2011-09-01
ピンク・レディーで、
よかった、悪かった?
2011-09-02
「解散」をやめた
第一の理由。
2011-09-05
いちばん大切で、
いちばん気を遣う友達。
2011-09-06
死後に権利問題で
もめたらどうする?
2011-09-07
大きな歓びには
苦しみが混じってる。
2011-09-08
ピンク・レディーは
ふたりじゃなかった。
2011-09-09
みんなと同じ30年が
流れてる。
2011-09-12
ただなつかしいのは
嫌だった。
2011-09-13
明治の男と
しゃべってるみたい。
2011-09-14
本気のピントが
合っている。
2011-09-15
自分で決めたこと。

2011-09-16
生きててよかった。





糸井 ケイちゃんに
NHKの番組収録でお会いしたのは
ついこの前のことでしたね。
少しお話ししただけなのに、
ぜひ「ほぼ日」で
ピンク・レディーのことを話してください、
とお願いしたんですよ。
増田 はい、そうでした(笑)。
こんなに短期間で対談が実現するなんて。
糸井 あの番組収録のとき、
はじめてお会いしたと思ったんですが、
違いましたね。
前に一度、お目にかかってました。
「ラスト・プリテンダー」という曲の‥‥。
増田 そうそう、歌詞を糸井さんに書いていただいて。
糸井 昨日調べたら、
もう一曲書いてたことがわかりましたよ。
「逆回転のシネマ」という歌。
増田 あ、「AMENIC(アメニック)」だ。
糸井 AMENICは、逆さにするとCINEMA。
映画を逆さから観ると
お別れのシーンからだんだんと
出会いのシーンのハッピーエンドに向かう。
そういう生意気な歌をぼくはつくりました。
一同 (笑)
糸井 当時の自分としては、
何かアイディアを入れないとダメだと
思ったんでしょうね。
つまり、ピンク・レディーが
お別れのときの歌だったから。
増田 ああ、きっと難しかったでしょうね。
糸井 惜しまれてたし、
ご自分たちもせつなそうな時期だったし‥‥
増田 はい。
糸井 ですから、しあわせな部分をどう入れようかと
ずいぶん考えました。
じつはぼく、「ラストプリテンダー」の
レコーディングスタジオに
おじゃましていたんですよ。
ケイちゃんが電話しにいくところを見ました。
増田 え? そうだったんですか。
糸井 たぶん彼かなんか、いたのかな。
増田 ああぁぁ。
大きなポイントですね、そこ。
糸井 でしょ。
一同 (笑)
増田 ‥‥見られましたか。
糸井 見た。
で、すぐに「あれは男だな」と思った。
増田 なんでわかるんでしょう?
醸しだす雰囲気で?
糸井 顔に書いてあるんじゃないでしょうか。
増田 顔に書いてある(笑)。なるほど。
糸井 ケイちゃんもミーちゃんも、
当時はほんとうに疲れ果ててましたよね。
あのスケジュールは、
いま振り返って考えたら、
無理だったでしょう?
増田 無理でした。
まず、「どれだけ大変か」が
わかっている状態では、できないですね。
糸井 うん、そうですよね。
増田 先が見えてないから、できました。
毎日15、16ぐらいある仕事を
精一杯ひとつずつやっていく‥‥。
糸井 15、16。
増田 もしも倒れてしまい、
その日にできない仕事があったとしても
それは消えてなくなりません。
ただ別の日に回っていくだけなので
どんどん体がきつくなります。
だから、とにかく
一日一日を大事にやっていかなくてはならない、
そんな状況でした。
糸井 それが二十歳?
増田 十代後半から二十代前半まで。
糸井 いま、自分は
そんな年の子に「やれ」って言えないですよね?
増田 言えませんね。
でも‥‥すごく価値のある、
誰もがみんなできることじゃない、
そういう青春時代でした。
糸井 いろんなことを、
「よかった悪かった」「悪かったよかった」
と思いながら、
今日まできたわけでしょ?
増田 うーん‥‥「よかった悪かった」じゃなく。
糸井 ないですか。
増田 うん。
「すべてよかった」
です。
糸井 すべてよかったですか。
増田 はい。いまとなっては‥‥。
糸井 それ、本人にしか言えないよ。
増田 はい(笑)。
でも‥‥当時は、正直いって
「いつかは終わる、
 このブームがいつかは終わるから」
と願い続けていました。
ずっと続くと思ったら、
がんばれなかった。

ですから、いつも
「早くブームよ去れ」
と思っていました。
(つづきます)


 

2011-09-01-THU


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