[糸井]
ああ‥‥横尾さんの背中に後光が出はじめちゃった。
[横尾]
うん。夕陽だね。
[糸井]
写真、撮りたいけどこりゃうまく撮れないな。
[横尾]
夕陽がもうちょっと上に上がったらよく撮れるよ。
‥‥‥‥あ、夕陽は上がらないんだった。
[糸井]
(笑)夕陽は下がるんでしょう、下がるばっかりです。
[横尾]
あれは肉眼よりちっちゃく写るからさ。
[糸井]
そうですね。残念至極。
[横尾]
撮れないんだよね、なんでか。
[糸井]
Y字路を撮った写真が、ご自分の絵に似てるとは思っていらっしゃいますか。
[横尾]
それは思うよ。
写真になってからはね。
[糸井]
彩度みたいなものが似てるんでしょうか?
[横尾]
絵に似てるというよりも──いまは逆に、
「こういうふうに描けばいいんだな」
というふうに思ってます。
[糸井]
はい。
[横尾]
今度描くときは、こういうふうに描いてやろうかな、と思う。
空なんか、紫色使っていいんだ、みたいなさ。
[糸井]
写真が教えてくれるわけですね。
[横尾]
そう。
[糸井]
どうでもいい話ですけど、この写真集はものすごく価格が安いですね。
[横尾]
安いよ。
ふつうだったら、まぁ倍とは言わないけど、7〜8千円ぐらいはするでしょう。
[糸井]
こんなに頑張って3千円台って、ぼくはその企業努力に頭が下がります。
[横尾]
がんばったよねぇ。
[糸井]
横尾さんがカメラを持って写真を撮っていたのは‥‥たしか、ジョージ・ハリスンを撮られた頃がありましたよね。
[横尾]
あの頃ね、けっこう撮ってた。
だけど、やめちゃったの。
ぼくは性格的に、カメラマンにはなれない。
[糸井]
それは、まずはめんどくさいから?
[横尾]
めんどくさいよ。
カメラを持つだけで、もう。
こういうのって、すごいめんどくさいことやってるんだよ。
[糸井]
写真を撮るために立ち止まったりするのは、横尾さんには向いてないですよね。
[横尾]
でもね、ときどきスケッチみたいに撮ることはあるの。
ちいさいカメラでね、
「あ、おもしろいな」と思ったところで一応、シャッター押すわけ。
[糸井]
なるほど。
[横尾]
シャッター押さないで見てるだけだったら、もうそれで済んじゃうでしょ。
押すと、なんだかそれが自分のものになるような気がする。
それで「見た」ということになる。
[糸井]
それは、日記のようなことで。
[横尾]
自覚というのか、認識ができるんだね。
例えば、飛行機が飛んでますよね。
飛行機なんてしょっちゅう飛んでるんだけど、電線と電線の間に、飛んでる飛行機がはさまった瞬間、バッと入ったりすると、あ、すごいな、形がきれいだな、と思う。
五線譜に飛行機が引っ掛かってるように見えるわけよ。
ぼくはそれを撮ります。
だけどそれを焼いてもう一度眺めるということはぜんぜんない。
[糸井]
撮ったという合図だけが大事で。
[横尾]
そう。でも、おもしろいと思うだけだと次に見たもののほうへ意識が移るから、忘れちゃうわけ。
写真を撮ればその瞬間は肉体化される。
[糸井]
横尾さんの目に見えてる、そういった映像の材料というのは、ぼくらよりずっと多いわけでしょう。
[横尾]
入ってくる情報という意味?
[糸井]
うん。
変だなとか、おもしろいなとか、きれいだな、というものが多いんじゃないでしょうか。
[横尾]
それは、糸井さんだって持ってるんじゃないの。
同じものを、同じ気持ちで見るかどうか、それはわかんないけどもさ。
[糸井]
いや‥‥まず量が、ぜんぜん違うんじゃないか思うんですよ。
[横尾]
それは一個一個、確認しなきゃわかんないよ。
いくら長い距離歩いたって、なんにも覚えてないこともあるし。
[糸井]
いや、おそらく、目で見ることを仕事にしてる人が見るものは、
「違うものを見てるんじゃないかな?」
というくらい、分量が多いと思います。
[横尾]
まぁ、量は同じでも、見方はちがうかもわかんないね。
たとえば、木を見るときは一般的には葉っぱを見るけれども、そうじゃなくて隙間の空の白い形を見ちゃう、ということはあります。
隙間は空ですよね。
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