増田 今回のコンサートツアーは、
ミーと、うちと、
キョードー東京さんで、
制作費を3分の1ずつ出しています。
ですから、できるだけ
経費は使いたくありません。
というのも、幕をあけて
お客さまがいらしてくださるという保証が
何もなかったから。
糸井 客足が読めなかったんですね。
増田 そう。ですから、
コーラスを入れるのも、
着替えの時間をかせぐためのダンサーも
諦めましょう、ということになりました。
人件費というのはつまり、
ホテルの宿泊費、新幹線代、
すべてに掛け算でかかってきますから。
糸井 はい。
増田 しかし、お客さまに
すばらしいステージとして
観てもらえるための経費は削りません。
照明、演奏、演出、
必要なものはそろえて
完璧にしたいと思いました。
糸井 ああ、ほんとうに、そうでしたね。
増田 私たち、これまでのツアーではたいてい
ホテルのスイートルームに
泊まらせていただきました。
2003年〜2005年に2年間限定の
復活コンサートツアーをしましたが、
そのときもです。
なぜなら、コンサートの仕事が
「いただいた話」だからです。
糸井 ああ、いわばゲストですね。
増田 はい。ギャランティーも決まっている仕事。
「こういうホテルで、移動もこういうバスで」
とお願いしました。
しかし今回は、ふつうのツインルームです。
ときによってはビジネスホテルにも泊まります。
糸井 ご自分たちが
いままでとは違う状態でやるんだ、
ということに
すぐ納得がいきましたか?
増田 もちろん、ふたりとも
そうしなければいけないね、
ということではじめました。
糸井 プロデューサーとしての自分の意識が
先にあるわけですね。
増田 はい。地方で、
ホテルの部屋が狭すぎて
トレーナーさんのマッサージ用簡易ベッドが
開けないことがありました。
私は足に持病があって
体をほぐしてもらわないと
次の日のステージに昇れません。
「どうしよう‥‥ま、いいや、
 マッサージは廊下でやるか」
糸井 すごい決意ですね、やっぱり。
増田 はい。そのとき、
「あ、こういうコンサートツアーを
 やってるんだ」
と実感できました。
でも、やりがいはあります。
糸井 「やるんだ」
「やんなきゃなんないんだ」
という、その感覚はすごいです。
増田 いや‥‥
「やんなきゃなんない」というより
「やりたい」んですね。
糸井 はぁあー‥‥、そうなんですね。
増田 はい。
泊まっているのは
地味なお部屋かもしれないけど、
コンサートツアーのステージでは
あんなにすごいことが行われているわけです。
それがなんだかかっこよく、そして
おもしろく思えてきて、とてもたのしいです。
アマチュア時代以来ですよ。
糸井 そういう意味では
「出直し」という感じもあると思いますが。
増田 はい、もうゼロからの出発です。
しかしわたしたちは
経験はたくさん積んでいます。

デビューして4年7か月の
ピンク・レディーとしての経験もあるし、
それぞれがソロになってからの仕事の経験も、
人生の経験もあります。
そういうものが、ふたりの
いい筋肉になっています。

そんなふたりが
また一緒になって歌って踊ることによって、
若かったころのピンク・レディーの
何倍ものパワーを生めるんじゃないかと
思います。
糸井 さきほど「やりたい」と
おっしゃいましたが、
その正体はいったいなんなんでしょうね?
増田 ‥‥なんだろう。
糸井 ケイちゃんはピンク・レディーなんて
放っといて、
黙って暮らしたって、いいわけでしょ?
増田 うーん‥‥、さきほども言いましたが、
阿久先生、土居先生、
プロデューサーが亡くなったことは
とてもショックな出来事でした。
人って、こうやって、あっという間に
命を閉じてしまうんだ‥‥。
いつまでもいてくださる人たちだと
自分勝手に思ってたんでしょうね。

自分たちをつくってくれた人たちが
いなくなった、
このまま、この世界で仕事していて
いいんだろうか、
そう思いました。
足をもぎ取られたような気がして
立っていられなくなってしまいました。
すごく落ち込みました。

でも‥‥そこからふと考えて、
もしかしたら、
私が先に死んでしまった場合、どうなるんだろう?
いろんな権利の問題で、
うちの主人とミーが
ケンカしたらいやだなぁ、なんて思って。
一同 (笑)
増田 いや、そういうことって、
よくあるじゃないですか。
糸井 ありますよ、うん。
そういう例なんて、
いくらでもありますからね。
増田 そしたら、
ミーも同じこと、考えてたんです。
糸井 なるほど。
増田 それじゃ、まずは
さまざまな権利の問題を
とにかくクリアにしておこう、
ということになって
ふたりでごはんを食べに行ったり、
ミーがうちに遊びに来たりして
「例えば、この権利はこうしよう」
「二次使用の場合はこうしよう」
と、さまざまなことについて
1〜2年かけて話してきました。
糸井 そんなに時間がかかるほど、
たくさんの問題が?
増田 はい、ありました。つきつめていくと‥‥。
糸井 簡単じゃないですね。
増田 簡単じゃないです。
糸井 自分の考えをちゃんと
反映したいですもんねぇ。
増田 はい。
弁護士さんも入れて
覚え書きを作って交換して、
進めていきました。

(つづきます)

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2011-09-06-TUE