その399 (2005-03-19)
言おうとしたことと違ったことを言ってしまう。たったそれだけなのにこんなに愉快。ほぼ日刊イトイ新聞名物、「言いまつがい」は毎日更新です。


二階の部屋に上がろうと電気のスイッチをカチリ。上がりながら違和感を感じ、階段の真ん中あたりで電気を消してから上っていることに気づいた。その後上がってから今度は電気をつけようとした。(匿名)


高校入学して間もない頃、体操服の受け渡しの日のことです。申し込みをしていた私は、受け渡しの部屋の前でまごまごしていました。たくさんの人が一度に押し寄せたために、なかなか入り口に入れなかったのです。そして、ちょうど混雑していた入り口にスキができたとき、今だ!と思い、私は思いっきって部屋に飛び込みました。‥‥のつもりが、ガラスの扉に飛び込み激突していました。とても恥ずかしかったです。(YUHI)


受験勉強で連日徹夜をしていて体力的に限界が近かったときのことです。食事中に寝てしまう赤ちゃんの如く朝食を半睡状態で食べる日々が続きました。ある時、中濃ソースをコロッケにかけるつもりがソースのフタの中にドロドロと流し込み、挙げ句の果てにそのままふたを何事もなかったかのように素早く戻しました。自分がやっている行動自体ははっきり意識できるのに、自制しようとする指令は脳から送られなかったようで。後から席についた母がソースを使おうとふたを開けた瞬間に手がソースまみれになったのは言うまでもありません。(迅夜)


私の父は歯科医師です。ある日、診療台に座っている患者さんの背後にいる歯科衛生士さんが、患者さんの口をひっぱっている‥‥はずでした。突然、患者が「なにするんですか〜〜!」と絶叫。はっと皆が気づくと、歯科衛生士さんは患者の真後ろに立って、彼女の右ひとさし指で患者さんの右の鼻の穴を、左のひとさし指で患者さんの左の鼻の穴をおもいっきり横にひっぱり、患者さんが絶叫するまで、口ではなく鼻の穴をひっぱっているのに気づいていませんでした。ありえない診療風景だけど、事実なのよ。(ふとし)


新幹線に独りで乗ると必ずと言っていいほど旅行用の大きな鞄を網棚などに忘れて小さなハンドバッグのみで帰宅してしまいます。よって昔九州で働いていた頃関西の実家に帰る際必ず新大阪止まりの新幹線に乗っていました。なぜなら東京まで荷物を取りに行けないから。帰省の度に、家に入った途端父が「荷物は?」と確認し毎回その時になって「あーっ!新幹線に忘れた!」父が新幹線の車庫まで翌日荷物を取りに行ってました。3回繰り返した後、さすがに父もあきれ、取りに行ってくれなくなったため私はその後、怖くて独りでは新幹線には乗れません。(はなな)


私も電車とホームの間に2度落ちたことがあります。1度目はJR新宿駅で、胸辺りまで落ちてしまったところを両脇からおじさま方が拾い上げてくれました。2度目は赤坂見附で、私は乗り換えではないのでまったくその姿勢、心づもりでなかったところ、人の波に流され「なんだかところてんになった気分」なんてのんきに思っていたらすぱっ!と落ちてしまいました。が、落ちる際に視界に入った、見ず知らずの方のベージュのロングコートのウエストの飾りのベルトを後ろからつかんでしまい、その方が視界の中でななめになったのを今でも記憶しています。お詫びを申し上げたい気分でいっぱいです。(とぱ)


私も電車とホームの隙間に落ちたことがあります。高校生のころ、友人としゃべりながら電車に乗り込もうとしたら友人がどんどん上に上がっていくんです。(それもなぜかスローモーションで)混乱して「え〜?○○ちゃん、どこ行くの〜?」と聞こうとしたら自分が電車とホームの間に挟まっていました。(チョコチップ)


あれは忘れもしない夏の日の午後。幼い私は母と自転車で出かけていました。前を走る母の自転車を一生懸命追いかけていたのですが突然頭がかゆくなったのです。あぁ〜頭をかきたい!でも手を離して運転できない!と思い「おかあさんまってーーー」と大声で叫びますが母は聞こえないようで、先をずんずん進みます。焦った私は自転車をこぎながら、かゆいのをどうにかしようと頭を大きく振り出したのです。頭をぶんぶん振っていると、だんだん視界が変わってきて急に青空が見え、気付けば私は水の中。私は自転車ごと、道路わきの深い溝に落ちて、でんぐり返しをしていました。どぶに浮いてぽかんとしていると、母や周りの人たちがどうした、どうした、と集まってきました。母曰く、「うしろ見たらあんた忽然と消えてて、神隠しかと思ってびっくりしたわ」あの時はほんとうに恥ずかしかったです。(流れていった片方の靴)


昔はあちこちにあった「くじ」つき自販機。なれてない私は、ピコピコ鳴りだしたのに焦りここで押せば当たるのか?!と押してみたらジュースがごろんと出てくるではありませんか!また音楽が流れ出し、また当たるチャンスなのかと押せばごろん、また鳴り出し押せばごろん、さらにまた。こんなに当たったら、取り出し口が詰まっちゃうなー、とうれしく心配しながら気がつきました。私が投入したのは500円玉でした‥‥(当時まだ1本100円)。当たってるんじゃなくて、ふつうに買ってただけ。焦ってる上に、初めての経験で舞い上がっているため気が回らず、違うのを押せばいいのにネクターばかり4本。幸いその自販機の持ち主は、そこの商店だったので恥を忍んで返却しに行きました。「同じのばかり買っちゃったんで‥‥」と言ったら400円を返してくれましたが、おばちゃんはとても不思議そうでした。(か)


猫舌なので熱いものは飲めないし、冷たいものを飲むとすぐお腹をこわす私。いつも「自動販売機に『ぬるい』があったらいいのに」と言っていました。ある日、紙コップ式の自動販売機でホットココアのボタンを押したところ、ジャラジャラとホットに似つかわしくない音が。え?と思いながら取り出すと、なんと氷入りホットココアでした。私の希望に合わせてくれたのかもしれないけど、複雑でした。(ラムネ瓶)


病院事務をしていて金銭授受も受け持っているのですが、とある日曜日、救急室を受診した患者さんの家族がお支払いに来たのですが、おもむろに「あのー、1000円札30枚を両替してもらえませんか?」よーく聞いてみるとATMで30000円おろそうとして3万円と押さず30千円と押してしまったとの事。丁度千円札が切れそうだったのでありがたく両替させていただきました。(えつここ)


携帯電話がまだ世の中に普及する以前の、公衆電話ネタ。高校を卒業して東京へ行ってしまった同級生。貧乏下宿生となった彼は、10円玉をしこたま抱えて、近くのタバコ屋さんの公衆電話から電話をしてくれました。「あっ、もうそろそろ10円が‥‥ツー、ツー」と途中で電話が切れてしまうこともしばしば。そんなある日、いつまでも話し続ける彼。「ねー、そんなに話してて大丈夫なの?今日は10円玉いっぱいあるの?」と尋ねると、「この電話さー、壊れてて、10円入れなくても話せるみたいなんだー」。その夜は時間も気にせず、しゃべりまくりました。そんな彼からは、公衆電話の故障が直ったと共に、いつのまにか電話もなくなりました。遠い昔の、淡い思い出です。(RYO)

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