[糸井]
先生がドラッカーと出会ったきっかけってそもそも、どういうことだったんですか?



[上田]
1973年に『マネジメント』の上下2冊を何人かで翻訳するから、そのチームに参加しないかって誘われてね。

[糸井]
ほう、ほう。

[上田]
そのケツっぺたに、くっついてったんです。

[糸井]
つまり、いわば偶然ですか?

[上田]
うん、でね、訳し終えて本が出版されたときに、ぼく、ドラッカーに手紙を書いたんですよ。

[糸井]
ええ。

[上田]
「だいたいあの本は厚すぎる」って。

[糸井]
えっ‥‥(笑)。

[上田]
だってめっちゃくちゃ厚いんですよ、あの本。



[糸井]
そうなのかも、しれませんが‥‥(笑)。

[上田]
なにしろ、原書だと800ページ、訳し終わった本は1300ページですからね。

[糸井]
ははぁ。

[上田]
なんか、内容がダブってる箇所もあるしね、ちょっと省略して、薄くして出したらって。
英語のまま、薄くしたものを送ったんです。
「これを抄訳版として出しませんか」と。

[糸井]
はぁー‥‥。

[上田]
そしたら「やれ」って言うんで。

[糸井]
省略版をですか? へぇー‥‥。

[上田]
できたのが『抄訳マネジメント』って本。
いまでも大学の教科書なんかに使われてる
『マネジメント【エッセンシャル版】』の元になった本なんだけど、その省略版をつくるにあたって、わかんないことは、何でもかんでも、めちゃくちゃ聞いたのね。

[糸井]
ドラッカーさんご本人に?

[上田]
そう、そのめちゃくちゃ聞いたことで、
「このウエダってのは細かく見てくれるな」って、なんだか、信頼を寄せてくれたみたい。



[糸井]
じゃあ、その偶然のお誘いがなければ‥‥。

[上田]
ドラッカーとの関係は生じてないでしょうね。

[糸井]
そうだったんですか。

[上田]
やたら質問したってことが大事だったみたいよ。

[糸井]
それは、ドラッカーの言ってることに興味を持ったから、質問をしたわけですよね?

[上田]
いやぁ、わかんないから聞いただけ。



[糸井]
そうなんですか(笑)。

[上田]
ぼく、経団連に就職したときに、上司にコテンパンに怒られたことがあったの。
「わかんないまま机の前を通すな」って。

[糸井]
ほう。

[上田]
経団連でカンボジア協会の事務をやってるときに、えらい外交官から原稿が来て、ぼく、それ読んで「おかしい」と思ったんだけど、あんなえらい人が書いた原稿だから‥‥ってそのまんま、とある雑誌に載せちゃったわけです。
そしたら、いつも酔っぱらっててしょっちゅう二日酔いで会社休んでる次長がフラッとやって来て‥‥。

[糸井]
はい、はい(笑)。

[上田]
机の上に足のっけながら、その雑誌を読むわけ。
で、そのおかしなところで顔をあげてぼくに「これ、どういう意味だ」って聞くのね。
「いやぁ、わたしも よくわかんなかったんですけど」って答えたら、まぁ、怒られて怒られて‥‥。

[糸井]
はー‥‥。

[上田]
それ以来、わかんないまま、自分の机の前を通さないって決めたんです。

[糸井]
なるほど。

[上田]
その原則をドラッカーにも適用しただけ。



[糸井]
その‥‥ドラッカーについて興味があったとか、とくに、そういうことじゃなかったわけですか。
経営とか、組織とか、マネジメントとか‥‥。

[上田]
なかったですね。

[糸井]
でも、その原則のおかげで、ドラッカーの本をその後、次々と訳すことになったわけですよね。

[上田]
うん。1973年以降のものは全部わたしですし、それ以前の『傍観者の時代』だとかも時代をさかのぼって、どんどん訳していきました。

[糸井]
なるほど‥‥そういうことだったんですか。
書いてある内容の矛盾だとか、疑問だとかについて、聞いていてくうちに‥‥。

[上田]
翻訳者にとっていちばん恐ろしいのは、
「ここの訳、おかしいんじゃないの?」って英語が読めて、内容を知っている人から、言われることなの。
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