書くことの尽きない仲間たち 車で気仙沼まで行く。東京~福島~宮城 2018車 - ほぼ日刊イトイ新聞
永田泰大
2018.03.12

束ねた輪ゴムのように。

ハンバートハンバートの「おなじ話」ではないけれど、
やっぱりいつも同じ話になってしまう。

考えれば考えるほど、
かんたんに言い切れることはなにもない。
たくさんの人が、それぞれの場所で、
ひとりひとりの生活を送っていて、
正しいことも、ベストな選択も、きっと食い違う。
かならずうまくいく方法がないように、
誰ひとり傷つけないやり方なんてない。
だから、どれだけ誠実に向き合っても、
かんたんに言い切れることはなにもない。

すごくシンプルにいえば、
私はなにをすればいいだろうということを、
真剣に考えれば考えるほど、
私はなにもできなくなる、ということだ。

いつも同じ話になってしまうけどくり返す。

なにかをやろうとするとき。
「やったほうがいい理由」と
「やらないほうがいい理由」を比べていったら、
きっと「やらないほうがいい理由」のほうが多い。
自分の中で多数決をしていたら、
たぶん、ずっと、なにもできない。

だから、勇気をもって、誤解を恐れず、
一歩踏み出して行動する。
考えるのではなく、やる。
いろいろ言うより、黙って実行する。
それが、ひとつの答えなのだとは思う。

その意味でいえば、
たまたまなにかに押し出されるように
実行できた人は、幸運だったといえる。
たぶん、いまも、多くの人が、
たまたまなにかが自分の背中を
押してくれないかと待っている。
そんなことが滅多に起こるわけではないと知りつつ、
ある朝、自分に役割が降ってくるのを期待している。

そうではないですか。
ぼくは、そうだった。
そして、いまも、そうだ。

だから、ぼくがなにかをしなければいけないときは、
自分で自分の背中を押したり、
少々無理にでも役割を自分に与えたりして、
自分を送り出すようにしていると思う。
毎回、毎回、わかっているのに
なにをもたもたしてるんだと思うけど、
どうしようもない。

いったん、動き出してしまえば、悩むことは少ない。
たいへんだったり、しんどかったりはするけれど、
「はじめられないつらさ」に比べたら、
そんなことは楽勝だ。
起きたり、書いたり、撮ったり、歩いたりなんて、
「はじめられないつらさ」に比べたら、
超ウルトラ楽勝なことだ。
そうではないですか。

そんなふうに、
なにかはじめることの難しさについて、
ぼくはけっこう長く考えてきたのだけれど、
ひとつ、とてもいい方法を発見したので書く。
子どもの頃からある方法かもしれないけれど、
あんまりそれを肯定できていないような気もするし。
もったいつけずに書きましょう。

なにかをはじめるのにとてもいいのは、
「みんなでそれをやる」ことだ。

なんとなくでもいい。
流されちゃってでもいい。
最善手はなんだろうと突き詰めていたら、
決して答えが出ないようなことも、
みんながやっているタイミングで、
みんなといっしょにやっていることなら、
ふと自然にできるかもしれない。
人は、ほんとうに納得できないことや
嫌でたまらないことはやらないと思うから、
みんなでやっていることに
「わあ」と魅力を感じたなら、
その列になんとなく混じってしまえばいい。

そういう意味では「たのしそうだ」というのは、
欠かせない要素としてつけ加えておきたい。
つまり、こういうことだ。
「みんなでたのしくそれをやる」

思い出すしょうもないエピソードがある。
前に働いていた会社で、社員旅行に行くことになった。
旅先で、なにをするか、各自が選ぶことになった。
観光地Aに行くかBに行くか、
街にでて買い物するか、
それともホテルに残ってのんびりするか。
どれも魅力的で、決めることが難しかったので、
ぼくは、いつもたのしそうにしている後輩のKに聞いた。
「K、お前はどうするの?」と。
そしたらKは、そんなの決まってるじゃないですか、
とでもいうように、スパッとぼくにこう言った。
「オレは、みんなが行くところに行きます!」
おおそれだ、おまえばかだな最高だな、とぼくは思った。

主体性の欠如を不安に感じる人もいるかもしれない。
多数派に流されることは危険だと思うかもしれない。
けれども、その心配はないとぼくは思う。
なぜなら、「たのしくやる」ことには主体性が要るし、
自分が違和感を感じる方向に流されたとしたら、
人はそれを「たのしくやる」ことはできないと思うからだ。

そして、これこそが大切なことだと思うけど、
「みんなでたのしくそれをやる」とき、
ひとりひとりは、微妙に違った動きをする。
一糸乱れぬ動きなどしない。
「みんなでたのしくそれをやる」とき、
人は転ぶし、遅れるし、変なことを言うし、迷子になるし、
カメラマンベストを着ろと言い出したりする。
メカブを茹でてるときにダジャレを言ったりする。

それでも、どんな方向にブレたとしても、
大切な核心さえ共有していれば、
全体性はかならず保たれるとぼくは思う。

曖昧なイメージで恐縮だけれども、
1本の釘に複数の輪ゴムがかかっているとする。
それぞれの輪ゴムが適当に動くとき、
輪ゴムの動きは一致せず、
ひとつひとつがブレのある軌道を描く。
素材が輪ゴムだから伸びたり縮んだりもするだろう。
けれども、中心の釘にかかってさえいれば、
その全体のブレは「振れ幅」となって、
ある種の豊かさを生みだす。

「みんなでたのしくそれをやる」とき、
ひとりひとりの勝手な動きは、
振れ幅という可能性、
言うなればポテンシャルとなって、
全体を強くしなやかなものにするとぼくは思う。

逆にいえば、振れ幅のないものは脆弱で、
一糸乱れぬ動きは核心を曖昧にしてしまう。
ぴったり重なることを目指すとしたら、
おそらくそれはたのしくもなんともないだろう。

初日に福島県の国道6号線を走ったとき、
ぼくは「少しずつ復興は進んでいる」と感じ、
泰延さんは「ちっとも変わってない」と感じた。
それはどちらもそれぞれに正しくて、
ぼくらは横にいる人が違うことを言うからこそ、
そちら側の視点からの風景も知ることができた。
そして、申し合わせることなく夜に書いた原稿に、
互いの視点をそれぞれに書いた。

このブレがあるからこそ、
ぼくは「たったひとつの正しさ」から解放される。
はじめに書いたように、
ひとりひとりはいつもそれぞれの正しさを抱えていて、
かんたんに言い切れることはなにもない。
だからこそ、
「同じ釘にかかっている」ことを信じられること、
そして、そう信じられる人のブレが、
自分の振れ幅となって、広さや豊かさをもたらす。

ぼくは海に向かって手を合わせるけれど、
鴨さんは手を合わせることができないと言う。
それでぼくらは両方のことを考えることができる。
難しい理念ではなく、目の前にあるものとして。
一方、古賀さんとぼくはブレが少なく
比較的、似通った輪ゴムとして近い動きをするみたいだ。
なぜそうなるのだろうと考えるし、
それでもぴったりと重ならない
細かな差異を発見しておもしろく思ったりする。

4人で旅をしながら、思ったり、書いたりしていくとき、
それぞれの存在がそれぞれを勇気づける。
そういうことをしてきたのだとぼくは思う。

そして、さらにぼくは話を外側に広げたい。

はじめからそういうふうに
仕組んでいたわけではないのだけれど、
4人がそれぞれのツイッターのアカウントから
旅の様子をツイートすることは、
SNSをつかったテキスト中継のように機能した。
それを、ほんとうにたくさんの人が見てくださった。

個々のツイートを読んで、コメントしたり、
リツイートしたり、「いいね」を押したりしてくれる人を、
ぼくらは通知によって知ることができる。
ハッシュタグも積極的につかってもらえたから、
それがついたたくさんのツイートを読んで、
いろんな人がいろんな視点で
この旅をたのしんでくださっているということを、
ぼくらは旅先で知ることができた。

その、ひとつひとつが、
「車で気仙沼まで行く旅」という釘にかかった
輪ゴムなのだとぼくは思っている。

東北についての思い出を語る人がいたり、
笑っている人がいたり、ツッコミを入れる人がいたり、
震災について真面目に考える人がいたり、
食欲を刺激された人がいたり、実際に動いた人がいたり、
ことばにしなくても読んでなにかを思った人がいたり。

そのひとつひとつが
同じ釘にかかった輪ゴムなのだと
ぼくはほんとうに信じている。

昨日、ぼくらは、とうとう気仙沼に着いた。
そこには一代さんがいて和枝さんがいて、
スガノやサユミちゃんや紀子さんがいて、
糸井重里は近づいてくるぼくらを見て
「いつも会ってるのに妙にうれしいなぁ」と言った。
ぼくもまったく同じ気持ちだった。

中に入ってお茶を飲んで、
煮物やおこわを軽く食べて、
三浦さんの息子さんが小6とは思えないほど
しっかりしているのに驚いたりしていたら、
2時46分が近づいたので、
みんなで海まで歩いた。

あの日から7回目の3月11日午後2時46分。

その瞬間にはサイレンが鳴って、
ぼくは毎年の儀式のように
自分の時計のその瞬間を撮影して手を合わせて祈った。
ぼくのようなものがここでなにを祈るのか、
突き詰めるとわけがわからなくなるから、
ぼくは、そこを考えることをやめて、
もう、からっぽな心で祈ることにしている。
ただ祈ろうとしているのに、
それでもいつも決まって悲しくなる。
ぼくはこの場所にゆかりはないのに、
7年前のそのときだって東京のオフィスで
とくにトラブルもケガもなく過ごしていたのに、
ただ祈るその瞬間には決まって悲しみが
細い筋のように自分の体を突き抜ける。

どうか、とぼくは祈る。
どうか、の先は、とくに決めず、
どうか、とぼくは祈る。

一分間の黙祷が終わり、
すぐに立ち去ることができなくて、
みんなで黙ってそこに立っていると、
糸井重里が行こうかと声をかけて、
それぞれはそれぞれに来た道を歩いて戻る。
ひとりひとりがばらばらと、
しゃべったり、黙ったり、笑ったりする。
写真を撮っている人もいるし、
SNSに投稿する人もいるし、
まだじっと海を見ている人もいる。

これまでに何度か経験した、
「気仙沼での3月11日」のなかで、
今年がもっとも天気がよく、
暖かくて穏やかだったとぼくは思う。
ほとんど雲のない青空を見上げながらぼくは歩く。
最後尾だったから、視界にみんなの姿があった。
古賀さんも鴨さんも泰延さんもいて、
三浦さん親子が歩いていて、
糸井さんもスガノも一代さんもいた。

スマホで写真を一枚撮って、
そのままツイッターを確認したら、
たくさんの通知が届いていた。
いろんな人が、その瞬間に、
コメントしたり、リツイートしたりしていた。

そのときに、ゆるやかな風と、暖かな陽射しの中で、
ぼくはしみじみ感じたのである。
「みんなでやる」ことのすばらしさを。
多少の間違いとか、はみ出しとか、失敗とか、
あるに決まっているけど、それを承知で、
「みんなでやる」ことのよさを、意味を、たのしさを。

読んでくださって、ありがとう。
反応してくださって、ありがとう。
ことばを残してくれて、ありがとう。
ひとりで考えるあまり動けなくなってしまった人が、
「みんなでたのしくやる」ことの輪に
なんとなく加わってくださったとしたら、
それがぼくはとてもうれしい。

ひとりひとりの価値観を重ねた輪ゴムの束は、
「輪ゴム程度の原動力」だけどちからを持っていて、
それが大きなものを動かすこともある。
そういうはじまりの予感のようなものを、
この長い原稿の終わりに。

どうもありがとうございました。

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