その5(6月10日更新)

最後まで、ピンク・レディー。
京極夏彦はいつ眠るのか。
ジルは友だち。
僕たちの花火の連絡、見えますか。
93 日野原重明さんに聞く

最後まで、ピンク・レディー。



この対話を読む(PC版)

対談相手
増田恵子さん

掲載時期
2011-09-01 〜 2011-09-16

内容紹介
解散から29年。再び活動を始めたピンク・レディー。 しかも、歌も踊りも、衰えてないどころか、 明らかに進化してる? 噂を聞いて驚いた糸井が ケイちゃんこと増田恵子さんと対談しました。 当時の苦労話から、生々しい「いま」の話。 そして、幼いころの「ある決断」について。

対話の一部を抜粋
[糸井]
その決断は、そのあとのケイちゃんを つくっていったんですね。 ピンク・レディーで1日15本の仕事をしていたときも、 腹膜炎でステージに立ったときも 自分で決めたことなんだ、という思いがあったから。
[増田]
はい。自分が決めたことは、 自分が決めたんだから、できます。
[糸井]
ケイちゃんはいつだって思ったことを、 けっこうちゃんと言ってますもんね。
[増田]
はい。有言実行。 言っちゃったらするしかないですもの。

コメント
リアルタイムを知らない世代なのに、カラオケで、文化祭で、何度も歌って踊ったピンク・レディー!キラキラしたお人形さんみたい、と思っていたケイさんの内に秘めた決意。読むと背筋がしゃっきりします。 (YI)

増田さんのプロ意識と潔さに感銘し、こうありたいなと思いました。 (MI)

正に私たちの時代のヒーロー(ヒロイン?)です。でもこの対談を読んで、ちょっと親近感がわきました。 (mh)

ただひたすらピンク・レディーであろうとする、増田恵子さんのかっこいいことかっこいいこと!本当に「ケイちゃん、男前やなぁ!!」と実感した対談でした。 (SK)

今の増田恵子さんの思いをキチンと話されていて、素晴らしい対談でした。ファンになって、コンサートも行きました。今のピンク・レディーの大ファンになりました。 (KW)

小学校の頃夢中だったピンク・レディーが復活して、さらにきらきらしていることに感動。何度も涙しながら読みました。落ち込んだら(そうでなくても)読むと、勇気とやる気がでる対談です。 (MM)

子どもの頃好きだったピンク・レディーの話が読め、ケイちゃんミーちゃんは仲が良いことがわかり、嬉しい。歳を重ねても、全盛期を超えるパフォーマンスを目指すプロの姿勢に脱帽。 (MN)

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京極夏彦はいつ眠るのか。



この対話を読む(PC版)

対談相手
京極夏彦さん

掲載時期
2007-12-17 〜 2007-12-31

内容紹介
以前、「ほぼ日」で「睡眠」をテーマにした 特集を企画したとき、誰かがこう言いました。 小説家の京極夏彦さんは寝ないらしい‥‥。 睡眠をテーマにするはずだった糸井との対談は 脱線につぐ脱線。しかし、それはそれで愉快。 京極さんのファンならずとも楽しめる対談に。

対話の一部を抜粋
[京極]
水木(しげる)さんのいう才能って、 「努力を惜しみなくできる力」なんです。たぶん。 照れるのは、ものすごい努力家なのを隠してるんですね。
[糸井]
京極さんは、そっちへ行けそうですか?
[京極]
いやね、僕はね、その‥‥。 水木さんの前にね、もう一段階、ありますし。 「荒俣宏」というすごい兄弟子がおりまして。
[糸井]
ああ‥‥そうか(笑)。
[京極]
ぼくは、「荒俣宏」を経て「水木しげる」になるのが夢なんです。

コメント
僕が初めてほぼ日と出会うきっかけとなった対談です。京極さんの大ファンで寝ぼすけだった僕はとても興味を持って読んだ記憶があります。 (TK)

何度読んでも面白いし、しみじみ勉強になります。 (NI)

まるで小説を読んでいるかのような感覚で、実感としてはまるで感じないことが、とても面白い内容でした。 (HK)

京極さんて、気難しくて、変わった人だと思ってました。本も見ただけで、今度にしよう、となる感じ。でも、読んでみたいなあと思いました。愛すべき作家さんでした。 (HM)

「寝ない」は、「寝られない」でも「寝たくない」でもないのが、おもしろい。妖怪から始まるところも。 (ai)

とにかくおもしろい。「強くないけどくたびれない、淡泊だけど飽きない、しつこくないけど、諦めもしない。」このことばが響きました。 (AK)

京極夏彦さんの働きぶりと趣味に費やす時間にいつも驚きを禁じえません。 (TN)

師匠の水木さん、兄弟子の荒俣さんのお話がたっぷり聞けて、なんだかずっと記憶に残っている対談でした。 (KT)

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ジルは友だち。



この対話を読む(PC版)

対談相手
ジル・サンクロワさん

掲載時期
2011-10-04 〜 2011-10-19

内容紹介
シルク・ドゥ・ソレイユの創始者のひとり、 ジル・サンクロワさんと糸井重里は、 はじめて会ったときから、意気投合した仲。 「前世で友だちだったかもしれない」と 互いに通じ合うふたりの、奇跡のような対話。 終わったとき、同席したスタッフも拍手した。

対話の一部を抜粋
[ジル]
詩は、重要です。非常に重要なんです、詩は。
[糸井]
いちばん重要です。
[ジル]
たとえば、美術館に行って、絵を見ます。 絵が我々に与えるものは、詩なんです。 それは、具体的なものではない。 しかし、それは私たちに影響する。詩なんです、それは。
[糸井]
詩の中ではありとあらゆるものがありえる。 芸術の理論として言ってるんじゃなく、 ぼくは、そう思えるようになったんです。
[ジル]
わかります。 シルク・ドゥ・ソレイユがショーを通じて やっているほとんどすべてのことも、 そういう原則に基づいてるんです。

その他の、ジル・サンクロワさんとの対話
それは竹馬からはじまった。(PC版)

コメント
この対談は、今まで読んだほぼ日の対談の中でいちばん感動した対談です。とくに第8回「詩。」。この回の糸井さんとジルさんの対話そのものが、ひとつの詩のように伝わってくる。ほんとうにおすすめです。 (IK)

生まれた国が違っても人は共感できるし、心をかよわすことができるのだと感じた対談です。 (YJ)

人と人の間に通う特別なものを、そのままきれいに見せてもらえたような素晴らしい対談で、本当に何度読んでも大好きだなあ、と思います。 (MT)

美しい詩のようでした。夢で心が満たされていくような、たいせつなことをたくさん教えてくれたいちばん印象的な対談です。どうか対談の最後にされたジルと糸井さんの美しい約束が果たされますように。 (CK)

ともだち同士の、しあわせな対話だと思いました。ちょうど身近なともだちの父が亡くなる頃読んで、ジルさんの死生観に、ちょっぴり涙しました。 (at)

心が清々しくなりました。こんなお友達つくりたいな。 (MH)

新月は種蒔き、満月は収穫、という言葉が印象に残っています。幻のようなアートを魅せてくれる人は自然の巡りと仲良しで、ジルさんと糸井さんの、溶け合うような仲良しさかげんがすてきでした。 (AI)

活字で読んでいるはずなのに、その場の親密な空気が伝わるような対談でした。心底うらやましい関係性。 (HK)

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僕たちの花火の連絡、見えますか。



この対話を読む(PC版)

対談相手
平了さん

掲載時期
2012-02-08 〜 2012-02-17

内容紹介
東日本大震災で泥に埋まってしまった家を 一軒一軒、手作業で掘り出す活動を続けていた 「スコップ団」。その団長を務めていた平了さんが 震災から1年が過ぎる直前の3月10日に、 空に向かって2万発の花火を上げることにした。 その活動を応援する糸井と語り合う。

対話の一部を抜粋
[平]
口よりもまず想像力が先にいって、 活動や生きざまに入っていく人は すごく反射神経がいいんですよ。
[糸井]
反射神経かぁ‥‥それもセンスなんだね。
[平]
そうだと思います。心の反射神経というか、そういうのが。
[糸井]
うん。「想像力の反射神経」って、あるね!

コメント
今の日本に平了という人が存在していてスコップ団という団体がいて‥‥ほんとうにうれしい。そう思える対談でした。 (KS)

天国にいる人に連絡する花火を打ち上げる、そこに込められた思いに涙が出そうになりました。 (JM)

2万人が亡くなった1件の災害でなく、かけがえのない1人を亡くした2万件の悲しみ。胸がぎゅうっと締め付けられて ただ涙が流れました。遠く離れて何もできないもどかしさを静めてくれた対談でした。 (TN)

最近のピカイチ。愚直なまでにまっすぐに、“あの日”と向き合うことの大切さを教えてくれました。 (FT)

団長、遠く東京から花火見ました。ありがとう。 (YM)

始めから終りまで、淡々として、時々面白くて、胸をわしづかみにされました。 (YO)

震災からしばらくはこの世の終わりの様な気がして、毎日がいっぱいいっぱいでした。その中で真っ直ぐ未来をみて、行動できた平さんの言葉は胸に響きます。 (nc)

世の中には本当にかっこいい人がいるもんだと思いました。平さんの活動を知るだけで、何か少し救われた気がします。 (NI)

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93 日野原重明さんに聞く



この対話を読む(PC版)

対談相手
日野原重明さん

掲載時期
2002-09-04 〜 2002-10-23

内容紹介
今年で100歳を迎える医師の日野原重明さんが、 90歳を迎えるころ、糸井重里と語り合いました。 ハイジャックされたよど号に乗り合わせた話、 「老人」と呼ばれるようになってからの話、 禁止ではない「レッツの教育」の話、などなど。 いま読んでも、まったく色あせていない対談。

対話の一部を抜粋
[日野原]
休んでいた1年があるからこそ、 患者にとっての「失われた時」という感覚が よくわかるようになったわけで、とてもよかったんです。 はじめは、1年は失なった時だと思っていた。 ところが、それがなければぼくは、 「患者学」を学ぶことができなかった。 医学は研究や教科書で勉強できるけど、 患者学はだれも教えてくれないもの。 1年おくれて、みんなより損をしているなあと思って、 「むだだった」と思っていたけれども、 後から見れば、病人を経験したことは、 医者としてはものすごく大切だった。
[糸井]
先生のお話は、全部、不運とか、ピンチとか、 そういうものをひっくり返す方法を、よく使っていますね。
[日野原]
肯定的になるの。逆の発想になっちゃう。

コメント
いい出会いでした。みんな日野原先生みたいだったらいいのに。 (YN)

私自身が、たったひとりのかけがえのない存在であるという事を知ることが、これから子育てしていくための大切なことではないかと感じることができました。 (TK)

日野原先生の一言一言がとても興味深くて、とても印象に残っています。よど号事件の体験談は、ピンチに陥ったときによく思い出して励まされます。 (HI)

日野原さんの言葉が、ジーンと響きました。糸井さんとの会話のキャッチボールがサイコーでした。 (AM)

有り難い感じが、生きていくことを肯定してくれて、ほっとします。 (mi)

初めて通して読みました。最後でほんとに感動しました‥‥(em)

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