第10回 生き物にもどれ。
[糸井]
睡眠時間を管理しようという発想は、企業の商品管理のロジックをそのまんま人間に当てはめてると言えますね。
商品管理ですね。
[井上]
ロボット扱いしてくれてるんです。
規格外のものはもう病人だという、認識。
それか、規格外だと自分が思ってしまって不幸になってるということですね。
規格外こそ価値があると、オレは物と違うんだという、そういう自信が持てないわけですね。
[糸井]
みんなが占いを喜ぶのは、ひとつは何かの規格に入りたいという気持ちと、もうひとつは、いろいろあるっていう喜びを同時に、味わえるからなんですね。
[井上]
そうでしょうね。
[糸井]
星座だけでも、12に分かれると少なくとも普段やられてる背丈やなんかのことよりは気持ちがきっと「違う」って言えるんですね。
[井上]
そうですよね。
生まれた日にちにしろ、生まれた年にしろ、みんな自分の固有のものですから、他と違うんで、これだということに安心するわけですね。
[糸井]
二重のおもしろさがあるから占いは流行るんですよね。
今日は、睡眠の話が、哲学の話になりましたね。
[井上]
脱線してしまいましたね。
[糸井]
ほとんど、眠りを眠り独自として取り出して考えるということ自体が、もう、ある意味ではダメなんですね。
ものごと全部そうだと思うんですけど。
[井上]
眠ることと、生きてることは同じなんですよね。
生きてることは何かという、非常に哲学的な問題は、眠りとは何かということと、全く同じなんです。
大昔から、眠りに対していろんな人が、哲学者がいろんなこと言ってますけど、サイエンスになる以前に、眠りというのはもう太古の昔から、人々が関心をもってたんですね。
それは、サイエンスの言葉で説明できなかったけど、本質はある程度ついてただろうと思うんです。
非常に哲学的な面で本質に近いものをカバーしていれば、それで、よかったんですが、サイエンスというのは、そういうものからどんどん希薄になっちゃってるもののひとつだと。
[糸井]
解体してますよね。
[井上]
そうなんです。
分析がいきすぎましてね、その分析結果をもとに、規格を作って
「ロボット、かくあるべし」というような数式ができてしまったから、よけい眠りを忘れてしまった、ということでしょうね。
[糸井]
他のジャンルの専門の領域も全部そういう傾向がありますよね。
不自由にして自分を苦しめて、新しい商品やら、その仕事に携わる人が増えていくから、法律の解釈をめんどくさくして、官僚が増えていくのと同じようなことが起こってますよね。
[井上]
それが行き過ぎてるから地球まで壊しかけてる。
とこまで行き着くでしょうね。
飛躍が激しいですけどね。
そういう発想自体が非常に危険なとこに来ている、ということは確かだと思いますね。
[糸井]
それを突破するのは「甘め」、ということですね。
[井上]
そうです、そうです。
もっと言いますとね、生き物に戻れということでしょう。
そうすると、もっと甘くならざるを得ない。
いろんな状況に応じて、命さえ保てればこれでいいんだという、そういう最低のとこまでいくでしょうね。
それで、いいと思うんですよね。
[糸井]
「甘め」というのは、言わば遊びのお話でもあるし、しょうもないと人が思ってることの無駄の話でもあるし、そこまで全部光と影の関係みたいにキラキラ、キラキラ、裏表になって人生だよというような、ほとんどお坊さんの話みたいになってますね。
[井上]
ははは。
[糸井]
そういう考えは先生は若いときからお持ちだったんですか。
[井上]
そうですね。
わたくし医者じゃなくて、理学部の卒業なのですが、理科へ行って偉い先生の講義を聴いたら、なんで、こういう、枝葉の末梢の最先端のことだけ一所懸命やって、全体の根元のほう見ないんだろうと。
要するに、最先端の学問って、日本じゃ、もう枝の最先端しか扱わないんですね。
全体の根元まで見るような、そういう見方ができないような、そういう育ち方してる人ばっかり。
それが非常に不満だったんです。
「もっと、さかのぼって本流からスタートして、 そこの意味をつかまなきゃ」というようなことは、常に偉い先生方の講義聴きながら思ってましたね。
人は、休んだり、働いたりということが繰り返されないと、自力で生きていけない装置なんだということですね。
それがダメになるので、次世代を作って次の世代へ命をつなぐ。
そこが、本質的に、非常に生き物が生き物らしいとこだ、ということは、学生の頃から思っておりまして、そういうことを全部カバーした上で、自分なりの研究を展開しようという姿勢を持っていましたけどね。
ただ、そんなことは、どこでも主張できることじゃなくてそんなことを発表したら、もう、おかしなやつだと‥‥
[糸井]
言われますよね。
[井上]
頭がおかしいと思われるくらいですからね。
最先端の、先の先のところに、ちょびっと付け足すようなことを、学会では、論文に書いて発表したりするわけだけれど、日本はその先端の先端だけで、十分なんですね。
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