第9回 いまのサイエンスでは、扱えないこと。

[糸井]
井上先生のお話をきいていると、勇気がでます。
思い当たるんですよ、例えば、この間、眠かったのに映画に行ったんです。
3時間以上の映画だったので、これ寝ちゃうかなと思ったんですけど、とんでもなくて、すこしは退屈なシーンもあったのに、起きていられたんですね。
「おれ、このごろ睡眠不足だなあ」なんて、まったく思わずに。

[井上]
結局、脳の活動が睡眠の信号を上回るほど高ければ、睡眠のほうが引っ込んでくれるんですよ。
引っ込ませようなんて思わなくても、脳自体が、そういうレベルで活動して、遠慮してくれる。
それほど、睡眠というのは適応力が高いわけですね。

[糸井]
劇場で寝ちゃうときというのは、
「寝てもいい」と心の奥で思ってますね。
正直言って、「寝たらまずいぞ」という場面で寝たことは、やっぱりないですね。

[井上]
それは自己管理が、お上手なんですよ。

[糸井]
そうでしょうか。
寝不足かどうかで、ちょっと自分で催眠術かけているところもありますが、
「寝ちゃうかな」と思って出かけることはいっぱいあっても、じっさいに寝ちゃってるときというのは、やっぱり寝ちゃってもいいときですよね。

[井上]
そうでしょうね。
そういう素直な態度で臨めばかなり睡眠というのは、従順に仕えてくれるはずなんですね。

[糸井]
それを肯定できるかどうかですものね。
歌舞伎では、たいていの男の人はコックリしてて、女の人が起きていますね。
あれは、女の人は、楽しいんですよね。
「きれいねぇ」っていう褒め方があって。
男はやっぱりストーリとか考えるから、遅々として進まぬストーリーに寝てもいいかなと思うわけで、女の人は、着物がきれいだとか絶えず違う情報を受け取ってますからね。
「甘め」というのは、大きなキーワードですね。

[井上]
そうですね。

[糸井]
それは睡眠だけじゃなくて役に立つ言葉だと思います。
先生、ご自分に、甘いですか。

[井上]
甘いですよ。
「今日は、これでいいや」という感じですね。

[糸井]
お若いときの病気の体験が、やっぱりよく作用してるということですか。

[井上]
そうでしょうね。
結局、それがどのくらいの因果関係かわかりませんが結局、眠りをうまく取ってりゃ自分でなんとかなると。
医者なんかに行ってあれこれやられるより、よっぽど、こっちの方が効くなという実感を持ってるわけですね。
自分が調子悪いなと思ったら、医者なんかに行ったり薬飲んだりするよりも、自分で寝ちゃった方がいいや、何もしないで、という方がよっぽと有効。
それは一種の誤解なり信仰かもしれませんが、結果的にそれでしのいでる。
お医者さんには申し訳ないですけどそういう「逃げの術」ですね。

[糸井]
自分のやり方なわけですね。
いまの話でおもしろかったのは、
「信仰かもしれませんが」
と、ご自分でおっしゃってて、いわゆる科学者の態度としては、信仰なんだろうか、信仰じゃないんだろうか、というふうに、さらにかぶさって追求していくようにも思えたんですけど。

[井上]
いまの科学が、一番弱いのは、平均値しか見ないということなんです。
個人差とかね、生き物の本質的なところは
「みんな違う」ということなんです。
DNAがみんな同じじゃないんです。
クローンじゃないんですよ。
いや、クローンだって、個性が出てくる、違ってくるんです。
要するに、多様性っていうんですかね個別性がね、生物のほんとに大事になところなんですね。
ところが、それは、数式に乗らないでしょ。
だから平均値で代表させて、これはこういうものだと言う。
データを1000個集めると、それの中で一番多い集団はこのへんになって、平均をとると、ここへ来るという、そういうことで、再現性があるということで、議論が進むわけですね。
だけど、ここにいるこの人が不幸なのか不健康なのか、ということは、問題にできないわけですね。
だからあくまで平均的なレベルで議論しちゃう。
結局、いまのサイエンスじゃ、そこを扱えないんですね。
そういう個別性に対してこの人の、この人物の、この時点での、言ってみれば一番いい条件をどうやって評価するか、ということは、できないから、言ってみれば十把一からげで管理して、
「血糖値はここからここまでが健康です」と、そういう言い方しかできない。
それは、結果として正しいやり方かもしれないし、集団を管理するというやり方においては、それしかできないかもしれませんが、その集団の平均的存在でない人間にとっては、非常に迷惑なことなんですね。

[糸井]
うーん!



[井上]
だから、結局、自分の平均像を自分が知ってなきゃいけない。

[糸井]
そういえば、前に吉本隆明先生が病院に通いながら、言い方は失礼ですけど、
「下っ端のお医者さんが来ると 数字でああでもない、こうでもない うるさいことばっかり言ってるんだけど、 昔から知ってる上の先生は 『あ、そうですか』と言って おしまいにしちゃうんだよ」と。
「そっちの方がやっぱり信頼できるから、 患者として自覚しているんだ」
という話をよくなさってた。
「うるさいこと言うヤツはみんな 責任逃れだ」という言い方、患者としてね、してました。
つまり、
つづきを読む

前へ 次へ
目次へ    
友だちに教える
感想を送る
ほぼ日のTOPへ