2018年春の「やさしいタオル」で
いっしょに「ほぼ日」に登場した、
イラストレーターの大橋歩さんと陶芸作家の鹿児島睦さん。
「いちどもお会いしたことがない」
というふたりを引き合わせたくて、こんな機会をつくりました。
大先輩を前に最初は緊張していた鹿児島さんでしたが、
「おんなじだ!」「ぜんぜんちがう‥‥」という発見が、
どんどん距離をちぢめてゆきました。
雑談めいたぶぶんも含めて、そのようすを
全6回でおとどけします。
- わたしは鹿児島さんの陶芸作品を
実際に拝見したことがないのですけれど、
本を見て、すごいな! と。
陶器の質感。土を焼いた感じ。
こういう質感がとても好きです。
- ──
- 「ほぼ日」では今回はタオルだったり、
イラストレーションやプロダクトデザインで
おつきあいいただいているんですが、
鹿児島さんの本業は陶芸ですものね。
- 本業が陶芸──、というよりも、
ぼくはじぶんの仕事を、
サービス業に近いと思っているんです。
- あら、わたしも自分の仕事を
サービス業だと思ってる。
- そうなんですか!
もともとはサラリーマンだったんです。
大学を卒業した後、
12年半ぐらい会社に勤めました。
陶芸を始めてからは、
まだ15年経つか経たないかです。
学校時代に陶芸の勉強をしたんですけれど、
もうほんとに劣等生で、
なんとか卒業したという感じなんです。
- 学生時代は
どういうことをなさっていたんですか。
- 美術の大学で工芸科に進みました。
そのときの学長が阿部公正という先生で、
バウハウス*のご研究やデザイン史、
建築史の第一人者でした。
*バウハウスは、1919年ワイマールに生まれ、デッサウ時代を経て、1933年にベルリンで閉校した、建築・デザイン・写真・工芸の学校。合理的で機能的な様式を生み出し、20世紀芸術に大きな影響を与えた。グロピウス、カンディンスキー、ミース・ファン・デル・ローエ、クレー、イッテン、モホリ=ナジ、シュレンマー、モンドリアン、ブロイヤーなど、そうそうたる芸術家たちがかかわった。
- バウハウスをメインに授業をしてくださったのですが、
指導者としてのグロピウスや
カンディンスキーの仕事ついて詳しく話してくださったり、
パウル・クレーの葉脈だけ見せて
これに葉っぱをデザインしなさい、
というような授業のお話もしてくださいました。
阿部先生はもうお亡くなりになりましたけれど、
すごく面白かったです。
- そして今は福岡に。
まわりにも陶芸作家が多くいらっしゃるでしょう?
- いえ、九州ということなら、
佐賀、長崎、熊本あたりは
比較的多いかもしれませんが、
福岡ってそういう意味では
文化の不毛地帯なんですよ。
- え、そうなんですか。
- ギャラリーや美術館、少ないですよ。
県立美術館や市立美術館など
公(おおやけ)の美術館が3つあるんですが、
購入予算がビックリするほど少ないんです。
そんななか今、太宰府天満宮の権宮司さんが
一所懸命頑張っておられて、
アートのプログラムをされていますけれど。
- 不思議。
- 市民・県民はアートやデザインが大好きで
意識も高いのにとても残念なところなんです。
- そんなことないですよ。
憧れている人、いっぱいいると思いますよ。
わたしたちの感覚として、福岡っていいですよ。
男の人も女の人もすごくオシャレでしょう?
- たしかに民間はすごく頑張っています。
ほぼ民間の力で何とか成り立っているのかも。
- ──
- 福岡の人って、お酒が好きで宵っ張りで、
居酒屋で聞くともなく聞いていると、
福岡をどうしたらよくなるかという話を、
若い人がみんなでしていませんか?
- してます!
若い人だけじゃなく、
おじいちゃんおばあちゃん達まで皆さん
『こうしたら福岡は良くなるのに!』って話してます。
- え、そうなの?
- ──
- だからかな、面白いお店が多いですよね。
インテリアショップにしてもそうですし。
- 福岡って、そういう気質があるのか、
二番煎じを許されないところなんです。
例えば何か面白いお店を作ろうとしても、
すでに似たお店があったら絶対作れないし、
別ジャンルを開拓しないといけない。
北欧だったら北欧のものを扱っているお店はここ、
南仏ならここ、アメリカの雑貨だったらここ、
というふうに、みんな分かれています。
もし新規参入で義理を通さずに
似たようなことをやったら、まったく通用しない。
だから面白いお店が、
もう突出して面白いんでしょうね。
飲食はまた別ですが、
みんなほんとに頑張って、
面白いことをやっていますよ。
- そうなのね。すごくオシャレないい町って
ずっと思っているんですよ。
- ──
- お話を聞いていると、
鹿児島さんは拠点が福岡ですが、
どうも福岡に「こだわっている」わけでは
なさそうですよね。
- 全然こだわってないです。
もうまったく。
いいよと言われれば
どこでも行くつもりでいるんですが、
誰からも呼ばれないんです(笑)。
ぼくはもう普通に誰でも買える土と、
誰でも買える顔料を使って、
普通の電気窯で焚いてるので、
場所のこだわりは一切ないんです。
東京のマンションでも
カリフォルニアの山の中でも
ロンドンの田園でも全然大丈夫。
- うわ、すごい。
- もし目隠しをされて、
山の中にポンと捨てられても、
土と水と火があれば、
器をつくって物々交換をして、
なんとか生きていけると思います。
技法もごくシンプルな基本的なことですし。
ほんとうのことを言えば、
何を作っているんだ、
という意識があんまりないんです。
- ──
- 「お皿」では?
- それが「お皿」であるということは、
ぼくが最初につくった逃げ道なんですよ。
お皿というものには用途がある。
だからどんな変なものを作っても
これはお皿だよと言えちゃうでしょう?
お皿というのは道具ですから。
ぼくは家では白い器を使いますが、
こういうのがポンと1個あったら楽しいかもね、
ぐらいの感じなんです。
だからそういう楽しんで頂くための道具として、
作っている感じです。
だけどあんまり「道具だ、道具だ」って
ぼくが最近言っているものだから、
海外の人たちがすごく嫌がるんです。
- え、どうしてですか。
- コレクターの方たちは、
「バリューが下がるからやめてくれ」って。
「道具だと言いたいのはわかるし、
それが日本の考え方かもしれないけど、
俺たちはアートだと思って買っている。
だからアートだって言ってくれないと、
俺たち、ちょっと立つ瀬がない」
みたいなことをおっしゃるんです。
- ──
- 作者がちゃんとアートですと言ってくれよと。
- だから最近ジレンマがあるんです。
陶芸って、用途から生まれた芸術という面は
たしかにありますし、
いろんな立ち位置があるんですけどね。
ぼくの仕事も国境の上を
ずっと歩いていくような仕事だなと
思ってはいるんですけど。
- ──
- アートと実用の境界線を歩いて、
ご自身は実用の側に立ちつつ、
アート側からこっち来いよって引っ張られて。
- そうなんです。引っ張られることもあれば、
自分からそっちに逃げ込むこともあります。
サラリーマンを10何年やり、陶芸にうつり、
でも仕事としては同じことをやっている、
というイメージなんです。
そんなに陶芸が特別ではない。
- ──
- それはたとえば、こういうことでしょうか。
サラリーマン時代は他のブランドやメーカーから
商品を仕入れていたのが、
いまは仕入れ先が自分であると。
以前は家具や生活雑貨だったのが、
いまは自作のお皿になった?
- そんな感じですね。
- 生活、暮らしの中の続き、みたいな感じ?
- ええ、そうなんです。
だからぼくはインテリアの業界で
サラリーマンをやっていたことが、
いまの仕事につながる近道だったなあと
思っているんです。
すごくいい勉強ができたことで、
今この仕事を楽しくさせてもらってる、
という感じがします。
当時は毎月2本か3本パリからコンテナが着く。
ひとつのコンテナには5000種類、
3万アイテムずつ入って来るんですね。
- ちいさな文具から大きい家具まで。
- そうです。その品質検品の仕事を
ぼくはやっていました。
それで最新の家具やキッチンツール、
生活雑貨のなかに、
ベーシックでシンプルな日常使いの器も
入って来ていました。
ずっとそれを見ていた。そして、
「すごくいいけど、ぼくだったら
こうデザインをしたほうが
もっとよくなると思うけどなあ」
とか、
「これ、とってもいいんだけど、
ちょっと価格的に品質と見合ってないな。
高過ぎる」
あるいは、
「安過ぎるぞ」
って思いながら。
それを10何年間やって来たことが、
今の仕事の基礎になっているような気がします。
(つづきます)
大橋歩さんと鹿児島睦さんと
いっしょにつくった「やさしいタオル」は、
こちらでごらんいただけます。
©HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN