ほぼ日の糸井と早野と河野が、
東京大学の特別講義に講師としてよばれました。
講義のタイトルは
「学ぶこと、盗むこと、仕入れること。」
名づけたのは糸井です。
若い学生たちの希望にあふれる視線を受けて、
3人は、人生の先輩として、
「知恵や知識、行動のいろんなやり方を
どうやって覚えてきたのか」
を話すことになりました。
20歳のほぼ日とほぼ同い年の大学生からすると、
私たちのことをくわしく知らない人も
多かったことでしょう。
それでも積極的に質問を投げかけてくれました。
今回はほぼ日をあまり知らないという方々に向けて、
〈参考〉もつけましたのであわせてどうぞ。
みじかめの文章で全10回、
どこからでもよんでいただます。
- 早野
-
あらためまして、
サイエンス部門の仕入れのプロとして
紹介されました、早野です。
僕のことをすこし話しますと、
長年、東京大学の理学部物理の教授をつとめまして
2017年4月に退官しました。
思えば教授時代というのはずっと
「学ぶ、盗む」を繰り返して、
血肉化された知識や知恵を基に、
新しいアイデアを発想していたように思います。
で、普通に研究者人生を歩んでいたら
糸井さんと出会わなかったと思います。
きっかけは東日本大震災のあと、
神田にある「万惣」という喫茶店でした。
ふたりともここのホットケーキが好きで、
閉店前に駆け込まなきゃという会話を
ツイッター上でしたのが、
はじめての会話だったんですね。
- 糸井
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そうでしたね。
僕は早野さんに話しかけるタイミングを
見計らっていたんですよね。
- 早野
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それがきっかけで対談相手として、
ほぼ日に呼んでもらったんです。
僕が東日本大震災以降に、
福島県で行ってきた活動についてお話ししました。
- 糸井
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あの時、じっくり話せてよかったですね。
- 早野
-
そうですね。
福島県での活動というのは
僕の人生にとっても大きな転換点でして。
たくさんお金を使って
研究をさせてもらったことを活かして、
なにか震災に関して
世の中に還元できることはないだろうかと、
福島で地元の方々と活動をしたんです。
それで、あれは2014年の秋ですね。
『知ろうとすること。』#1という本を
糸井さんと一緒に書かせていただいて、
それ以来お付き合いがずっと続いています。
- 糸井
-
2013年の春先にお会いして、
そこからずっとですね。
- 早野
-
僕は今、サイエンスフェローという、
ほぼ日の科学分野をサポートするような
役職をもらっているわけですが、
実は最初は
「古典をやろうと思っているんですが、
早野さん、歌舞伎の授業をしませんか」と
声をかけられたんです。
たしかに僕は歌舞伎が大好きで、
長年「文学部物理学科の教授です」と
自ら名乗っていました(笑)。
駒場東大キャンパスで本当に歌舞伎の講座を
やっていたことがありますし、
きっと僕もアート部門で仕入れられたと思ったら、
役職はサイエンスフェローだったんですね。
- 糸井
-
サイエンスだけをほぼ日でコンテンツにすることは
たぶんないんですよね。
でも、サイエンスという観点で
アートやライフが語られることはあると思いました。
そういう意味では早野先生は適任です。
適任という意味で思い出す話があって、
東京大学にインターネットを配置したのは
当時の早野さんらしいんですよ。
ね、早野さん?
- 早野
-
はい。
東大すべての建物の中を歩いて、
どこにどうやってケーブルを引くべきか地道に調べ、
大学側に配置してもらいました。
- 糸井
-
それって、
原子物理学ではないんですよ(笑)。
- 聴講生
-
(笑)
- 糸井
-
でも「インターネットは必要だ」と早野さんは思って、
そのためになにがどこに必要で、
どれくらいのコストがかかるのか、
自ら考えたわけですよね。
- 早野
-
そうですね。
- 糸井
-
サイエンスといわれて多くの人が想像するのは、
未来予測かもしれません。
でも、やるべきことを算出して
全体のコストを計算し、
実行まで判断できることは、
科学者の態度として学ぶべきだと
僕は思うんです。
そして、こういう判断をしなければいけない場面は、
僕らの周りにたくさんあります。
だけど世の中の多くの人が、
自分の主観だけで
事実をねじ曲げてとらえてしまうことを、
自然とやってしまっていると思います。
僕らだってそうです。
そうならないために、
科学者的な考え方を会社に入れたいと思ったのが
サイエンスフェローをお迎えした理由です。
「科学の立場だとこうですよ」と
僕らの仕事を違う視点から見てくれる人が
いたらいいなと思ったら、早野さんがいたんです。
今は早野さんに質問すると、
「あ、こういう人いますよ」とすぐに返ってきます。
世界中を飛び回っている早野さんに
時間を見つけて聞けるようになったことは、
僕らにとって幸運でしかないんですよね。
(つづきます。)
-
- #1 知ろうとすること。
- 早野さんの福島での活動を
糸井と一緒にじっくり1年かけてまとめた本です。
「知ろうとすること。」の
紹介ページにある言葉に
本への思いが込められています。
「科学的に根拠のない不安を抱えた人に
「放射線の影響は認められません」と
無機質に伝えるのではなく、
「間髪を入れずに『大丈夫です』と
自信を持って言いたい。」と、
ある種の悩みや、いらだちさえも含めて、
発する人の内面が表現されている本にしたい。」
編集は当時新潮社に勤めていた河野です。