[糸井]
吉本さんのご両親、かっこいいですね。

[吉本]
かっこいいです。
かっこいいことを知らせないで、かっこいいんですよ。
うちの親父やお袋みたいな、どうってことない人間でもそれができていた、というところから類推すると、おそらくみんながそうなんでしょう。
ひとりひとり、職人さんでも染物屋さんでも何でもいいけど、よくつき合えば、ふつうの人たちはみんなそれを持ってると思います。
わりあいに親しくなったら、みんなのそういう面がきっとよくわかるんじゃないでしょうか。

[糸井]
その知性は、再現性もなかなか難しいし、本人も説明しないし、伝わらないけれども。

[吉本]
そうなんですよ。
だけど、ふつうの親父さんたちは、二十四時間一緒に暮らしているわけですから、自分の子どもに対してたいていそれをやってるんだと思います。

[糸井]
それはいわゆる「善良」とか「倫理的」とは違うことですね。

[吉本]
違います。
しかも、そんなことは、ご当人は考えもしないで習慣みたいに、できてるんです。
子ども同士だって、そういうことはあるんですよ。
僕が子どもの頃、そうとう悪い奴がいてさ(笑)、
「おいみんな、さくらんぼ取ってこい」
「次はお前の番だ」とか、いつもそういうことを言う親分みたいなのがいました。
でも、取ってきたさくらんぼを分けるときは、みんなの前でおおっぴらにぶちまけちゃって、勝手に食っちゃいます。
そういうところで格差をつけないんです。
「みんなで食え」ってそれはもう、絶対的なんですよ。
つまり、自分だけが多く蓄えるようなことはしないです。
そういうことは、わりあいに子どものときからみんながやっているんじゃないでしょうか。
まあ、前提で悪いことをしてるんだから、さくらんぼを取ってきちゃってるんだから、帳消しなんですけど(笑)。
別のところでそいつに文句を言いたいことはたくさんあっても、そういうときに納得しちゃうんです。
やっぱりたいしたもんだな、と思いますし、少しは真似しねぇとな、とも思います。
そこで経験した面が、大人になって出てくるんじゃないでしょうか。

[糸井]
それは、学校でみんな集めて学ばせることではないですよね。
どこで伝わるものなんでしょう?

[吉本]
やっぱり遊びなんじゃないでしょうか。
子どもは、遊びながらそれをやって、ひとりでに覚えるわけです。
ですから、遊びでもって、ひとりでに覚えるというやり方を、子どもにやらせるといいんじゃないでしょうか。
自分で考えることは意味があるし、役に立ちます。
大人が装置のなかでこんなふうにやらせよう、なんて考えたって、それは大きな勘違いであると、僕にはそう思えます。
(明日につづきます)


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