[南]
日記とか、つけてた?

[糸井]
日記はね、子どものときに、ウソの日記をつけてたことがある。



[南]
ウソの日記?

[糸井]
日付も、内容も、ウソを書いてね、あとから読み返したときに自分がだまされちゃうかもしれないと思って。

[南]
そんなこと、子どものころから(笑)。

[糸井]
うん。しかも、ほんとに自分がだまされてわけわかんなくなっちゃったことがあった。

[一同]
(笑)

[南]
へぇー。

[糸井]
けっこう、そういう、子どものころの思いつきって、怖いよね。

[南]
それで思い出したけど、赤瀬川さんが子どものころにね、どこかに遠足に行って、そこに、木がわーっと生えた、とくになんていうことのない、平凡な景色があったんだって。
で、子どものころの赤瀬川さんはね、その平凡な景色を見ながら、
「人間の記憶っていうのは どのくらい残るんだろう。
 こういう平凡な景色も、 覚えていようと思ったら、 ずっと覚えていられるのかなぁ」と思って、そのなんでもない景色を
「覚えてよう」と決めたんだって。
で、いまでも、それ、思い浮かべられるって言うんだよ。
すごいよね?

[糸井]
ふふふふ、すごいね。



[南]
その景色、ときどき思い出すって言ってたなぁ。
それはなんか、将来の自分をだまそうとした糸井さんの子ども時代と似たとこあるよね。

[糸井]
うん。その、子ども時代の赤瀬川さんの気持ちはすごくわかる。
自分も似たようなことを考えてたと思う。

[南]
もう一個、赤瀬川さんの子ども時代のことで、感心したエピソードがあってね。
あの、落下の法則ってあるじゃない?
ガリレオが、ピサの斜塔からさ、木の球と鉄の球を、こう、同時に落として、重さは違うのに、ふたつが地面に同時に落ちる。
だから、空気抵抗を計算に入れなければ、落としたものは同時に落ちる。

[糸井]
うん。

[南]
それは、大きいものでも、小さいものでも、丸いものでも、変な形のものでも、とにかく同時に落ちるんだっていうのを、子どものころの赤瀬川さんは授業で知った。
で、赤瀬川さんて人は、いまでもね、すごく学習能力があるんだ。
つまり、自分で考えるの。
教えられたまんまじゃなく。
その日、雨が降ってたんだね。
で、実験を思いついた。
「大きいものも、小さいものも、 同時に落ちるなら、 人間も雨粒も同時に落ちるのか?」って。
‥‥すごいよねぇ。
で、ジャンプしたんだ。
つまり、自分が地面に落ちる理屈でしょ。

[糸井]
ああ。うん、うん。

[南]
で、飛びあがって、落ちながら、落ちてくる雨粒を見つめた。
すると、「雨が雨粒になった」っていうんだ。
つまり、ふだんは糸のように感じている雨が、ジャンプして降りるときに、一個一個の粒になって見えたと。

[糸井]
ああー。

[南]
雨粒と同期したわけよ。
それって、ちょっと、感動的だよね。

[糸井]
うん。



[南]
それまでは線だった雨が、一瞬にして、ポツポツポツの雨粒になって静止したんだ。

[糸井]
その表現がいい。

[南]
本人のなかに、そのイメージがいまでもものすごくくっきりあるんだろうね。

[糸井]
そうだね。

[南]
この話を思い出すたびにさ、
「雨が降ったらやってみよう」って思うんだ。
いまでも思ってる。
だけどね、忘れちゃうんだな、いつも(笑)。

[糸井]
(笑)

[南]
やってみたいよね。
やってみたいってずっと思ってるのにさ、忘れてるんだよな。

[糸井]
だけど、そういう感覚って、なんだろう、子どものころはものすごくいっぱいあったよね。

[南]
そう?

[糸井]
いまの赤瀬川さんの話は、きっと、たくさんあるなかでも、覚えてた話なんだと思う。
そういう感覚や、そういう思いっていうのは、子どものころにものすごくたくさんあったんだよ。
というか、そういうことだらけだったんだ。

[南]
うん、そうかもしれない。
でも、やっぱり、糸井さんと赤瀬川さんは似てるんだと思うよ。
そういうふうに思えるあたりが。

[糸井]
そうなのかな。



(なんだかツンとしますね。つづきます)


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