第26回更新


テレビはどんどん見ないと番組がテレビの中にどんどん溜まっていって、だからあまりテレビを見ない我が家はよその家よりすごく古い放送を見ているんだと思ってました。学校で全然テレビの話題についていけないのもそのせいだと思っていました。
(ほそ)


それ、ある意味、時代を先取りした「かんつがい」じゃね?


「東京砂漠」とか「コンクリートジャングル」などという言葉に象徴されていた我が国の首都に初めて遊びに行ったのはとある田舎の高校生の頃。街を歩いていて雨に降られた時、私は大変驚きました。「東京にも天気があるんだ!」と。街全体がガラスのドームのようなものに覆われたSF的な街のイメージを持っていた自分に「あほかー!」と突っ込みを入れてしまいました。さらに、道端に雑草が生えているのを見たときには「大都市東京」のイメージは完全に崩れ去ったのでした。
(くま)


あと、びわとかなってるし、お祭りの日は近所の人たちが活気づくし、南青山でも雨宿りとかするし。


わたしは6歳の頃、「食べ過ぎると太る」という因果関係に気づき、さらに、「太ると妊娠する」という理論展開をして、「まだ子どもの自分に子どもができたら困る」と考えて食事量をセーブするようになりました。それに気づいた母に理由を説明すると、「男の人と一緒に住まないと子どもはできないから たくさん食べても大丈夫よ」と説得されましたが、なぜ男の人と住むことと関係があるのかわからず、空気感染のようなものを想像し、家には父や兄がいたので不安でした。
(理論的な子ども)


かたくななくらいに理論的だが、重要な部分が支離滅裂。それが、子どものすばらしさである。


私はサッカーの試合場所のアウェーを、ずっとそういう名前の都市だと思っていました。テレビで「アウェーでの試合」と言われるたびに「またか」と。アウェーでの試合があんまり多いので、サッカーの盛んな国で、ブラジルあたりだと考えるのですが、そのわりにはブラジルっぽくない名前だなとも‥‥。
(ys)


ブラジルっぽくない名前だとか、そういう細かいことには気が回るのになぁ。


新聞を定期購読するようにどの家庭でも時刻表を毎月定期購読していると思っていました。好みによって、JRとJTBどちらかの時刻表を選んでいると。父が鉄道マニアなので、食卓には常に時刻表があり家族も気が向いたら、パラパラと時刻表を眺めてました。旅行会社に就職したら、列車の時刻を問い合わせるお客様が多いことが本当に不思議でした。新聞をとっているのに、テレビ番組の放送予定をたずねる感覚といいましょうか「家にある時刻表を見ればいいのに。なぜわざわざ‥‥」きっと年配の方は、文字が小さくて見にくいんだと、自分に言い聞かせてました。あまりにも不思議で同僚に話したら「普通の家にはない。そして見方がわからん人が多い」と一般の家庭事情を教えてもらいました。
(ゆっこ)


ああ、いいなあ。やっぱり、幼少時代に発覚せず、大人になるころまで残った「かんつがい」というのはひと味違いますよね。なんていうの? 養殖じゃなくて、天然、みたいな。投稿内容にもどると、「JRとJTBどちらかの時刻表」っていうところでもう、よくわかんないんですけどね。


私が月は形が変わるものだと、二十代の半ばまで思っていました。三日月を双眼鏡で見て、うっすら丸い形が見えて、「三日月のときでも本当は丸いのか!」とびっくりしました。ごめんなさい、バカで。
(蜜柑水)


月は、三日月のときでも、半月のときでも、ほんとは、丸い。なんなら、新月のときでも、月食のときも、ぼんとは、丸い。


子どもの頃、ゴミ収集車のことを「ゴミしゅーしゅー車」だと思ってました。しゅーしゅー音させながら動くからそういう名前なのだとばかり。
(なをたろ)


かわいい。じゃあ、またねー。


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