学ぶこと、盗むこと、仕入れること。

hobo nikkan itoi shinbun

糸井重里×早野龍五×河野通和 東京大学特別講義

ほぼ日の糸井と早野と河野が、
東京大学の特別講義に講師としてよばれました。
講義のタイトルは
「学ぶこと、盗むこと、仕入れること。」
名づけたのは糸井です。
若い学生たちの希望にあふれる視線を受けて、
3人は、人生の先輩として、
「知恵や知識、行動のいろんなやり方を
 どうやって覚えてきたのか」
を話すことになりました。
20歳のほぼ日とほぼ同い年の大学生からすると、
私たちのことをくわしく知らない人も
多かったことでしょう。
それでも積極的に質問を投げかけてくれました。
今回はほぼ日をあまり知らないという方々に向けて、
〈参考〉もつけましたのであわせてどうぞ。
みじかめの文章で全10回、
どこからでもよんでいただます。

4 「ライフ」をキーに物事を考える。 2018.08.19

早野

この話には触れなきゃいけないと思って
スライドを用意してきたんですけど、
約1年前に「アートとサイエンスとライフ」(#1)という鼎談を、
新入社員として僕と河野さんが
ほぼ日に入ったことを知らせるために公開しました。
僕は東京大学を退官したばかりで
サイエンスフェローという肩書もなく、
河野さんも新潮社を退職されたばかりでしたね。

河野

そうですね。
まだ学校長という肩書もありませんでした。

早野

この鼎談のキーワードが
「ライフ」だったことを、
おふたりは覚えていますか?

糸井

はい。

河野

はい、そうでしたね。

早野

どうしてこういう話になったのか、
糸井さんがいちばん話せますかね。

糸井

そうですね。
なんというのか、
「アート」も「サイエンス」も
人が幸せになるためではない方向に、
使われてしまうことがあります。
そこで「ライフ」という切り口で
今までも考えてきましたけれど、
これからも意識的に、
むしろ強調するくらいの気持ちで
考えたいと思っています。

「ライフ」というのは、翻訳すると、
生活、人生、命を指します。
たとえ話でよく話すことなんですが、
ある人が亡くなったときに
「総理大臣だった」とか
「ノーベル賞をとった」とか
どのくらいすばらしい方だったかを肩書で語られても、
それはその人の価値になるとは思えなくて。
それよりも、
「この人にこれだけ親切にされた」とか
「一緒に遊んでいて楽しかった」とか
「お父さん、死んじゃ嫌だ」と泣かれたりとか。
肩書のないひとりの人間として語られることが、
その人自身の価値だと僕は思うんですね。

早野

はい。

糸井

この「ライフ」をキーに
さまざまなものごとを見るようになると、
他人と比べて競争することもなくなるし、
誰かによろこんでもらうことを
はじめに考えられるようになるんです。
これがほぼ日の大事にしているひとつの考え方です。
いちおう言っておくと、
僕も競争とかゲームは好きです。
勝ったとか、負けたとかわあわあ言うのが。

早野

僕も好きですね。

糸井

コピーライターのときは、
自分よりいいコピーを書いた人がいると
「くっそー!」と思う気持ちが絶対にありました。
逆にいい仕事をしたときは、
「どうだ」と鼻高々だったと思います。
そういうゲーム感覚というのはおもしろいんですけど、
また勝たなきゃいけない苦しさと表裏一体なんですよね。
そのまま仕事を続けていこうと思うと、
精神的にけっこう苦しいです。
極端な話、勝つためだったら
相手が傷つくことでもやってしまって、
お金を稼ごうとしてしまう可能性があります。

たとえば、早野さんが研究している分野に関して
「◯◯はうそです」と本当っぽく書けば、
ニュースが注目されてお金になるかもしれない。
さらに周りの人のコメントを聞き出して、
たびたびニュースを書けばもっと稼げます。

早野

それは、勝ったことになるんですね。

糸井

飯のタネになる、
という意味では勝ったことになります。
いま、そういうような、
人が迷惑になることでも
自分が勝つためだったらやってしまえる、
簡単に誰かをどん底まで落とせてしまう
怖い世界に僕らはいます。
でも、そんな世界って嫌じゃないですか。

早野

嫌ですね。

糸井

そういうときに「ライフ」をキーに
ものごとを考えると、
勝負に勝っても、
同時に自分の命も失われていることに気づけるんです。
そういうふうに、
なにかを考えるときに照らし合わせる鏡として
「ライフ」という言葉をいつでも置くようになりました。

早野

僕は、糸井さんの『インターネット的』(#2)
名著のひとつだと思っているんですけど、
あれは何年前ですか?

糸井

2001年ですね。

早野

もう、そんなに前ですか。
あの本に書いていた
「3つのキーワードがインターネットの特徴である」
というのをあらためて話してもらえませんか。

糸井

はい、わかりました。
『インターネット的』は、
普及していくであろうインターネットに対して、
僕がどう思うかを書いた本なんですね。

3つのキーワードのうち、
ひとつが「フラット」です。
役職や男女、年齢など一般的な関係性が
インターネット上ではフラットになれる。
そういう視点で実社会の組織をみれると、
三角形のヒエラルキーのトップに社長がいるのではなくて、
三角形を壊して、船のような形にして
みんなで推進していくイメージを持てます。
社長は船頭さん、
個々がエネルギーを発揮できるような組織です。

ふたつめが「シェア」です。
得た知識や知恵を人に分けることが簡単にできるので、
みんなの情報の価値が高まります。

みっつめが「リンク」。
リンクが貼ってあるおかげで、
あらゆる角度から知識を得られます。
たとえば早野先生のことを知らなくても
検索すれば仕事内容だけでなくて、
家族のことや趣味も調べられるんです。
この3つはインターネット以前は
できなかったことです。

ただ、インターネットは
あくまでも道具のひとつ。
道具がどう進化していくのかよりも、
インターネットを使う側の人間が
どういう風に、なにを考えて、
どういう使い方をするかが、
インターネットのこれからの運命を決めるだろう、
と書きました。

早野

嫌な世界という意味では、
2001年とSNSがある2018年の
インターネットの在り方は
だいぶ違うと思うのですが、
糸井さんはどんな風に思いますか?

糸井

そうですね‥‥
ごく普通にやり取りしていた世界が
目立たなくなりましたね。
「大福を食べておいしかった」よりも、
「この大福は賞味期限切れのあんこが使われている」
というニュースのほうが情報として広まる。
そして、広まるニュースのほうが情報価値が高い、
とされているように思います。
そして、それが快感になっている。
だから「大福を食べておいしかった」
なんていう広まらない話は
ほとんどされないし、
逆に拡散されるように刺激的な発言をしたり、
ありもしないことを言ったりする人が
増えたように思います。

早野

ああ、はい。

糸井

もっとコミュニケーションの頻度が上がると、
また変わってくると思うんですよね。
SNSという場所はありつつ
直接会える場所もきちんと確保することが
大事になっていくように思います。

早野

編集者の河野さんとしては、
今の時代の発信について
どう思われますか?

河野

糸井さんがおっしゃるように、
情報過多と同時に、
刺激もどんどん過激になっていますよね。
なにがほんとうに大切なのか、
なにが人間にとって自然な姿や大切な拠り所なのか、
そういうことがわかりにくくなっていると思います。

いま「ほぼ日の学校」という場所で
シェイクスピアや歌舞伎など、
古典をたのしく学ぶ場をつくろうとしています。
古典と深く関わるようになって思うのは、
どれも何百年も、あるいは千年、二千年もの
風雪に耐えてきたもので、
人が立ち返るべき原点が
凝縮されているということです。

将来に向けてアイデアを出すときは、
最新の情報から学ぼうとします。
でも、うしろを振り向いて、
古典に向き合って先人たちの知恵から
学んだり、盗んだり、仕入れたりすると
アイデアとともに、
なにかしらの勇気や自信が得られると思います。
風化せずに残ってきたものには、
それだけの価値があると思います。

糸井

僕らはどこかで
「どうでもいい早さ」にとらわれていますよね。
僕がテレビに出始めたころは、
司会している人がかならず
「この人、原宿の最新情報にくわしいんだよ」
なんて紹介してくれるんですよ。
それが、すっごく苦手で(笑)。
数日後には変わってしまう情報を知っていることなんて、
自慢でもなんでもないんです。
新しいことを追いかけていたほうが
需要があると思われがちなんだけど、
僕はそのころくらいからかな。
なるべくいつ見てもおもしろいもの、
古くならないものをつくろうと思っていました。

(つづきます。)

参考にどうぞ! 参考にどうぞ!

  • #1 アートとサイエンスとライフ
    国際的な物理学者である早野さんと、
    『婦人公論』や『考える人』の編集長を務めた河野さんの
    ふたりがほぼ日に仲間入りすることを
    お知らせしたご挨拶代わりの鼎談です。
    3人が今考えていること、これからのことを
    「ライフ」という言葉を鏡にたっぷりと話しました。
  • #2 インターネット的
    2001年に発刊された、
    インターネットに触れた感動や、
    当時のほぼ日の様子や考え方をまとめた本です。
    時代は、インターネットが普及しはじめたころ。
    「生きている場所によってではなく、
    生きている時間によって、
    さまざまな考えを持って、
    自由にいられるようになったことを
    『インターネット的だなあ』と僕は感じた」
    と糸井は書いています。