[糸井]
子どもが小学生のとき、食べものかなにかの話でぼくは「なかでもどれが好き?」と聞いたんです。
そのとき、子どもが
「どうしても答えなきゃなんないんだったら、 全部きらいでいい」
と答えたんですよ。
今頃になって、ぼくはそれがすごくいいなと思ってるんです。

[横尾]
ねぇ? そういうのってさ、おなかがすいてるときとか、すいてないときとか、時と場合にもよるしさ。
そんな酷な質問する親っていうのはさぁ(笑)。



[糸井]
ダメなんですよ(笑)。
横尾さん、聞きませんでした?

[横尾]
聞かない。
そんなの疑問に思ったことないもん。

[糸井]
はぁ‥‥そうですか。

[横尾]
大人になってもそうだし、子どものときからもそんなに疑問を持たないもの。
子どもは、勉強中にも疑問を出すでしょう?
ほんとうは聞きたくもないわけよ。

[糸井]
はい、はい(笑)。

[横尾]
まぁ、ぼくだって聞きたくないのに疑問を持ったようなフリして聞くことはあるけどね。
今回会ったときも、最初に
「いまいくつになったの?」
と糸井さんに聞いたけど、そんなのどうでもいいわけよ。

[糸井]
そうですね(笑)。
ほんっとうに、そうですよね。



[横尾]
糸井さんがぼくとひと回りちがおうが、ふた回りちがおうが、もういいんだよ。
だけどさ、それは時間をつまむためにやってるわけ。

[糸井]
それはきっと、マッサージしあってるようなものだと思います。
握手したりするのとおんなじ。
だから、ことばじゃないんです。
子どもになってみればわかります、きっとね。

[横尾]
「なにがいちばん好きか」なんて子どもだったら、答えにくいと思うねぇ。



[糸井]
親も子も、そういう質問をずっとくり返していくから、そのうち、やれるようになっちゃうんですね。
それで壊れるものがおそらくいっぱいあると思います。
でも、そのほうが、社会にとって便利だったりするんでしょうね。
たとえば、
「このY字路の写真集で、どれがいちばん 思い出深い写真ですか」
なんて、聞かれますよね?
「どれもねぇ」と答えたいけどそうはいかなくて。

[横尾]
そういう社会的なルールでまともに答えようと思うと、ぼくだってとにかく探しますよ。
「これ。この写真です」とか言うけれども、そんなもの、ぜんぜん不確かなことに指差してるだけの話でさ。
その場逃れよね。
そうしないと、そこから逃れられないからですよ(笑)。

[糸井]
逃れられない(笑)。

[横尾]
だから、たまたま言ってるだけで。

[糸井]
そうですね、そうですよねぇ。

[横尾]
そういうこと、けっこう多いです。

[糸井]
多いです。
こうなると、社会人としてやりにくいんですが、これはこれでまた、おもしろいですね。

[横尾]
そこらにでんぐり返ってさ、
「これです」っていうように、指差したいね。



[糸井]
ははははは。いっそね。

[横尾]
子どもってそういうことやるじゃない。

[糸井]
やりますね。

[横尾]
急にでんぐり返ってさ。
だけど、指差すというよりはその「でんぐり返ったこと」が、その子の答えだったりするわけ。
それは拒否してるかもわかんないしさ。

[糸井]
それ、通用させたいです、とても。

[横尾]
でも、糸井さんがそうなってきたということは、最終的というのか、いいところに行ってるんじゃないですか。

[糸井]
いいところに行ってると思いますよ。
気分はいいです。
ただ、ケンカ直前まで行っちゃう可能性が出てきましたね。
昔はそういうことはしないでごまかしてなんとか落ち着けてきたんだけど、だんだんできなくなっています。
それを、横尾さんは若いときからずっとやってこられたわけでしょう。
まだ足らないといって
「画家宣言」をしてみたり
「隠居宣言」をしてみたりとにかく逃げ回って(笑)。



[横尾]
次、なに宣言しようかな、とか。

[糸井]
横尾さんはいつも‥‥ルールから逃げ回ってますよね。

[横尾]
そう。ぼくはルールに合わないんです。
でもやっぱり、ルールには合わさなきゃいけないでしょ。
家庭なら家庭のルール、職場には職場のルールがあるし、仲間同士で仲間同士のルール、仕事そのもののルールってのもあるからさ。
‥‥またねぇ、その、
「ルール」という、そのもの自体がぼくにはわかんないわけよ。
たとえば、トランプのルールがあるとする。
ドボンっていうやつね、誘ってもらって、教えてもらって、やったの。
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