書くことの尽きない仲間たち 車で気仙沼まで行く。東京~福島~宮城 2018車 - ほぼ日刊イトイ新聞
古賀史健
2018.03.12

はじまりと終わりの約束を。

まずはここだけのご相談で、という感じなんですけど。
永田さんからそう打ち明けられたのは、
1月終わりの夜、外苑前駅を出たところにある横断歩道を
小走りで渡りきったあとのことだった。

3月11日にあわせて、
ほぼ日では毎年、なにかのコンテンツをつくっている。
東北にまつわるコンテンツを、つくっている。
当然今年も、なにかのコンテンツをつくるつもりでいる。

ええ、ええ。そうでしょう。ぼくは相づちを打つ。

それで今年は、
あの「書くことの尽きない仲間たち」を集めて、
なにかができないかと思っている。
具体的には、みんなで車に同乗して、
東北の沿岸部を北上しながら、
いろんなところに立ち寄ったりしながら、
たとえば2泊3日くらいの日程で、
みんなで気仙沼まで、旅ができないかと思っている。

風の冷たい夜道に首をすくめた永田さんは、
立ち止まりそうなほどゆっくりな歩みのまま、話を続ける。

もちろん、ただ旅に出るだけではなく、
このメンバーなのだからみなさんには原稿を書いてほしい。
とはいえ、なにかとお忙しくされているメンバーだ。
お願いした原稿が遅れてしまうことも、当然あるだろう。
そんなことはもう、お願いする前からわかっている。

いつの間にか立ち止まっていたぼくは、わははと笑う。
永田さんは続ける。

だから道中、みんなが「書く時間」を旅のなかにつくって、
それを毎日公開していくようなスタイルにしたい。
旅が終わったときには全員分の原稿もすでにできている。
そんなスタイルにしてみたい。
近々みんなに相談しようと思っていたのだけど、
今日せっかく古賀さんと一緒になったので、
まずは雑談の延長として、話してみる。
断ってもらってもまったくかまわないので、
ちょっと考えてみてほしい。

ああ、それはもう、なにを差し置いてでもやりますよ。

ぼくは永田さんが言い終わるのと同時に、
ほとんどことばをかぶせるくらいの勢いで、即答した。
最悪、ほかのみなさんが行けなかったとしても、
永田さんとふたりだけだったとしても、ぼくは行きます。
だからそれ、ぜったい進めましょう。

即答の理由は、いくつもあった。

メンバーが、おもしろかった。
田中泰延、浅生鴨、燃え殻、永田泰大、それからぼく。
「書くことの尽きない仲間たち」でまた集まること、
永田さんがそのメンバーを集めたいと思ったこと、
そこに自分もカウントされていたことがまず、
純粋にうれしかった。

車で旅をする、という企画がおもしろかった。
ああ、あのときはほんとうに愉快だったよなあ、
という記憶の大半は、他愛もない雑談だったりするものだ。
そして移動する車内は、雑談にとって最高の舞台だ。
流れる景色、ノイズと振動、BGM、
道に迷ったり間違えたり渋滞にはまったりのトラブル、
そして外から隔絶されたぼくらだけの空間。
あのメンバーで車旅をするなんて、
雑談だらけの旅に出るなんて、おもしろいに決まっている。

これが3月11日にあわせた話であることも、うれしかった。
この日にあわせたコンテンツをまかせられることは、
どんなことばよりも雄弁な、信頼の証だ。
そしてまた、これは肯定的なこととして、
ちゃんと7年の歳月が経過していった証でもある。
不謹慎を糾弾する声が飛び交い、
自粛や自主規制のブレーキがかかりっぱなしの
ある時期までなら、なかなか成立できない企画だと思う。
ちいさく見えて、おおきな勇気を要する一歩だ。
なんとしても成立させたいと思った。

そして翌日、永田さんはメンバー全員に企画を提案する。
泰延さんも鴨さんも、ほぼ即答で快諾した。
どうしても避けられない仕事の関係で
最終的には参加のかなわなかった燃え殻さんも、
ぎりぎりまでスケジュール調整に尽力してくれた。

出発前にひとつ、気がかりなことがあった。
3泊4日の日程でぼくたちは、
初日は飯舘村、2日目は女川町、
そして3日目は気仙沼市に宿泊する予定になっている。
ぼくはこの7年のあいだ、いずれの土地にも訪れていた。
取材やプライベートで、訪れていた。
せっかくだったら、知らない土地に行ってみたい。
それだけが出発前の、気がかりだった。

今回の旅でのいちばんおおきな学びを挙げるならば、
自分のどうにもならない「知らなさ」だ。
たとえばぼくは奈良という土地に、
たったの一度しか行ったことがない。
おいしいお店も知らず、大仏までのアクセスも知らない。
あなたは奈良を知っているかと問われたら、
迷うことなく「よく知らない」と答える。
だってそうだろう、一度しか行ったことがないのだ。

ところがぼくは一度しか行ったことがないはずの、
しかも取材で訪れただけの飯舘村や女川町について、
なぜか「知ってる」つもりになっていた。
きっとそれは、
一度しか行ったことがないはずの海外旅行先を
やたら「知ってる」と言いたがる気持ちと似ている。
ぼくはそれだけ「特別な場所」として、
飯舘村や女川町を認識していたのだ。

今回の旅でぼくらは、
何人もの方々とお話しさせていただくことができた。
ときに店先で、ときに鮨屋のカウンター越しに、
宿の待合室で、あるいはこたつを囲みながら、
たくさんの話をし、耳を傾けた。
地元で生活する、震災に運命を翻弄された方々と。
聞きながらぼくは、
自分がいかになにも知らなかったのか、
ほとほとつくづくしみじみと、実感することができた。

知らないことが悪だとは言わない。
知ってるつもりを責めようとも思わない。
ただ思うのは、もう一度行けてよかったなあ、だ。
なにも知らなかった自分を知れてよかったなあ、だ。
最初の「行く」が大事なのはもちろんだけど、
ひょっとしたら「もう一度行く」は、
それ以上にたいせつな一歩なのかもしれない。

またくるよ、また会おうね、きっとだよ。
いつも気やすく、ぼくらは言う。
果たせないかもしれない約束を、気やすく交わす。
そうでもしないと別れることは、さみしすぎるのだ。
気持ちよく笑顔で手を振ることが、かなわなくなるのだ。

気仙沼に行くと「また会えた人」が何人もいた。
町の景色や食べものにさえ、また会えた気がした。
心残りがあるとすれば、
今回の旅では再会できなかった「まるき」のラーメンだ。

旅はいい。なかでも車旅は、ことさらいい。
へとへとに疲れたとしても、
そのへとへとがまた、たまらなくいい。
女川から気仙沼へと向かう車の運転中、
カメラマンベストを着た田中泰延さんは、言った。

「こうしてみると、日本って広いですよねえ。
だって、どこまで走っても日本ですよ?
車を走らせて日本の外に出た人、いないんちゃいます?」

ああ、もう書き終わってしまうよ。
書き終わったらこの旅も、終わってしまうよ。
それはちょっと、さみしすぎる話だよ。
でも、終わらないことには旅じゃなくなるんだよ。

旅の先々でぼくらを受け入れてくださったみなさん、
毎日の原稿やツイッターを見守ってくださったみなさん、
この旅を支え、実現してくださったほぼ日のみなさん、
ほんとうにどうもありがとうございました。
おかげさまで、ずっと忘れられない旅になりました。

また行こうね、また会おうね、きっとだよ。
笑顔でぼくは手を振りたい。

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