第8回 10キロの荷物に。



[糸井]
うーん。
ここまでの一連のお話は、斎藤さんの愛妻物語でもありますね。
素敵なカップルですよ。
世界一周の140日間、喧嘩もしないし、アサヒビールの人事課を辞めて、徳島行って、パソコンのローンを組んで粉を測ってチョコレート割って‥‥奥さんも大変だったでしょ?

[斎藤]
大変だったと思います。
両親と2世帯住宅で同居でしたから、陰ではチクチク言われてたんじゃないでしょうか。

[糸井]
「またあいつらはインターなんとかやらを」

[斎藤]
ええ(笑)。
当時はまだ売り上げったって、売れても月に100万とかですから、自分たちの人件費も出ないわけです。
なのに、ぼくは明け方までずっとネットの店長をやっていました。
布団で何時間か寝て、会社に行って斎徳の社長をやる。
で、ぼくは腰があんまりよくないんですよ。

[糸井]
じゃ、パソコンはわりと大変ですね。

[斎藤]
ひと晩じゅう、ずーっと座ってるから、妻がハーマンミラーの椅子を買ってくれたんです。

[糸井]
妻が!

[斎藤]
はい(笑)。
いまだにうちの中でいちばん高い家具です。



[糸井]
それは、奥さんもすごいし、斎藤さんも偉いんでしょうね。
人をニコニコさせることというのは、たいしたもんだと思いますから。
背負える程度の荷物があったほうがチームワークは出ますよね。

[斎藤]
ええ。しかし、あのときの我々にとって
「荷物」にはもう一方の意味がありました。
つまり、現実の、10キロの荷物です。
140日間の世界旅行のあいだ背負っていた全部の家財道具がそれでした。
「何かあったら またあれに戻るかもしれないね」
そういう心構えは、あったと思います。

[糸井]
それでスタートして、ポチポチと売れてきて、というあたりがいちばん苦しかったんじゃないかとぼくは思うんですが。

[斎藤]
でも、お客さまから熱烈にメールをいただいて、それがぼくらの支えになったと思います。
当時、お菓子の材料を買える店ってネットではうちしかなかったし、
「欲しい」と言ってくれる人が実はすごくたくさんいました。
「プロ用の材料や道具を使いたい」
という人も、たくさんいました。
我々のそのときのキャッチフレーズが、
「探していた材料が見つかる。
 欲しかった道具も手に入る」

[糸井]
重要なことですね。

[斎藤]
お客さまは、みなさん、どこで情報を手に入れられるのか、
「フランスのこういう道具がいい」とか
「こういう材料がある」とか、いろんなことをご存知なんです。
それを買える場所が遠く、少なくて困っておられました。
ですから、みなさんに受け入れらたという実感がありました。
だから、辛いと思ったことは全くないんです。
さらに、お客様から
「こういうのがあると便利なのに」と教えられて、それをどんどん商品化していきました。

[糸井]
専門の材料があまり手に入らなかった時代ですよね。
扱う材料の選別や分類はどうなさってたんですか?

[斎藤]
今でも、材料は全部テストして自分たちで焼いて味を見ます。
これは当時からそうでした。



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