矛盾していて当然だし、勝手です。
でもだからこそ好きなものができたり
何かを知りたいと思ったり
すごいものに出会って感激したりするんですよね。
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糸井 |
大野さんはいま、20代ですか?
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大野 |
27歳になりました。
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糸井 |
どうしてその齢でそんなにわかったんだろうね。
それは宮本さんなり
吉本さんのおかげなのかな?
「難病がこうしました」とは
どうも思えないんですよ。
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大野 |
うーん‥‥やっぱり、
後ろめたかったからだと思います。
福島の田舎でも、東京でもずっと後ろめたい。
田舎では、自分は「いい子」を
どこかで演じていた。
その福島からどんな形にせよ
逃げて、後ろめたい。
選べたとか選ばなかったとか、
そういうレベルをこえた話です。
物ごとが動く劇的な瞬間に、
ほんとうに「選択」して行動する人は
あんまりいないんじゃないでしょうか。
反射や直感という表現のほうが近い。
だいたいが、結果としてふりかえってみて
はじめてわかることで。
学生のときも、ビルマ女子のときも、後ろめたい。
そして、言葉の書き手になっても、
違和感を感じることになりました。
割り切って書けたらよかったんですが、
そうはいかなかった。
わからないことだらけで、
いつも迷ってばかりです。
進むことと表裏一体で
いつも後ろめたさがあります。
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糸井 |
うん、うん。
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大野 |
難民キャンプへ行って、
子どもやお年寄りが目の前で
マラリアや感染症で亡くなっていく風景を、
ただ見ていたこともありました。
なんにもできなかった。
生まれた時点で不平等なのは
あたりまえなんですが。
あまりにも不条理なんです。
どうしようもできない。
不条理については入院中にも、すごく考えました。
どうして自分がこんな難病になったんだろう、
何が原因か、因果関係はあるのかとか、
たくさん考えたんですけど、
不条理は不条理なので、
いくら考えても、やっぱり
理屈もへったくれもないんです。
不条理のそばには、暴力が生じやすい。
紛争が起こります。
なるべくそれを火消し、火消し、
することくらいしかできない。
自分が人を救えないことと
向き合ったうえで、それでもなお、
かかわろうとすること。
一種の寂しさかもしれない。
ビルマ女子時代、欧米の
国際援助機関の職員の人たちを近くで見ながら、
わりに寂しさに慣れているなぁと思った。
言語の壁がありますから、ただの印象だし、
ほんとうのところはわからないんですけど。
でも、なんとなく、そういうことも含めて、
割り切っている部分があるように
感じたこともありました。
でも、日本の人はもうすこし
ウェットな気がします。
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糸井 |
そうですね。
感情の基本のひとつは寂しいということ。
「うれしい」も「悲しい」も、
そこから派生しているような気がします。
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大野 |
「寂しい」の座標をどこに置くか、ですね。
わたしの場合は、病気で寂しいことは
ある程度意識的に我慢していると思います。
人が人を救ったりはできないことについても。
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糸井 |
いちばん基本的なところを我慢すると、
一皮のせられる、ということなのかもしれないね。
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大野 |
そうなんでしょうか。
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糸井 |
「寂しい」のある場所は
いちばん触っちゃいけない粘膜です。
そこのところにひとつブルーシートをかけると
解決可能な、処理ができる問題だけに
なっていきますよね。
紛らわすことも含めてね。
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大野 |
そうですね。
できないことはできない、
だから、できることをやるしかないんだ。
で、そうなると、できることは
意外と多いかもしれないぞ、と気づく。
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糸井 |
意外と多いね。
そして次は「忙しい」という
わけのわからない
感情でもなんでもないところが
自分の足ひっぱったりするんだ(笑)。
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大野 |
そうですね(笑)。
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糸井 |
うん。
ほんとに、忙しいよね。
(つづきます。次回は最終回) |