ほぼ日の糸井と早野と河野が、
東京大学の特別講義に講師としてよばれました。
講義のタイトルは
「学ぶこと、盗むこと、仕入れること。」
名づけたのは糸井です。
若い学生たちの希望にあふれる視線を受けて、
3人は、人生の先輩として、
「知恵や知識、行動のいろんなやり方を
どうやって覚えてきたのか」
を話すことになりました。
20歳のほぼ日とほぼ同い年の大学生からすると、
私たちのことをくわしく知らない人も
多かったことでしょう。
それでも積極的に質問を投げかけてくれました。
今回はほぼ日をあまり知らないという方々に向けて、
〈参考〉もつけましたのであわせてどうぞ。
みじかめの文章で全10回、
どこからでもよんでいただます。
- 早野
-
糸井さんが「今日のダーリン」で、
「年とともに仕事が増えていく」と書かれていましたね。
(2018年5月31日「今日のダーリン」より)
・ぼくは、うすうす想像していた。
人はだんだん年をとっていくにしたがって、
だんだん仕事を減らしていくものだと、ね。
じぶんの父親などもそうだった。
父は、ぼくの年齢ではもう他界していたしね。
しかし、現実の我が身を振り返ってみると、
年をとるほどに仕事を増やしていることに気づく。
なんでもそうなのかもしれないが、経験が重なるほど、
それを生かして出来ることも増えていくものだ。
そして、出来ることが多くなれば、したいことも増える。
そしたら、年をとったら仕事が増えていくのも道理だ。
だから、ぼくは年々「はたらき者」になってきた
…ということのようだ。
世間の人に「さぞかし忙しいんでしょうね」と
思われていた時代は、実はそれほどじゃなかった。
そうだなぁ、いまの半分も忙しくなかったかと思う。
じぶんなりにいっぱいいっぱいだと思っていたけれど、
そんなに頭も使えてなかったし、遊んでばかりいた。
それと比べてもしょうがないけれど、
年をとってからは、ほんとによくはたらいてる。
徹夜もできなくなったし、歩くのも遅くなったのに、
なんでだろう、やれば出来るものだと知ってしまった。
どれだけ大変だとしても、嫌なことをしてないとか、
好きじゃない人に会わなくて済むとか、
自由にいられる場面ばかりになったのも原因だと思う。
あとは、タバコも吸ってない酒も飲まないことだとか、
ヨーグルトを食べているとか、スクワットとか、
むりやり言えば言えそうなのだけれど、
ほんとうの理由は「こころのほう」にあると思う。
ええかっこしいに聞こえないように言うのは、
ほんとうにむつかしいのだけれど、
いつのまにか、「だれかがよろこぶことを選んで、
一所懸命にやるようになった」からだと思えるのだ。
じぶんのためだけになにかをやるのは、つらすぎる。
そこから、うまく逃げられたおかげで、
よく仕事をする人間になっちゃったような気がする。
今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あとは、もっと休み方が上手になれたら、もっといいよね。
- 早野
-
僕も年をとってからの方が
仕事が増えていまして。
- 河野
-
僕もですね。
- 糸井
-
あきらかに増えていますよね。
- 早野
-
そうなんです。
東大を辞めてから自由度が増え、仕事が増え、
正直なところ年収も増えました。
- 糸井
-
でもなぜ増えたか、僕はわからなかったんです。
「今日のダーリン」に書いたとおり、
1980年代にコピーライターとして
仕事をしていたころの僕のことを、
とっても忙しい人だと思っている人は多くて。
「タクシーで寝る時間が睡眠時間なんですか?」と
勝手に想像されちゃうこともありました。
でも、事実はそうではない。
忙しそうにみえていただけなんです。
- 早野
-
僕は研究者時代、そんな生活でしたよ。
ほら、研究員時代の証人があそこでうなずいている(笑)。
- 糸井
-
僕は早野さんのような時間のかかる研究と違って、
3分で考えようと思えば3分で終えられる仕事ですから。
なのに、忙しそうにみえていたのは、
自分もそれが「カッコいい」と
思っていたのかもしれないです。
最近SNSをみていると、
成功というのは
自分の時間がなくなるほど仕事を頼まれて、
それをこなすことがうまくいっている人。
つまり、仕事の発注数が多いほど成功、
みたいな方向に意識が向いているなと感じます。
- 早野
-
はい。
- 糸井
-
僕も売れっ子だと思われることに
悪い気はしていなかったと思うんですが、
忙しくみえるような働き方は
なんか、無理をしていた気がします。
正直、ほぼ日をはじめてから、
忙しそうと言われていたころの
何十倍も働いています。
なぜかというと
「これもやったほうがいいな」と
思うものを見つける力がついたから。
やったほうがいいことが増えて忙しいんです。
そうすると「忙しくて困っちゃうんですよ」と
身近な人に冗談で言うくらいで、
「俺ってすごいでしょ」と思われることなんて
本当にどうでもよくなった。
なぜそうなったか考えていて、
やっぱり、自分のためにやる仕事は辛かったんです。
そこから逃げたんです、僕は。
- 早野
-
自分のために仕事をすることから
逃亡したんですか。
- 糸井
-
そうです。
若い人たちはとくに
「俺のほうがすごいでしょ競争」
をしがちだと思います。
でもそれは辛いから、
早く逃げたほうがいいです。
逃げ道はあって、
「自分のため」に仕事をするのではなく、
「力を必要としてくれる誰かのため」に仕事をすると
心持ちが変わると思います。
- 早野
-
ああ、そういう視点の切り替えですか。
- 糸井
-
小難しいことではないんですよね。
結婚して家族を養うために仕事をすることも、
「自分のため」からすこし離れられます。
親に借りていたお金を返すため、でもいい。
そのスケールがすこしずつ大きくなると、
社内の人のため、
僕らなら読者やお客さんのために
という思いが優先します。
彼らによろこんでもらおうとする思いが
「これをやったほうがいいな」を
見つける力になって、
自分を奮い立たせてくれるんですよね。
- 早野
-
なるほど。
ちなみに研究者というのは大概、
「俺ってすごいでしょ競争」をしています。
大学で生き残っていくために、
研究費を勝ち取るために、
自分自身で「すごい」と思って
周りにも「すごい」と思われたくて、
生き残るために辛い戦いをするんです。
ね? 先生。
- 原島
-
(ニヤッと笑う)
- 糸井
-
うれしそうな顔をしていらっしゃる(笑)。
- 早野
-
でも、僕が研究者として
「自分のため」ではない働き方を見つけたのは
震災が大きなきっかけでした。
震災以降、
東京大学の教授が実名でツイートしていることで
フォロワーがぐんと増えて、
叩かれることもたくさんありました。
そういう中でも福島に通って論文を書くことは、
自分のためではなく、
力を必要としてくれる人のためでした。
そこで科学者の人生というのは
権威ある賞をもらうこともいいし、
そうじゃない生き方もあるんだと実感しましたね。
(つづきます。)